【痺れくらげゼリー】
電車の音がする。
ずしりとした重みに体を支え切ることができなくて床に転がる。痛い、と足をくねらせようとして──ごちりと膝が床を打つ。
「~~~~っ!!」
地味に痛いそれに身悶えていると、視界の端で執事さんが蔑んだような目で僕を見下ろしていることに気付いた。そこでようやく──海中から図書館に戻ってきたことを理解して、ああと吐息を漏らす。
「お帰りなさいませ、館長さま──雑用さま」
「あっちの世界ではエビか何かにでもなっていたのか? 床の転げ回り方に磨きがかかっておるな」
「いつも床を転がっているみたいな言い方やめてくださいよ」
なんだエビって。タコだったぞ僕は。いやそれはどうでもいい。
とりあえず立ち上がって──うわ、ずっとタコ足で泳いでたからむちゃくちゃぎこちない。気を抜くとまた床を転げ回りそうだ。
「……ふむ?」
と、執事さんがほんの少しだけ珍しいものでも見たとばかりに目を見張って僕を見下ろしてきた。
ちなみに隣では、館長が僕同様に転げ回っていてメイドさんに支えられている。
「とりあえず雑用さま──パンツをお履きなさいな」
素っ裸だった。
世界を渡る前はパンツ履いてたはずなんだが、パンツどこ行った。
◆◇◆
色んな物資を詰め込んだ四次元鞄を執事さんに預けて、僕と館長は数日かぶりの風呂に浸かる。メイドさんが大浴場を整えてくれていたので、ありがたくふたりで浸かっている。海にいる間は風呂もへったくれもなかったもんなぁ。
男女だろって? 相手は〝僕〟だぞ。兄妹だとか父娘だとか双子だとか以前の問題だ。自分相手に恥じらうやつがどこにいる。
むしろ女な自分を前にしてみろ。萎えるわ。
「〝ワタシ〟はおっぱい大きめが好み、と」
「おいこら」
変な解釈すんな。
「違うのか?」
「違わねぇけど」
うん、おっぱいは大きい方が好きだな……メイドさんくらいぼいんぼいんと──あ、ダメだ。いくら巨乳でも〝僕〟じゃあ萎える。なんて言うのかな……鏡に映っている僕がそのまま巨乳になったとしか感じないんだ。萎える……。
実際、メイドさんも館長も僕の素っ裸を前に、微塵も動じていなかった。〝きゃあ〟なんて恥じらう素振りさえ見せない。当然だ、〝僕〟なのだから。
「デザート食うぞデザート」
その言葉とともにふよふよと、ガラスの容器がふたつ漂ってくる。ぱちぱちと、かすかに爆ぜるような音もする。
「痺れくらげゼリー。あっちから持ってきたお土産だ。今ごろ、メイドと執事もおやつに食べてるころだろうよ」
「痺れくらげ……痺れ……いや、放電してないかこれ」
ガラスの容器に入れられているのは海色に橙色の火を閉じ込めたような、幻想的で美しいゼリーだった。それはいい。いいんだが。
何故かぱちぱちと放電している。いや、こんなモン風呂場に持ってくんな。
「大丈夫だ?」
「疑問符」
まあ食べてみろ、と館長に促されて、とりあえず木製のスプーンを手に取る。感電防止のための木製なのか……? なおのこと、風呂場に持ってくんな。
スプーンの先をゼリーに沈め──バヅンッって音したぞ、おい。大丈夫かほんとに。
「大丈夫(多分)」
「かっこ付けんな」
◆◇◆
電車の音がする。
──ふと目を覚ました僕の視界には、鏡があった。
違う。〝僕〟だ。メイドさんだ。
「ごきげんよう、お加減いかが?」
「…………体が動かないです」
「まあ」
それはそれは、とメイドさんがおもしろそうに微笑む。いや、笑えない……と、頬を引き攣らせながら顔を横に向ける。
執事さんが隣で寝込んでいた。
「…………」
「わたくし、執事さまに〝あ~ん〟して差し上げましたの。執事さまは嫌がっておられましたけれど、せっかくの館長さまからのお土産──無下にできませんでしょう? ですから、突っ込みましたわ」
そして執事さんも感電してぶっ倒れた、と。
うん。
ふざけんな館長。