【龍神のヒゲマリネ】
「……それで貰ったわけか。ヒゲを」
「ええ。執事さまのそのわさわさしたおヒゲと違って芯が通っていて脂質もたっぷりある太く逞しいおヒゲですけれど」
言いながら執事さまに覆いかぶさるような口付けを落として、すぐ体をひっくり返されて上から抑えつけられるような口付けをねじ込まれる。
「部屋でやれ」
どれいさまの冷たいツッコミが頭上から浴びせられて、わたくしたちは体を起こす。
「無粋でしてよ、どれいさま」
「厨房なのわかってます?」
「ささやかな睦み合いではございませんか。どれいさまもします? 執事さまと」
「我輩は大歓迎であるぞ」
「絶対嫌だ」
「ではわたくしと?」
「それも嫌です。なんかメイドさんにキスされるとむちゃくちゃエネルギー喰われてる気がするんで。いや、それがなくても〝僕〟とキスって嫌ですけど」
「そうでしょうか?」
〝わたくし〟との睦み合いはそんなに嫌がるものなのでしょうか。どれいさまも館長さまとよくじゃれておられるというのに。
「で、どうしましょうかこのヒゲ」
「そうですわねえ……マリネにしましょうか。ワインで漬け液を作って肉と一緒に漬け込めばよいつまみになるでしょう。ちょうどお酒もイザナミさまにいただいたことですしね」
八塩折之酒という、イザナギさまとイザナミさまのご子息が鋳造しておられるお酒をいただいたのです。なんでも歴史が古く、非常に強いお酒だとか。
「強いも何も、イザナギとイザナミの子、スサノオが八岐大蛇という化け物を倒すのにその酒を使って酔わしたという神話があるんですよ」
「ほう……それはそれは、呑むのが楽しみだ」
わたくしはアルコールに弱いので呑むことは叶いませんが、どれいさまと執事さまのおふたりは非情に嬉しそうにうきうきしてらっしゃいます。お酒とは、かように良いものなのでしょうか。
……ふむ。
◆◇◆
体が熱い。
体どころか、目も舌も喉も肺も胃も、体中の何もかもが熱い。炎で燻られているように熱い。呼吸をするだけで熱い吐息が気管支と舌先を焼いていく。指先さえ熱くて、額に手を当てても冷たいとは少しも感じない。
熱い。
熱い。
「誰だ呑ませたのは」
「一滴くらいなら、って僕のを舐めたんですよ」
「……それでこの有様か」
「どんだけ弱いんでしょう、メイドさん」
「館長によれば体質のせいだそうだ。こやつは少々特殊な体だからな……」
「どうしましょう」
ぼんやりと霞む視界の先で、どれいさまが困惑したお顔をしている。その体から立ち昇るおいしそうな、おいしそうな……精気。
どれいさまの驚いた顔に構わず、どれいさまの首筋にちゅうっと吸い付く。とろりと流れ込んでくる甘い甘い精気に、うっとりと酔いしれる。
「おいこらメイド。そういうことは素面でやれと言うておろう」
「素面でも嫌ですよ!!」
脇の下に手を入れられてべりっと引き剥がされる。振り向くと、執事さまがむっつりとわたくしを見下ろしていた。んもう、カワイくないお顔。
「マリネ食わせとけ」
「え? ダメだろ? このマリネワインで漬けてるんだから……」
「大丈夫だ。このヒゲは精気の塊だからな──酔いは冷めないにしても落ち着くだろうよ」
「生気?」
「違う、精気」
「?」
どれいさまと館長さまが楽しげに話しておられる。ああ、おふたりともなんておいしそうな精気。
「喰え、メイド」
「んむ」
口に指を入れられた。すかさず、その指にちゅうっと吸い付く。けれどすぐ歯と歯の間に差し込まれてこじ開けられて、ひやりとした何かが放り込まれた。
葡萄を発酵させたような芳醇な香りが鼻を突き抜ける。舌の上に載っている薄くて冷たい何かを奥歯で挟み込んで噛み締める。途端に全身を駆け巡る豊満で潤沢な精気に、体がこの上ない悦びを覚える。
「あぁ……あぁ、もっと……もっとぉ、執事さまぁ」
「わかっておる。だから大人しく我輩に座っておれ」
そう言いながら執事さまが膝の上にわたくしを座らせたので、大人しく手と足を揃えて待つことにします。そうすればご褒美とばかりに執事さまがおいしいものをくださるので、喜んで啄みました。
ほんとうにおいしいのです。葡萄の芳醇なソースを酢や醤油で締めて、そこに脂質たっぷりのアボカドのような何かを漬け込んだものなのでしょう。
アボカドより硬くて歯応えがあるのですが、外周部は噛めば噛むほど味が深くなるイカのお刺身のようで、中央部の、おそらくは骨か何かが通っていたのであろう芯の部分は軟骨のようにポリポリしていておいしいのです。
しかも精気たっぷり。あぁたまらない。
「執事さまぁ」
「わかっておるからあまり甘えてくるな。組み敷きたくなる」
「その時は事前にひとこと頼む。僕らは出ていくから」
「ワタシは観察した「ダメですッ!! よい子が見ちゃいけませんッ!!」
「ワタシの方が長く生きてるっちゅうに」
何やら賑やかなその部屋で、わたくしはただただ与えられるままにおいしいそれを啄み続けておりました。ああなんて幸せ。