【貝の溶岩ムニエル】
レストラン〝パール・パール・パール〟の看板料理、貝の溶岩ムニエル。
ごぼごぼと煮え立つ海水に思わず距離を取ってしまう。貝の溶岩ムニエル。比喩でもなんでもなく、貝を本物の溶岩で焼いていた。あっツ!
「ヴルカーノ山から仕入れてきた溶岩だよ! 焦げないうちに食べな!」
ヴルカーノ山というのは海底火山のことらしい。溶岩はここにおける〝火〟の役割をしているらしく、少ないが火の通った料理も存在するようだ。貝の溶岩ムニエルはそんな数少ない火の通った料理のひとつ、というわけだ。
しかし溶岩に触れた海水が煮えていて近付けないんだが。茹でタコになんかなりたくないぞ。
「フォークじゃなくて銛を使うんだ。ほれ」
と、手渡されたフォークをそのまま長く伸ばしたような銛になるほどと頷く。銛の先端をうまいこと貝に突き刺して、そのまま館長の口元に運ぶ。はふはふと息──息……吹きかけられねえよな。意味があるかどうかわからないふーふーをしたのちに、ぱくりとかぶりついた。悲鳴が上がる。全然熱取れていなかったらしい。
かわいそうに、と思いつつ僕も自分の分を銛で突いて引き寄せる。冷ますように数回、銛を振り回してから口元に運ぶ──うん、うまい。ぷりぷりとした貝……サザエっぽい。それがカリッとした衣に包まれて焼き上げられていて、ライムかなにかの汁で仕上げられている。ひと噛みひと噛みごとに貝の芳香でジューシーな出汁が染み渡る。美味しい。
「おい! ひどいぞ貴様!」
「まあまあ。……ほら」
悪気はない。お詫びとばかりに、ふたつ銛に刺して冷ましてから口元に運んでやる。館長は嬉しそうに飛び付いて、もっきゅもっきゅと幸せそうに頬張り出した。
……ほんと、幸せそうに食べるねぇ館長。
「なあ店長、この貝はどこで仕入れられるんだ?」
「おや、気に入ったかい旅人さん? ウチの食材はオーロ市場で仕入れているよ! ここから広間を突っ切ってまっすぐさ」
「ありがとうございます。市場、行くのか?」
「当然。ほら、さっさと次寄越せ」
「はいはい」
最後の数個は少し焦げてしまったけれど、その焦げ具合がまた美味しくてたまらなかった。酒を呑みたくなる──酒。酒……そうか、僕は酒呑みだったのか。
「ワタシは酒を呑みたいと思ったことはないな。図書館では執事が酒を嗜む。今度、晩酌してみたらどうだ?」
「罵倒されながらの晩酌になりそうだな……」
ソッチの趣味はない。
「今日、市場で買い物したら帰るぞ」
「えっ、もう?」
……レミリナ姫の記録は?
「大体済ませた。魔法で遠視透視覗き見盗撮下着泥棒なんでもござれだ」
「おまわりさんこっちです。……いつの間に」
いや待て。魔法でそういうことができるならわざわざ世界を渡る必要はないんじゃないのか? 図書館からこう、遠隔で観察して──
「それじゃあごちそう食べられないだろ」
「食べるためかよ」
〝ワタシ〟を探して世界を渡り歩いている(キリッ)とか言ってたくせに。
「だが実際に世界を歩いてみることで知れることも多い。──お前とて、今回の旅で多くを知れただろう?」
「…………それは、確かに」
確かに。
ついさっきの、酒を呑みたいというなんてことない思いつきもそうだ。──……確かに、この世界に来てからいろいろ……いろいろ、クリアになった気がする。
図書館にいた時はずっと、ぼうっとした混乱でよくわからないまま、言われるがままに雑用をしていた。けれどこの世界に来てからはなんだか、違う。〝僕〟がないがゆえに混乱があるのは変わらないけれど──夢の中にいるような、ふわふわとした心地からは抜け出せたように思う。
……経験に勝る知識なし、か。
「どうだ? やる気出てきたか?」
「……、…………そうだな」
俄然、とまではいかない。けれどほんの少しだけ〝僕〟に興味が出てきた。それに何より──
「──もっといろんな世界を、見てみたいな」
右手が胸元を掻き抱き、宙を掴む。
「フフン。そうだろうそうだろう──いろんな世界のごちそう、食べてみたいだろう」
「いや、そうは言ってねえよ」
まあ興味がないわけじゃないが。
なんだ、館長もなんだか……すっかり、初対面の時に感じた神秘性が消え失せたな。
「失敬な」
尾びれビンタを喰らった。だから心読むな。
「──あ」
会計を済ませて店を出たところで、はるかな天で揺蕩う人魚姫の姿が見えた。本日、二回目。
今日も今日とて、人魚姫は海を揺蕩い堕つ。
「……あの〝僕〟は……レミリナ姫は、〝果て〟に行けるのかな」
「さてな──この世界はどうだか知らないが、分岐点は無数にある。〝果て〟に行けた世界もあれば──行けなかった世界もあるだろうよ」
「…………」
〝果て〟を夢見る人魚姫。
どんなに堕ちようと決して諦めることなく、どんなに血濡れて傷にまみれようと決して退くことなく。
「…………」
〝報われるといいね〟
〝無駄なんだから諦めればいいのに〟
〝他にいい方法がないかみんなも知恵を絞ればいいのに〟
──そのどれも、僕の中には浮かんでこない。海に揺蕩う人魚姫を見上げて僕の中に芽吹くのはいつだって。
〝美しい〟という、感情。
右手が、宙を掻く。