【幻の虹色タルト】
「あ~見事な負けっぷりだわ。私たちもまだまだね」
空中都市〝アルデア・オロル〟の上層区に立ち並ぶ高級住宅区の一角を占める、とある空飛ぶ屋敷。
そこでわたくしたちは〝わたくし〟の招待を受けていた。
「おかげさまで、たいへん燃えましたわ。ねえ、どれいさま」
「ええ。デッドヒートはどうなることかと思いましたけど」
「もっきゅ……おい柊どれい、それ寄越せ」
テレビに映し出されている、昨日のレースのVTRを肴に、〝暴風〟チームのライダーであらせられるミレンさま──〝わたくし〟が、腕によりをかけてこしらえてくださったお料理を楽しんでいるところなのですが……館長さまの自由っぷりは相変わらずですわね。
「ご夫婦でレーサーなさっているのですか?」
「そうよ。レインはサポーター兼、マネージャー! この通り無口だけどアギスに乗っている時はよく喋るのよ」
ミレンさまの隣でむっつりと眉間にヒビを刻み込んで黙っておられるレインさまは確かに、お会いした際に自己紹介していただいて以降、ひとことも喋っておられない。けれどミレンさまはそこがいいようで、首ったけとばかりにレインさまにもたれました。たいへん、仲睦まじいご様子。
それにしても……本当にいらないの? 賞金……」
「要らん要らん。金には困ってないしな。虹色タルトさえ食べられりゃそれでいい」
「だ、そうですわ。わたくしもお金には興味ございませんし……」
あっても世界を跨いで旅するわたくしたちには無用ですしね。第一、館長さまがお金を湯水の如く出してしまわれるんですもの。
「私たちも困ってないから全額寄付ってことにしておいたけれど……随分ヘンな旅人さんたちね? 何だか私に似ていて親近感あるし……」
「まあ〝ワタシ〟だしなあ」
館長さまが行儀悪く汚れた口周りを舐め始めたので、ひとこと窘めてタオルで拭ってやる。ひと心地ついたのか、虹色タルト食べたいとわがまま言い出して、それも嗜める。
「じゃあそろそろデザートにするけど……私たちまで食べちゃっていいの?」
「ひと切れだけな! ひと切れ! 残りは全部ワタシのだ!」
「僕らにも喰わせろ」
……まっこと、自由奔放な御方なんですから。
冷蔵庫で冷やしてくださっていた虹色タルトをミレンさまが運んできて、改めてその輝きに魅入る。
虹色タルトとは名の通り、虹色に輝くタルトとなっております。わたくしたちがデッドヒートを繰り広げたあのレインボーロード……虹が多数発生する名所、正式名称〝アルクスト〟では百年に一度〝アルクス・テラ〟という花が咲くそうです。空気密度と引力の関係だそうですけど……光の屈折で虹が折れ曲がり幾千も重なって大輪の花を咲かせるそうなのです。写真を見せていただきましたが……どれいさまが大興奮で館長さまに咲く瞬間に転移しようぜって強請るほど、それはそれは見事な大輪の花でした。
そんな自然現象であるはずの虹色の花の中心部に、不思議なことに虹色の果実が実るそうなのです。どういう現象なのか一切解明されておらず、一部では神からの賜り物だと信じられているとミレンさまは教えてくださいました。
そんな幻の果実を丸ごと使った贅沢なタルト。
どんな味がするのか──心躍ってなりませんわね。
「残りは全てタッパーに入れるわね」
「ありがとうございます。申し訳ありません、もう少し分けて差し上げられたらよかったのですけれど……」
「何言ってんの? 食べられるだけ幸運よ! ありがとね、クイーンちゃん」
細かくウェーブを描いている長い髪を後ろに流しながら、ミレンさまが快活な笑みを浮かべる。レースの最中もそうでしたけれど、気持ちのいい笑顔を浮かべられる御方ですわね。
「いただきましゅ! ホレ柊どれい! 喰わせろ!!」
「はいはいあーん」
どれいさまがひと欠片フォークに載せて館長さまの口元に持ってい──かず、ご自分の口内に放り込む。館長さまがどれいさまに咬みつきにいったのを傍目に、わたくしも皿を持ち上げてフォークをそっと差し込み入れる。
虹色の果実はエナメルのようで、何色とも呼べない不可思議な色彩が詰まっている。香りは桃に近く、フォークを入れた際の感触も桃のそれでしたが……味はいかほどのものでしょう?
ぱくりとタルトのかけらを口に含む。タルト生地のクッキーのような甘い味と、それに載っている果実の、桃のような味わい。やはり桃のよう、と思った矢先にいちごの甘酸っぱさが舌先を包み込む。わあ、と思ったのも束の間、次は洋ナシの優しい味わいで口内が満たされる。けれどすぐ、みかんの爽やかで酸っぱく、小気味よい風味に舌が喜ぶ。おや、と眉を顰めれば今度はブルーベリーの落ち着いた香り引き立つ風味。その次はバナナのまろやかで豊潤な甘み。そのまた次はマンゴーの……と、そこでわたくしはそっとフォークを置きました。
気付けば、その場の全員が沈黙に服しておりました。そしてどれいさまが、ひとこと。
「落ち着け」
まさに。
不味いわけではないのですが、いえ、むしろ美味しいのですが……次から次へと味が目まぐるしく変わって、どうにも味わう暇がないのです。フルーツを複数、一気に頬張った時とはまるで違って……本当に、次から次へと味が変わるのです。桃を味わっている時に突然いちごに変わって目が白黒する、と言えばよろしいでしょうか……。
「あはははっ! そうよね、百年に一度の果実だからって究極に美味しい、とは限らないもの。でも退屈しないし美味しいことには変わりないし、いいわね❤ ね、あなた」
快活な笑い声を上げたミレンさまはそのまま、タルトをレインさまに〝あ~ん〟して差し上げました。レインさまは若干、ふた口目を拒絶していたように見えましたが……ミレンさまは問答無用でございました。ふむ……帰ったら執事さまに食べさせて差し上げましょう。ふた口目からも、無理矢理。
「しかし面白い。果実をふた切れ同時に入れても、そのふた切れがそれぞれ違う味になることはない。必ず同じ味で、味が変わるのも同時だ」
「あら……そういえばそうですわね。まっこと、不思議な果実ですこと」
そして、ただ食い意地が張っているようにしか見えない館長さまが深い洞察力を持っておられることに改めて、その底知れなさを噛み締める。
「底知れないっていうならメイドさんもですよ……ライダーとしての判断力の高さ、見事でした」
「あら、それを言うならどれいさまもでしてよ。付け焼き刃とは思えないほどのアギス使いでしたわ」
「当然だろ、〝ワタシ〟なんだから」
わたくしとどれいさまの視線が、館長さまに向く。もっきゅもっきゅとタルトを頬張っている館長さまの、不敵で不遜で不尽で、それでいて不朽で不屈。
わたくしたちは、ふっと笑う。
「ええ、そうですわね──〝わたくし〟」
「ああ、なんせ〝僕〟だからな」
まあ、やり遂げたのはわたくしとどれいさまですけれどね?
そこだけは、譲りませんわ。




