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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
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【蜜月花氷】


 火焔雪月樹はあたた実を実らせる前に、蜜月花と呼ばれる輝く花を咲かせる。琥珀の花びらは蜜のように甘く、それでいて熱に弱く、融けやすい。そう、人肌ほどの温度でもとろりと融け出してしまうほどに。

 ぺろりと花びらを一枚、舌先に載せる。とろりとすぐ融けてしまったそれははちみつのように粘り気のある甘さをもたらしてくれる。ああ、美味にございますわ。

 つまみ食いはそこそこにして、最後の仕上げに取り掛かる。


「完璧ですわね」


 硝子の容器には細かく削られた氷。そこに蓮の花の如く飾り付けられていますのは、蜜月花の花びら。完璧ですわ。

 名付けて蜜月(みつげつ)花氷(かごおり)──と、いったところでしょうか。ええ、かき氷ですわ。完成したかき氷をふたつ、ワゴンのクーラーボックスに仕舞い込んでからからと押してキッチンを後にする。向かう先は、館長さまのお部屋。


「──なあ、執事さん」


 図書館の北館に足を踏み入れてまっすぐ館長さまのお部屋を目指していたところ、かすかに開いていたどれいさまのお部屋から執事さまを呼ぶお声が聞こえてきて、いけないと思いつつも音を立てぬようそうっと近付いてしまいました。


「なんだハニー❤」

「やめろマジで」


 中ではどれいさまと執事さまが並んでソファに座り、酌し合っておられました。やたら密着しようとなさる執事さまをどれいさまが押し留めておられて、けれど力では敵わないのかじりじりと圧されておいでです。おもしろい。


「で、なんであるか。どれい」

「──アンタ」


 記憶、あるんだろ?


 一瞬、何のことかわかりませんでした。

 記憶。キオク。きおく──何のことはない、〝わたくし〟に決まっております。執事さまに……〝わたくし〟の記憶が、ある?


「……よく気付いたな」

「わかりますよ。今思い返せば、最初からアンタは変だった。いやここ全部変だけど。まあともかく、僕らは全員〝僕〟をなくしてここにいた。でも、妙だったんですよ。最初からアンタだけはやけに濃ゆくてさ。我がハッキリしていた。メイドさんも館長も濃かったけど……どこかはっきりしない部分があるんだ。それが、アンタにはなかった」


 言われて、気付く。

 〝わたくし〟を知らないことについて、わたくしは朧げながらも恐怖心を覚えて、避けていた。どれいさまはわからないままぼんやりと流されておいでだった。館長さまは……〝わたくし〟を追っているようでその実、愉悦に浸っているだけにも見えるし、完全に娯楽として〝わたくし〟を愉しんでいるようにも見える──けれどその実、誰よりも〝わたくし〟に飢えておられる。〝わたくし〟への渇きにも似た飽くなき我欲。それはまさに、〝わたくし〟を知らないからこそくるもの。

 けれど執事さまは──

 執事さまだけは、確かに。


「〝僕〟に興味ないっていつも言ってるけどさ、興味ないんじゃなくて知りたくないだけじゃねえのか?」

「…………」


 執事さまはいつだって〝興味はない〟と〝わたくし〟を知る渡界の旅を拒絶しておられました。そう、それはいっそ……頑なすぎるほどに、最初から最後まで一貫して。

 〝わたくし〟を知らない御方が……あそこまで我を、持てるのでしょうか。

 〝わたくし〟を愛しているからこそ知る必要がない、というお言葉も……思えば、誤魔化しているようにも、考えられてきます。愛しておられるのは真実でしょうけれど……じゃあ、執事さまは一体。


「……知って、どうしようというのだ?」

「いや、別に? 言いたくねえならいいけどさ」

「……ふん。どれいのくせに生意気であるな」


 執事さまは鼻を鳴らしてひと口、ぐびりと喉を鳴らして酒を呷り──どこか達観したような、諦観しているようにも見える……遠い、眼差し、で。


「……──〝我輩〟を愛せなくなったら、困るだろう」


 嫌な〝わたくし〟を知って、それがきっかけで〝わたくし〟を愛せなくなったら困る。

 そう仰って──執事さまは、目を伏せました。

 なんとなく、それ以上聞いていることができなくてそっと、音を立てず扉から離れてワゴン車とともに館長さまのお部屋へ向かった。わたくしの、美しく在るための足運びにこの日ほど、感謝したことはございません。


「かき氷! ──ん、どうしたメイド」


 館長さまの部屋に入るやいなや、飛び付いてきた館長さまを絡めとるように逆に抱き締めた。


「……館長さまは、お気付きでしたか? 執事さまが……既に、記憶を……取り戻しておられると」

「ん、まあな。あやつが言いたがらなさそうだったから記憶ないことにしてあるが」


 やはり。当然、ですわね。館長さまがお気付きにならないはずありませんもの。


「たぶん図書館に来て間もないころだろうな」

「え……では、三百年前から」


 ──いったい、なぜ。

 なぜ……〝わたくし〟を、かようにも愛そうとなさるのでしょうか。

 わたくしには、それが理解できない。


「かき氷……」


 無視して、館長さまを抱きすくめたままソファに座る。

 執事さまの、あの〝わたくし〟への愛情。あの背景には、一体なにがあるのでしょうか。わたくしは、わたくしが嫌い。最近ようやくほんの少しだけ自分を見直して正直に生きようと、しているところではありますけれど。それでも……やはり、嫌いなのです。わたくしが、嫌いで、怖い。

 ……いったい、どうしたら愛せるのでしょう?


「かきごおり……」


 〝愛〟とは、何なのでしょう。


「かきごおりたべさせてください……」


 ……あら、泣いてしまいましたわ。




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