【火焔雪月樹のあたた実】
〝わたくし〟──くらげの上でしばし歓談に耽ること、一時間と少し。
「ぶぇーっくしょい!!」
「っくしゅん」
「ひでえ格差」
同時にくしゃみした館長さまとわたくしに、どれいさまがぼそりとツッコミを入れる。当然、美しく在らなければならないわたくしですもの──くしゃみひとつ、油断できませんわ。
「あら?」
わたくしたちのくしゃみを聞いてか──耳、あるのでしょうか? くらげがぴろぴろとエメラルド色とサファイア色を交互に点灯させて、ふわりふわりと軌道を風向きから斜に滑るように変えていきました。
何かあったのかとしばし見守っていれば、やがて小高い──いえ、くらげの頭頂からですからさほどではないように見えるだけで実際にはおそろしく聳え立っている雪山なのでしょう。
「ん、何かあるなあそこ……」
ふいにどれいさまが何かに気付かれて、カメラのズーム機能を使って雪山を拡大しました。ひょいっと覗き込んでみますと、そこにはほのかな橙色に灯っている樹がありました。
「まあ、これは?」
「火焔雪月樹だな」
この星は元々湿度が高く、火が付きにくい性質だったそうです。そこで、今はもう滅んでいる人類はこの火の性質を帯びた樹木を頼ったのだと館長さまが解説してくださいました。寒冷地にしか成らないこの樹が付ける実は雪の結晶が幾重にも連なって満月のようになっていることから雪月樹と呼ばれ、さらに夜になれば火焔の如き輝きを帯びることから、火焔雪月樹と。果てには、その実は火焔雪月樹のあたた実と──
「最後までかっこいい名付けにしろよ」
「滅んだ人類に言え」
「では……あの実は人類にとっての〝火〟なのですね?」
「火として使えるし、食用にもなる」
と、館長さまが仰った矢先にくらげがぶるりと体を震わせて、大きすぎるゆえに滑り落ちるようなことにはならなかったものの、多少体幹がぐらついた感じになってふらついてしまう。
何かと思えば、くらげはふよふよと触手を漂わせるばかりで何かをするでもなくその場で制止してしまいました。
「如何なさいましたか、〝わたくし〟──えぇっと、くらげ……星喰いさま?」
ぴろぴろ、とくらげの内部がまたもやエメラルド色とサファイア色に点灯する。
「ん……ああ、そういやクラゲってタコなんかと違って触手を細かく動かせないんだったか。どれ」
館長さまが揺れの衝撃でひっくり返った体勢のまま、ぴこぴこと足先を動かしました。そのあまりにも気の抜ける動作とは裏腹に、大規模な──それはそれは目を見張るような、くらげさえ呑み込んでしまうのではないかと思うくらい巨大な魔法陣が現れた。
「エターナルフォースファイナルマジックハンド!!」
「だせえ」
どれいさまがお吹っ飛びあそばされました。いえ、館長さまがたいそうな魔法陣からお出しになられたマジックハンドとは別に、キャッチするためのグローブのようなものも出して受け止めていましたけれど。
「もぎもぎっと」
どれいさまをぽーん、ぽーんとグローブの上で跳ねさせつつ、館長さまがマジックハンドで火焔雪月樹から炎のような、橙色に灯っているあたた実というものをひとつもぎ取りました。それを見計らうようにくらげがふわりふわりと再び風に乗って漂い始めて、自我のない生物だとお聞きしておりましたが──薄いながらも意思はあるのかもしれない、とぼんやり考えてそっとくらげの表面を撫ぜた。
「わあ……あたた実というのはかようにも大きいのですね」
くらげの頭頂からですと枯草のように小さく見えたのに、いざ館長さまがもぎ取ってきた果実はわたくしが腕を回しても余るほどに大きなものでございました。ほのかな橙色に煌めく雪の結晶のような模様がとても幻想的で、そうっと手を伸ばそうとして──けれど熱くて、触れる寸前で手を止めてしまいました。熱い。まるで火の上に手をかざしたよう。
「なるほど、コレを火の代わりにしてたのか。でも食用って?」
「こうやるんだ」
マジックハンドがもうひとつ現れて、くるみでも割るようにキュッとひねってあたた実を真っ二つに割ってしまった。幻想的だったのにもったいない、と思ったのも束の間──割ったあたた実から現れたそれに、わたくしたちは目を奪われてしまいました。
炎が閉じ込められた宝珠。
まさに、こう称するべき果実にございましょう。中心部にはサファイアやアメジストのような炎が小ぶりながらも揺らめいていて、それを取り囲むように琥珀とトパーズの優しいともしびがうねっている。それらを包み込むように、蛇のようなルビーがくねっていてまっこと、炎のよう。
「あたた実の表面温度は千度を超えるが、実は百度にも満たない。ちぎってしまえばそこから冷めていくから食べられるぞ」
そう言われて、外したままだった手袋を再度嵌め込んで、恐る恐る炎の宝石に触れてみました。くらげの表面よりもずっと柔らかく、ぐっと指先に力を込めればぶちりと軽快な音を立てて千切れてしまった。千切れた先から炎がこぼれてしまうのではないか、と思ったけれどそんなことにはならず、手のひらの上に載せた千切れた破片の中で小さな炎が渦巻いておりました。
どれいさまと館長さまがじいっとわたくしを見つめているのに気付いて一瞬、食べるのを躊躇する。ひとまずどれいさまに毒見させてどういうたぐいのものか知ってから、どう味わうか──と、そこまで考えてわたくしが美しく在ろうとしていることに気付いた。どれいさまに毒見させる点に対する罪悪感? ありませんわ。別によろしいではありませんの? どれいさまですもの。
少し考えて、思いっきり口の中に放り込んでみました。熱いミルクを口に含んだ時のような灼熱が口内を通り抜けて全身に広がり、一気にぽかぽかと熱くなる。その熱さに一瞬言葉を詰まらせつつも、細く息を吐いて熱を逃がしつつ、果実を転がす。あつっ、あちっ、と美しくない声が零れていることに内心動揺しつつも、どうにか味覚に集中できるレベルにまで熱を逃がす。
「……おいひい」
熱を逃がしたところで思わず零れたのは、そんな情けない声でございました。
熱々の練乳をこんがり焼いたいちごにかけたような、すごく熱いけれどおいしくて、甘くて、体があたたまる。本当に、美味しい。
──ああ、けれど。
けれど、美しくない。
こんな、こんなの。
「はは、可愛いですねメイドさん」
どれいさまの、朗らかな声が弾む。
「……可愛い?」
「ええ。今、すごく館長にそっくりでしたよ」
「……館長さまに」
そう言われて思い浮かべるのは、おいしいものを幸せそうに食べておられる館長さま。
──そういえば、美味しいものを食するのはわたくしも好きですけれど……幸せそうに食べたことなんて、あったでしょうか。
美しく在ることばかりに気を取られて……幸せな心地に浸ることは、度外視していた……かもしれません。
わたくしは、美しい。
わたくしの声が、わたくしの体に軋みを与える。
……わたくし?
わたくしの、声?