第五自我 【雪景色に消える自我】
第五自我 【雪景色に消える自我】
未開文明系列世界第十二種 №19──永久凍土の世界。
氷河期を迎え、文明が凍てつき雪に埋もれてしまったという世界。そこでわたくしはどれいさまを風よけに、震えておりました。
「寒いですわね……」
「僕を盾にするのやめてもらえます? あと館長僕の服の中から出ていけ歩きづらい」
ずぼ、ずぼと慣れない雪上を掻き分けるように歩いているどれいさまの隣で、ふうっと白い息を吐きながら白いファーフード付きコートを改めて深く着込む。ふうっと、また白い吐息が零れる。ああ、鼻先が冷とうございます。真っ赤になっていることでしょう。
それにしても。
「……天国の世界とはまた違った、神秘的な世界ですわね」
あたり一面の雪景色。果てしなく広がる白銀色の世界。夜だというのに雪面は爛々と白く輝いていて、よく見える。
そして夜空を見上げればそこに広がるのはどこまでも済んだ空気と、果てしなく広がる星の海。それに──オーロラ。
「綺麗……」
見渡す限りの満天の星空と、虹色にはためく絹の絨毯。服の下に潜り込んだ館長さまを鬱陶しそうにしつつも、どれいさまが無心でシャッターを切っておられる。そうしたくなるのも頷けるほど──心が透く景色にございました。
そういえば──わたくしの常識では、居住する惑星の外には宇宙が広がっております。居住する惑星の大きさを一とするならば太陽は百。さらに遠く離れたペガサは千、アスモデウスは万。そして幾千億年後に宇宙の全てを呑み込むと言われるシャドウブラックに至っては億を超えます。果てには、そのシャドウブラックによって全てが零──大圧縮、ビッグ・クランチを迎えて全てが無に帰すだなんて言われていますわね。
それくらい途方もなく広く、雄大な宇宙──けれど。
それらさえ、館長さまにとっては数多ある世界の中のひとつに過ぎないのでしょう。
「まあな。どれだけ広かろうとひとつの世界はひとつでしかない。宇宙規模で交流している世界もあるが、それさえ無限大に存在する世界のなかのひとつに過ぎない」
「まっこと……館長さまはスケールが理不尽でございますわね」
「世界ひとつ取っても分岐点が無数にあって、世界線の数は果てしないときた。ホント、僕の世界が見つかったのさえ奇跡に思える──ってそういや」
雪ひとつない、凍てついた空気のさざめく夜。
どれいさまの声が、澄んだ空気に乗って果てしなく通り響く。
「──僕が生きている世界線もあるのか?」
「ある」
気になるなら見に行けるが、とどれいさまのコートの中から館長さまが顔を覗かせて、どれいさまを見上げる。その眼差しにあるのはいつもの嘯き囀り嗤うような色か、あるいは。
「いや。興味ねえさ。僕にとって僕の世界はただひとつ、僕が死んでしまったあの世界だけだ」
「ッフ、わかってるじゃあないか」
たらればの世界に渡ったとて、そこにいる〝ワタシ〟はワタシじゃあないからな──そう言って館長さまは笑う。笑って、手を伸ばしてよしよしとどれいさまの頭を撫ぜました。すぐ寒いと引っ込んでしまいましたけれど。
「ところで僕らは一体どこ目指してんだ? 見渡す限り雪原と星空とオーロラしかねえぞ」
館長さまというお荷物を抱えてふうふう肩で息をしていらっしゃるどれいさまの背中をさすりつつ、本当に何もない場所だと改めて見渡す。
果てしなく広がる白銀の世界。わたくしたちがつけた足跡以外には何の痕跡もない、本当に綺麗な雪原。その無垢なる白と対極をなす、宝石をちりばめた漆黒の大海原。目も眩むほどの星々と息をするのさえ忘れてしまうほどの幻想的なオーロラはいつまでも見ていたい心地になってしまう。
けれど、ここは極寒の地。おそらくマイナス四十度は余裕で下っているでしょう。いつまでも滞在できる場所ではございません。
──その時でした。
突如、オーロラを突き破って〝わたくし〟が現れました。
オーロラを見上げていたわたくしは最初、オーロラが鏡のように変化したのかと錯覚しました。錯覚して、すぐ鏡ではないと理解して──唖然と口を開けて放心せざるを得なくなってしまいました。
「な──なんじゃありゃあ!?」
どれいさまの絶叫が、響く。
「うっひゃー、これはまた想像以上だな」
館長さまが楽しげに、嗤う。
「こ……これは……くらげ、ですか?」
わたくしは──得体の知れぬ恐怖に、慄いた。
そう、オーロラを見上げていたわたくしたちの前に突如現れたもの──それは、一体の〝わたくし〟──くらげでした。そう、くらげなのです。本当に、ただのくらげなのです。わたくしと合致するところなんて何ひとつないというのに──わたくしはこのくらげを、〝わたくし〟だと確信した。
それがあまりにも気味悪くて、恐怖を覚えてしまう。
「通称〝星喰い〟──この世界が凍てつく原因となった魔物だ」
館長さまが嗤う。それはそれは愉しそうに、嗤う。
「魔物って……!! デカいにも程があるだろ!? こんな〝僕〟までいんのかよ!」
一体どこから現れたのか存じ上げませんけれど、どれいさまの言う通り──このくらげは、あまりにも大きすぎる。オーロラを飛散させてしまえるどころか、満天の星々に手を伸ばせば届いてしまえるのではないかと錯覚してしまうほどに──そのくらげは、夜空を支配しておりました。
くらげは全体的に薄氷が張り詰めたような外観をしていて非常に透明度が高く、けれど星々の煌めきを吸収して輝くゆえに完全な透明にはならない。加えて、ちかちか、ちかちかとおそらくは内臓、と思われる中身が色鮮やかに光を放っていて、なんとも神秘的な雰囲気を醸し出している。
頭脳部、と申し上げればよいのでしょうか……満天の夜空に浮かぶ本体からは、無数に触手が伸びていて、淡い赤色に発光する先端がそっと空中を撫ぜるたびに空気が白く凍り付いているように見えます。凍り付いた空気はすぐ割れ、氷の雨として地上に降り注いでおります。
けれど……そんなのどうでもいいと思うくらいに、わたくしは動揺していました。
だって、〝わたくし〟なんですもの。
猫の世界でも、猫の〝わたくし〟に見えましたけれど──あれは同じ哺乳類ということもあって──それに、意思を持つ生き物であることもあってさしたる抵抗もなく〝わたくし〟だと認識できました。
けれど、これは。
これは、あまりにも。
「自我はあんのか?」
「さてな。腔腸動物の中でも刺胞動物に脳はない。だが神経は通っているから決められた行動パターンを取り続けている。これでも〝ワタシ〟なんだ。一体何が自我で、何が自我じゃないのか──わからなくなるだろう?」
確かにわからない。
あのくらげは、確かに〝わたくし〟なのです。間違いなく、鏡に映ったわたくし以上に間違いなく〝わたくし〟なのです。あまりにもかけ離れた姿形、どころか哺乳類でさえない不定形の生物なのに──ひと目見て、ああわたくしだと感覚的にわかるのです。
それが──気味悪い。
「でもやっぱり〝僕〟なんだよな」
「ええ……〝わたくし〟ですわね」
気味悪いのに、それでもやはり自分なのです。
そこでふと、そういえばわたくしもわたくし自身を嫌っていたと思い出します。そう、わたくしはわたくし自身が怖い。不気味で、怖くて、嫌い。
──そう考えてみたらなんだか、この〝わたくし〟も……悪く、ありませんわね。
「よく見たら……カワイイですわね」
「えっ」
脳はない、とのことでしたから思考はしないのでしょう。遺伝子に刻み込まれた行動パターンを繰り返すだけの、心なき生物。
わたくしもこんな風に、何も考えず気ままに漂えたならばいいのに。
「どれいさまみたいですわね」
「えっ」
「今度海底の世界に行くときはクラゲにするか?」
「やめてくれっ!! ちょっ、メイドさん何で僕!?」
「ほら、流されるままなところとか」
「ぐぬっ」
押し黙ったどれいさまにくすくす笑いつつ──けれど、どれいさまよりもわたくしの方がずっとくらげに似ているのだろうと内心思う。
どれいさまは確かに流されやすい御人ですけれど、ご自分の意思はきちんと持っています。感情豊かですし、見たこと思ったこと聞いたこと話したこと全てに真摯に応えておられる。流されているようでいて、その実真面目な御方なんですわ。
「それ、メイドさんもだと思いますけど。むやみやたらと感情を出すのを嫌がってるだけで、かなり真面目に受け止めようとしているでしょう?」
「──……そう、ですか?」
感情を露わにするのを嫌がる、のはその通りにございます。美しく在らなければならないわたくしに、余計な感情表現というのは不要なのです。
……ああ、でも言われてみれば。
いつも、最後には軋む体に止められてしまうだけで……結構、考えに耽っていたかもしれません。そう、今もわたくしの体を締め付ける……見えない、糸。
この感覚は一体何なのでしょう。知りたくない。怖い。けれど……〝わたくし〟たちが見ている世界は、見てみたい。
「じゃあ、登ってみるか」
そんな声とともにどれいさまの懐からぱちりと、指を鳴らす音がしたかと思えば、薄氷が張り詰めるような冷たい音を伴ってエメラルド色に煌めく階段が出現しました。
エメラルドの閃光が細い線となって夜空をモチーフにした絵を描き、それがどんどん連なって階段になっていっているのです。手すりも同時に構築されていって、それはなだらかな曲線を描きながら〝わたくし〟の──くらげの頭上へと続いているようでした。
「ほれ、キリキリ登れ柊どれい」
「フザけんな!! せめて降りろ!」
いつものコントはさておいて、惹かれるままにエメラルドの階段にそうっと雪に塗れたスノーブーツを載せる。久方ぶりに感じる安定した床に体重を落ち着けてほうっと息を吐いた矢先、かくんと後ろに倒れそうになって慌てて手すりを掴んだ。
エメラルドの階段が、動き出しておりました。これは──そう、あれです。猫の世界でもタワーで乗った……えぇっと、えれべーたー、です。
重力に圧されるような、前に進むのを抵抗しているような感覚は最初の一瞬だけで、すぐ馴染んで抵抗感を覚えなくなったわたくしはなだらかに昇っていくえれべーたーの手すりにもたれかかって、はるかな彼方へと続くエメラルドの階段に見惚れます。
「エレベーターは上下に移動する箱のことですよ。これはエスカレーターって言います。いやあこりゃ楽だ」
ああ──エスカレーターでしたわね。
十段ほど下のところではどれいさまが相も変わらず館長さまを懐に仕舞ったまま、無心にカメラのシャッターを切っております。くらげへと続くエメラルド色の階段──さぞ、絵になることでしょう。
「そういえば……あの〝わたくし〟は星喰いと呼ばれるほどの危険な生命体なのでございましょう? 近付いても大丈夫なのですか?」
「ワタシを誰だと思っている」
「……そうでしたわね」
杞憂でございますわね、と微笑んだ直後にどれいさまが割と危険な目にも遭ってきたけどな、と胡乱な目つきで館長さまの頬をつねっておいででしたので……多少は、身構えていたほうがいいかもしれませんわね。
なだらかに昇っていくエスカレーターには何の風よけもないのですが、不思議と肌寒さを覚える程度のゆるやかな風しか感じません。これも、館長さまのお力によるものでございましょう。極寒に晒されている状態ですとさすがに、風景を楽しめませんものね。
つい、と顎先を上げる。
はるかな天を遮り悠然と泳ぐ巨大なくらげ。
ちっちっ、ちっちっとリズミカルに煌めく内部のともしびは、一体何を意味しているのか。
──彼は一体、何のためにこの星を凍てつかせて泳ぎ続けているのか。
視線をともにすれば、わかるのでしょうか。
◆◇◆
最初に訪れた海底の世界は、息ができなくなってしまうほどに青すぎるサファイアの世界でした。そこに住まう〝わたくし〟は、海そのものを身に宿し、海そのものを心にも秘めておられる御方でした。世界の果てを夢見て、夢破れて諦観の底に沈もうともなお、また立ち上がる強さを持っておられました。
わたくしが盲ていた彼女の目を治してほしいと館長さまにお願いしたのは正しかったのか、間違っていたのか……今もわかりません。姫君は立ち直りこそしましたけれど……一度夢破れたことに恐怖を覚えておられました。また、同じ〝痛み〟を味わうことを。
体が、強張る。
わたくしも……わたくしが、怖い。わたくしの声が、怖い。わたくしの美しさが……怖い。わたくしの、記憶を取り戻すことが……怖くてたまらない。
けれどあの姫君は立ち直った。
わたくしも、記憶を取り戻しても……立ち直れるのでしょうか。
きしりと、体が軋む。
猫の世界は、たいへん愛くるしくて心癒される世界でした。ぜひ、ぜひまた行きとうございます。猫たる〝わたくし〟もたいへん愛らしゅうて破顔せずにはいられませんでした。
彼女は、恋をしておられました。照れ隠しから自分を偽り、強がりからそっぽを向いておられましたけれど……あの〝わたくし〟は、確かに恋をしておられました。愛しい人、いえ。愛しい猫を見るあの眼差し。この世のどんな美しい宝石よりも輝いていて、それでいて幸福感にも高揚感にも期待感にも満ち溢れていて、眩しいものでございました。
〝恋愛〟については思い出せませんが……あんな風に他人を慕い、信ずることはわたくしにできるのでしょうか? わたくしは……誰かから、慕われ信じられるような人間でしょうか? ──いいえ、そうは思えません。わたくしは美しい。誰よりも優雅で、何よりも華美であると自負しております。けれど……それだけです。
わたくしには、それだけなのです。
……ああ、でも。
〝わたくし〟たちだけは。
館長さまと、どれいさまと、そして……執事さまは。
心の底から、信じられる。
わたくしは信じられないけれど、〝わたくし〟たちのことは信じられる。これは……何故なのでしょう? 同じ自分ですのに、何故……こうも、差異が出るのでしょう?
きしりと、体が軋む。
天国の世界は……最も、わたくしに近いと感じた場所でした。ずきりと、体が引き攣れたように痛む。
ええ。あの時はまともに思考しようとしておりませんでしたが……わたくしは、わたくしに近い場所だと感じたのです。
耽溺するほどの退屈に呑まれておいでだった耽美な〝わたくし〟だけではありません。あの、白すぎる──ただ〝美しい〟を敷き詰めただけの白い空間も、そこに住まう思考なき魂たちも、その全てが。
そう、あの時は明確に口にはいたしませんでしたが──わたくしは、あの世界がどうしようもなく怖くて、嫌いだった。嫌悪してやまなかった。
ただ美しいだけで、そこには何の思想もない。思考もしなければ思案も思慕も思慮も思察も思弁も思念も思惑も──何もない。ただ美しく、ただ楽しんでいるだけの抜け殻のような世界。わたくしも、そう。美しいだけで中身は何もない。記憶がないから、というわけではない。本当に──信念も信条も信仰も信愛も信敬も信義も何も。
きしりと、体が軋む。
ひうんひうんと風を切る音がする。
フードを脱いで露わになったわたくしのツインテールが風に舞って夜空に流曲線を描いている。
くらげは相も変わらず、目的も目標も目当てもなく風に吹かれるまま漂っている。ひうんひうんと、風切音だけが響く。
世界とはかようにも、小さきものなのか。
館長さまが見ておられる〝世界〟とは──こんなに小さいのかもしれない。
「とても、寂しい世界ですわね」
わたくしたちは今、くらげの頭頂部におります。遠くからは薄氷が張り詰めた冷たいガラスのようにも見えていましたがいざ乗ってみるとぶよぶよとしたゼリーのようで、腰を下ろしてみるとなかなか座り心地のいいものでした。
おそらくは館長さまのお力によるものでしょう──高度数万メートルほどにも達しているというのに体が凍てつくことはなく、むしろ心地よささえ覚えます。
視界には弧を描いている地平線が三百六十度全方向に見えていて、余すことなく白い雪原が続いています。眼下から少し視線を上げれば青味がかかった空気の層が見えて、それからだんだん漆黒の夜空へとグラデーションを模していく。そして、頭上には今にも星くずが手のひらに零れ落ちてきそうなほどの、満天の星空。
美しい。
けれど、それだけだ。
胸が透くほど美しい風景なのに──とても寂しい心地になるのです。それはこの世界に、もう〝わたくし〟しかいないからか。
「このクラゲ食べられないものか」
「〝僕〟を食べるって発想が怖いわ」
「滅多になかろう? 〝ワタシ〟を食べる機会なんざ」
「自分の唇の皮でも食べてろよ」
背後から聞こえてくる館長さまとどれいさまのやりとりに時折笑いつつ、わたくしはただ、景色を眺める。
わたくしがこの世界に対して感じる美しさと寂寞は、もしかしたらわたくし以外の誰かが、わたくしを見て感じる感慨と同じなのかもしれない。わたくしは美しい。けれど、それ以外に何があるというのか。
「主であるワタシさえビックリのワガママ」
「意地悪」
「執事もビックリのSっ気アリ」
「食いしん坊」
「柊どれいもツッコミそこねるボケ」
「天邪鬼」
「それらのお言葉、そっくりそのまま貴方がたにお返ししますわ」
そう言って、気付く。
ああ──わたくしは、〝わたくし〟でしたわね。わたくしですもの──当たり前ですのに。ああ──そうです。わたくしは、〝わたくし〟なのです。〝わたくし〟がわたくしであるように。
「このくらげも……〝わたくし〟も、ワガママで、意地悪で、Sっ気に満ちていて、食いしん坊で、ボケ気味で、天邪鬼なところが……あるのでしょうか」
「かもしれんなぁ。脳が存在しないから自我がない、ってのもあくまでワタシたち人間準拠だしなあ」
「……だったら」
──この〝僕〟も、今寂しがってるのかもしれませんね。
そう漏らしたどれいさまの声に呼応するように、くらげの内部がぱちりと虹色に一瞬、弾けるように輝いた。
「…………」
世界は果てしなく無数にあれどもわたくしはひとりしかいない。
そういう、ことなのかもしれません。
「……どれいさま」
「ん? ハイ」
「どれいさまは、ご自分のことをどんな人間だと思っておいででしょうか?」
「──そりゃ、個性のない普通の人間としか思ってませんよ」
そう、常に何かに突っ込まずにはいられないツッコミ星人どれいさまでさえ、ご自分のことを凡庸だと思っておいでなのです。
「ツッコミ星人やめてもらえません?」
わたくしもそう。わたくしは美しい。美しいけれど、それだけだとわたくしは思っておりました。けれど……館長さまとどれいさまは違うと言う。
もしかしたら、わたくしという人間がどういう人物なのか最もわかっていないのはわたくしなのかもしれません。
〝わたくし〟でさえ、わたくしではない。わたくしではあるけれど、わたくしではない。同一ではあるけれど、一致ではない。
ああ、だから館長さまは〝わたくし〟を探して渡界しておられるのですね。異なる世界に住まう〝わたくし〟はわたくしではあるけれど、わたくしではない。だから主観的にも客観的にもなれる。他者を観察し、自分を知るのと何ら変わりない。自分を観察し、自分を知る。
なんだか──腑に落ちた気がします。
当然のことですし、これまでもわかっていたことではあったはずなのに……今、ようやく感覚を掴めた気がします。
「だとしたら、わたくしの中もどれいさまのようなツッコミ星人がおられるのでしょうか? 心底嫌ですわね」
「ひでえ!!」
「フハハ!! 言われてや~んの」
「館長さまにはいらっしゃいますよねツッコミ星人。普通に」
「何……だと……」
フザけんなこの高潔たるワタシのどこに柊どれいが潜んでるというんだ、などとキャンキャン吠えだした館長さまをよそに、わたくしは手袋を外して、そっとくらげの表面を撫ぜた。
氷に触れているようにとても冷たく、けれどゼリーのようにつるりとしていて弾力のある質感に心地よさを覚えつつ、そっと囁く。
「貴方にも、いつか〝仲間〟が見つかると良いですわね」
きいんと、同調するように〝わたくし〟の内部がサファイアに煌めいた。
【孤独】