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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
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【ホワイトアップル】


 天国の果実というものはどれも白く、瑞々しい煌めきに満ちておりました。


「執事さんは?」

「見たくないからと、自室に戻られてしまいました」

「ふぅん……」


 自分図書館の北館、居住区の共有スペース──談話室にて、執事さまを除いたわたくしたち三人はソファに腰掛けてテレビを眺めております。

 夕食にカレーを作りみなさまで頂いた後、デザートでも食べながら天使たる〝わたくし〟の観察でもしようかという館長さまの提案に乗り、こうして談話室にいるわけなのですが……執事さまはやはり、〝わたくし〟に興味はないと去ってしまわれました。


「皮は剥かずそのまま切り分けてみましたけれど……とても不思議なりんごですわね」


 真っ白なりんごと、ただそれだけではない。純白の輝きを放つ果実に包丁を差し入れてみれば黄金の輝きが零れ落ちてくるのです。文字通り、黄金なのです。最初、本物の黄金なのかと思ってしまいましたもの。包丁で切れる時点でそれはありませんけれどもね。


「宝石の世界思い出すな……」

「宝石の世界! 一度行ってみとうございますわ」


 人体含む、世界の全てが鉱物で形成された世界。さぞ、綺麗なことでしょう。どれいさまも写真を撮るためにまた行きたい、と仰いました。


「それで……ミレージュさまはいかほどに?」

「んん、相変わらず退屈そうにしているな。だが、時折ワタシの力の残骸がないか探している」


 無駄だというに、と口を吊り上げて嗤う館長さまから視線をテレビに移せば、相も変わらず耽美なミレージュさまがつまらなさそうに塔の窓から眼下を見下ろしつつ、時折──館長さまが扉を召喚なされた場所に手を彷徨わせておられました。


「それよりもデザートだ、デザート」

「あ、はい。りんご……ホワイトアップル、とでも申せばいいのでしょうか。純白に黄金を閉じ込めたような、美麗な果実にございますね」


 磨き抜かれた黄金そのものの輝きを放つりんごにフォークを突き刺す。金属に突き刺す感触が返ってくることもなく、本物のりんごのようにさくりとフォークが沈む。そのまま、館長さまの口元へ持っていく。

 館長さまがテレビを見たまま口をあんぐりお開けになったので、行儀が悪いとひとこと注意してから、口の中に入れて差し上げました。さくりと、館長さまの歯がりんごを半分に割り砕いて咀嚼する。


「お味はいかがですか? どれいさまにも毒見させていないのですけれど」

「うまいが、それだけだな──おい、ワタシに毒見させたのか!」


 心外とばかりにわたくしを凝視してきた館長さまを無視して、どれいさまに皿を差し出しながら残り半分のりんごを口に含みました。

 うまいが、それだけ。

 ああ──確かにと、思ってしまった。確かに美味なのです。舌を包み込むまろやかな甘さ──けれど、それ以上の情報は何ひとつもたらされない。

 普通のりんごであったならば爽やかな甘みに加えて歯応えのよさ、口内に広かる豊潤な風味、咀嚼しているだけで得られる充足感──それに、腹が満たされるという満腹感。それらが得られます。

 けれど、このりんごには甘みしかございません。口に含んだ瞬間甘みが舌を包み込み、融けゆくのです。咀嚼さえできない。

 本当に〝うまいが、それだけ〟なのです。


「……味気がございませんわね」

「食べた気がしないですね。……いや、天国の魂たちにとってはこれで十分なのか」


 どれいさまの言葉にああ、と合点がいきます。

 死後、余計な欲望や感情を削ぎ落とされた魂たち。彼らはただ楽しく過ごすだけの存在でした。魂の浄化を目的としている彼らに、余分な〝情報〟は不要なのでしょう。ただ楽しく在れるために、うまみだけがあればいい。


「……生きているだけ」


 このりんごも、そうなのでしょうか。

 うまみしか存在しない果実。切り分けた際に種はひとつも見当たらず、種を取り除く行為は必要としませんでした。繁殖せず、身を守ることもせず、ただうまみを与えるためだけに存在している果実。


「桃源郷にはひと口で満腹になる桃の実があるとかいう話があったような……」

「果実にまつわる御伽噺は色々あるな。霊力を得られるだとか、仙人になれるだとか、ゴム人間になるだとか、豆ひと粒で超回復するとか」

「後者ふたつは置いといて。そういう伝説の実ってのがまさにコレなんじゃねえか? 生身の、生きている人間が食べても意味ねえんだ」

「だろうな」


 ひとかけら口にするだけで満足感を得る。


「からくりの世界にあった(かすみ)を食べるような食事。アレだってそうだった。蒸気に含まれたミクロヨクト栄養素と中枢干渉プログラムで栄養補給と満腹感を得られたが、それだけだった」


 からくりの世界……と、いいますと確か、無能チョコなる完全嗜好食のある世界にございましたわね。栄養もカロリーも一切なく、純粋にチョコレートという甘味を楽しむためだけの嗜好食。

 けれどあれは一応、咀嚼して舌の上に転がすという楽しみがございましたし、全て排出されるとはいえ腹にも溜まりました。


「あれはチョコレートとして楽しめましたからよかったんですけどね。本当に蒸気を吸い込むだけで満腹になる食事は食事した気になりませんでしたよ」


 だからかからくりの世界では基本となる、蒸気で栄養を摂る食事以外に、原始的な──つまりわたくしたちの普段食しているお料理を頂くこともあったのだそうです。人間、ただ腹が満たされればそれでいい、とはならないのが人間──と、いうことでございましょうか。


「欲深い、それこそが〝生きている〟だ」

「…………」


 テレビに、視線を移す。

 相も変わらずミレージュさまはつまらなさそうに、耽美で物憂げな表情を浮かべている。その表情に見えますのは、退屈の二文字。

 ──もしかしたら。

 この〝わたくし〟もまた、天国に住まう魂たちと何ら変わらぬ〝生きているだけ〟の存在なのかもしれませんわね。


 ──では。


 では、わたくしは?




 わたくしの、本体は?






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