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自分図書館  作者: 椿 冬華
第一幕 「僕」の章
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【踊るわかめサラダ】


 今日も今日とて、人魚姫は海を揺蕩い堕つ。


「おい〝ワタシ〟、逃げたぞ! 捕まえろ!」

「うおっとっと──ほら! 食え!」


 逃げ出そうと貝殻の皿から飛び出したわかめを二又のフォークで突き刺して、そのまま館長の口に突っ込む。

 〝僕〟──館長は魔法が使えるのだから自力で捕まえられそうなものだが、なんせここは異世界。腕の使えない館長の代わりに僕が右往左往しているというワケだ。

 今までどうしてたんだって聞いたら、幻覚で腕があるかのように見せかけていたとのこと──ならそうすればいいのに、と思ったがそうすると僕の仕事がなくなるので、黙っておいた。

 僕の仕事は館長の補佐──あ、いえ。雑用です。

 同じ〝僕〟ということもあって、館長の兄という設定にしても違和感がないから、そうしてここでは兄妹設定で過ごしている。館長に命じられるままに宿を取ったり、必要な物資を調達して鞄(四次元ポケット風鞄と言っていた。著作権的に大丈夫なのだろうか)に詰め込んだり。

 宿の部屋? 一緒だよ。〝僕〟相手に発情できる人間なんて──いるのかもしれないが、少なくとも僕は無理だ。自分だぞ。確かに館長は女だが、自分なんだぞ。どう足掻いても館長は〝僕〟だ。僕相手にその気になれってキツい。


「〝踊るわかめサラダ〟っていうか、〝逃げるわかめを捕食しろサラダ〟だよな」


 現在地、二等地のちょっとしたホテル〝パールプレゼント〟の食堂。

 現在時刻、たぶん朝。この世界に朝とか夜とかの概念はなくて、珊瑚花(コーロワーフ)という淡い桃色の花が眠る時間には人魚たちも眠るようにしている、らしい。不思議な世界である。

 ともあれ。今は食堂で館長とともに朝食を摂っているところだ。〝踊るわかめサラダ〟とかいう面白いメニューを出されて、ただ今捕食中である。間違っても摂食ではない。捕食だ。だってわかめ逃げるんだもの。


「だが美味い」

「確かに。この……ピリッとしたスパイスがまたたまらないというか」


 暴れるわかめを口内に押し込んで歯を合わせれば、ピリッと唐辛子のようなスパイスとライムのような酸っぱさが海藻特有の柔らかくも弾力ある歯ごたえとともに口内に広がる。暴れるわかめを大人しくさせるのに少々時間を要するが、なかなか美味しい。


「生きたものをそのまま食べることに忌避感もない、と」

「ん? ──……、……そういえば、そうだな。特にない。同じ人間を食べろって言われたら拒絶するが……」


 どうやら僕には動植物に対して過剰な愛護精神はないらしい。新発見だ。


「パリメと合わせて食べてもうまいな」

「パリメ? ……ああ、このパリパリ麺か。ん、確かにわかめと合う」

「トメロ寄越せトメロ」

「トメロ……ああ、トマトか。はいはい。ほれ」


 館長への給餌(きゅうじ)も手馴れたもので、館長の口内から食べ物が消えたタイミングを見計らって次を与えてやれるようイダッ!!

 尾びれでタコ足を蹴られた。


「本物のタコにして逆にワタシが給餌してやろうか? え?」

「心読むな」


 上半身もタコにはなりたくないです、ごめんなさい。


「──今日も姫さまが堕ちてくるわ」


 ふと、食堂でテーブルを拭いていた給仕が窓から外を眺めて、ぽつりと呟く。

 窓の外には──今日も今日とて、海を揺蕩い堕つる人魚姫の姿。

 ここ溶液基盤系列界第二種 №1894に滞在して三日。〝僕〟──レミリナ姫は毎日のように〝果て〟を目指して上へ昇っては、冷たい流れに遮られて堕ちていた。時には冷たい水に全身を切り刻まれて血まみれになるというのに、レミリナ姫は諦めない。

 諦めず、今日も天に手を伸ばした。

 そして、今日も天に届かず堕ちた。


「〝人魚姫は今日も堕つる〟──あの諦めの悪さ、とても真似できないな」

「……そうか?」


 館長も十分、諦めが悪い部類だと思う。

 図書館にあったあの時計を信じるなら、館長は四百年以上も〝自分〟を探し続けていることになる。十分──諦めが悪いと思う。


「そう言うお前は、淡泊だな」

「淡泊……そう、かもしれないな」


 レミリナ姫。〝果て〟を夢見て天を目指す人魚姫。

 館長。〝自分〟を探し求めて世界を渡り歩く魔女。

 どちらに対しても──大した感動も感慨も、抱かないから。

 けれど、見ていたいとは思う。そう、見ていたい。ずっと──見ていたい。窓の外から見える、海を揺蕩い堕つる人魚姫をずっとこの目に焼き付けておきたい。何故なのかと言われても、わからないのだけれど。

 いつの間にか胸元で宙を掻いていた右手を二又のフォークに戻して、わかめに突き刺す。ぴちぴちとわかめが跳ねる。暴れ狂う暴れ狂う。びったんびったんもがく。衝撃でトマトっぽいのやレタスっぽいのが宙を舞っていく。海中なのでゆったりとした速度で散らばっていく。とりあえず、トマトを左手で掴んで口に放り込む。続けて、わかめも詰め込む。うん、うまい。空いた二又フォークをレタスに突き刺して皿に戻す。よし。


「……馴染むのが早いな」

「そんなことはないと思うが」


 記憶がないというのは、強みだろうと思う。

 記憶がないということは前提がないということ。〝常識〟という知識は確かに僕の中に残っている。だがそれは決して前提ではないのだ。あくまで知識のひとつ。


「──正直、未だに現実感がないからな」

「それはワタシもだよ、〝ワタシ〟」


 そう、現実感がない。

 夢見る人魚姫のことをこうやって揶揄ってはいるけれど──そうしている僕らこそが、まるで夢の中にいるような心地なのだ。

 これは紛れもない現実だ。

 けれど同時に、夢の中にいるような心地にもある。


「記憶喪失というのはそういうことなんだろうよ。ワタシたちの中にある知識や常識と、何もない記憶が矛盾して違和感を生んでいるんだ」


 違和感。

 ──ああ、違和感だ。夢の中にいるようなと呼称するよりは、常に違和感の中にあると呼称した方がしっくりくる。ふわふわむずむずするんだよな、なんか。


「今日の昼は貝の溶岩ムニエル食べに行くか」

「食べに行くことしか頭にねぇなお前」


 レミリナ姫を目にしたの、この三日でたぶん一時間にも満たねぇぞおい。


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