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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
58/138

【ヒト用キャットフード】


「召し上がれ」


 ことり、と執事さまの前に深皿を置きます。

 そこに盛りつけられていますのは、なんともカリッとした歯応えが美味しそうなキャットフード。いわゆるカリカリにございます。


「何の嫌がらせだ」


 読書をしておいでだった執事さまはひと目、カリカリを見てからそれはそれは嫌そうに眉間に皺を寄せました。一応、カリカリという概念はご存じのようです。


「館長に食べさせられたことがあるからな。あの時はドッグフードだったか……」

「まあ」


 それはそれは、見てみたかったですわね。


「執事さんって館長の言うことは聞くよな。一応」

「曲がりなりにも主人であるからな。〝我輩〟とはいえ、一応」


 時刻的には昼下がり、といったところでしょうか。談話室で各々、のんびりと好きに過ごしていらっしゃるところにおやつとしてカリカリを差し入れた次第です。


「ご安心なさいませ、人間用に味と栄養を調整されたものですわ」


 そう言いながら、そっとひと粒摘んで口に運ぶ。あちらの世界でも口にいたしましたが、最初こそ動揺と抵抗があったものの、いったん口にしてしまえば低カロリーでたいへん美味なスナックとして楽しめました。

 今回ご用意いたしましたのはマグロ味のカリカリ。本物のカリカリの方は芳醇な魚の香りが些か過ぎるほどに過ぎるのですが、人間用に調整されたこちらはささやかなツナの香りがするのみで、それも好ましく思います。

 食感は少し硬いクッキー、そうですね……乾パン、というものを館長さまがくださったことがありますが、あれに近うございます。けれど風味は乾パンのそれとは比べ物にならないほど詰まっています。煮干しを砕いてスナックにしたような、とても味わい深い風味でとても好ましいですわ。

 どれいさまと館長さまも躊躇することなくポリポリと召し上がっているのを見てか、執事さまも訝しみつつ数個口に放り込み、それからわたくしにジンジャーエールの催促をしてきました。炭酸が欲しくなる味ですものね。ですが面倒臭いですわ、ご自分で用意なさいませ。


「ドレミさまはカリカリよりもトロトロの方がお好みで、レンさまは──」


 その瞬間でした。

 執事さまの目が最大限にまで見開かれ、目に見えて震えたのです。あまりにもわかりやすい、動揺らしい動揺にございました。

 思わず言葉を止めてしまったわたくしと、ふいに落ちた沈黙に疑問を抱いてか怪訝そうにこちらを見つめているどれいさまと館長さまに構うことなく、執事さまはかすかに戦慄(わなな)く唇で〝れん〟と、そう口にいたしました。


「それは、どういう」

「レンさま、にございますか? ドレミさまの恋人であらせられる……オス猫にございます」

「……猫」

「ええ。ドレミさまも猫にございましたし」

「……、…………そう、か」


 それきり沈黙してしまわれた執事さまの表情は、何処かひどく沈痛そうで。いえ……沈痛、だけで表現するには……複雑すぎる、様々な感情が入り乱れているように思います。けれど……わたくしには、それが何なのかわからない。〝わたくし〟のことなのに……わからない。


「…………」


 ドレミさまとレンさま。たいへん仲睦まじい、初々しいカップルにございました。誰かを愛し、恋い慕う。わたくしにはまだ、それが一体どういうものなのかわかりません。わかろうにも、わたくしの声で掻き消されてしまうのですけれど。


「……執事さまは」

「何であるか」


 小憎らしいことに、先ほどまでの動揺を既になかったことにしてしまわれている執事さまに〝わたくし〟以外を愛したことはあるのかと問います。


「さあな」


 ああ、やはり動揺が抜けきらなかったご様子。

 普段ならば〝我輩以外を愛するわけがなかろう〟などと仰るでしょうに。記憶がないとはいえ、経験は残る──もしかしたら執事さまには、どなたか愛された方がいらっしゃったのかもしれません。

 できることならば、そのあたりの感情について詳しくお伺いしたいのですけれど。


「おいどれい、口元に食べかすがついておるではないか。さては我輩に取ってほしくてわざとつけたな? 望み通り取ってやろう、舌でな」

「やめろぉおおおぉおおぉおおお!!」


 ──残念ながら、執事さまはそのあたりについて触れられたくないようですわね。

 同じ〝わたくし〟でも……かように感情の幅と質が違う。

 まっこと、不思議ですわね。


「それで、どうなのだ」

「はい?」

「貴様は〝我輩〟を嫌悪しておろう。そんな貴様もすっかり〝我輩〟に(まみ)えることに抵抗がなくなったのではないか?」

「……そうですわね」


 何度も思ったことにございます。以前のわたくしはあんなにも、〝わたくし〟を知ることを嫌悪しておりました。だからどれいさまのお誘いを断り続け、頑なに世界を渡ろうとしませんでした。

 ですが……今はそのような心境に陥ることがなくなったように思います。わたくしはやはり、わたくしを知りたくない。知るのが怖い。嫌悪してやまない。美しいけれど、それだけのハリボテのような存在にしか思えない。

 けれど、〝わたくし〟たちは違う。

 今にして思えば、館長さまや執事さま、そしてどれいさまに対してもそうでしたから、考えればわかることだったのですけれど。

 わたくしは嫌い。

 けれど、〝わたくし〟は嫌いではない。むしろ、好ましく思う方が多いように思う。

 どちらもわたくしです。わたくしは〝わたくし〟であり、〝わたくし〟はわたくしです。自分です。それなのに、何なのでしょうかこの差異は。

 ──まっこと、不思議にございます。


「次の世界はどのようなところなのでしょうね」


 不思議で奇妙で奇天烈で、それでいて新たな〝世界〟と見知らぬ〝わたくし〟に心躍ってやまない。

 美しいだけのわたくしとは違う、ありとあらゆる魅力にあふれた〝わたくし〟──ああ、楽しみ。





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