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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
57/138

【猫型フィッシュサンド】


「無礼者ッ!!」


 思わず、叫んでしまいました。

 しかしそんなわたくしの怒りなど素知らぬとばかりに執事さまはなおも、猫型フィッシュサンドに容赦なくナイフを入れていきます。どれいさまはわたくしの怒声にびっくりしてか、手にもっていた猫型フィッシュサンドを館長さまの鼻先に突っ込んでおりました。


「このままでは大きくて食べづらかろう」

「少しは情緒というものを持ってはいかが? せっかく買ってまいりました猫型の食パンですのよ」


 あのかわいらしいもふもふで溢れた世界から図書室に戻ってきた翌朝──ええ、執事さまと情欲を貪り合った翌朝のことにございます。

 愛を確かめ合ったわけではございませんので余韻も何もないのですけれど、つい今朝がたに口づけを贈った相手へ贈る言葉ではありませんわね。ですが言わずにはいられません。なんなら、何度でも言いましょう。


「無礼者!!」

「そう喚くことか? 本物の猫にナイフを入れたわけでもあるまい」

「このおかわいらしい形を視覚でまず楽しむ、その心情がない執事さまには心底失望いたしましたわ!」


 本日の朝食は猫の世界で購入しました猫型の食パンを用いた、白身フライのホットサンド。オードソックスな地球系列平行世界ということもあり、手に入れた食材はこちらの図書館でも多用するものを多く手に入れられました。

 食材は名前こそ違えど基本、わたくしの中にある常識と似通ってはいましたが……ミルクが白かったのは驚きましたわね。普通、ローズ色ですもの。血液の成分とたいへん近うございますもの。この百年ですっかり慣れてしまいましたけれど。


「あやつらのように下品に食べておらぬのだ。よかろう」

「もキュッ?」


 どれいさまに食べさせてもらい、口周りをスクランブルエッグまみれにしておられる館長さまが目を見張りました。館長さまが常識外れなのはいつものことにございます。


「おい! 常識外れっていつもそんな目でワタシを見てたのか!?」

「その通りじゃねえか」

「何を言うか! 常識がワタシに耐えられなくて壊れるもんだろうが! ワタシが常識から外れているのではない! 常識が勝手に散っていくのだ!」

「そっちか」


 全く、相変わらずですこと。


「館長さまもどれいさまも十分堪能しましたもの。どれいさまなんか、あちらの世界でいただいたカフェのホットサンドを〝むっちゃ映える!!〟などと言いながら撮っておられましたのよ」

「ハエのようにか」

「ハエじゃねえ!! 料理も一種の芸術だ。粗末にするわけじゃなし、周囲に迷惑をかけるわけじゃなし──節度を守った上で僕はだな」

「ところでメイド、我輩の部屋に猫型のクッションがあったのだが」

「無視すんな!!」


 世界が変わろうと変わらずフギャフギャ鳴いておられるどれいさまをよそに、執事さまの向かい側に座ってまずひと口、珈琲を啜る。新品の、猫の肉球をイメージして(こしら)えられたカップ&ソーサーセットがわたくしの心を弾ませてくださいます。

 続けて、猫型フィッシュサンドに視線を落としてまずはじっくり、そのおかわいらしい形を愛でる。これを食べてしまうのはたいへん勿体ない──けれど粗末にもできません。名残惜しい気持ちを抑えて、テーブルナイフを手に取って丁寧に三分割する。

 ナプキンを手に取って、ひとかけら包み込んでパンくずが零れ落ちないようにしてから口に運ぶ。あえてサンドイッチからはみ出させておいたナプキンの先端で口元を隠しながらかぶりつけば、さっくりとしたパン生地とバターの香り引き立つスクランブルエッグ、それにタルタルソースが程よく絡んだ白身フライがわたくしに幸福感を与えてくれる。

 我ながら美味だと称賛いたしますわ、ええ。タルタルソースも、館長さまがマヨネーズとたまごをベースに、オニオンは少なめにしたものを好みますのでそれをお作りしましたけれど、これもたいへん美味しゅうございますわね。新鮮なトマトとシャキシャキとしたレタスも実に美味しゅうございます。


「おかわいらしいクッションにございましょう?」

「今頃答えるでない。無視したのかと思ったぞ」

「まあ。無視されたとショックをお受けになりましたの? それはそれはごめんあそばせ──わたくし、とてもお腹が空いておりましたの」


 猫の世界では様々な猫グッズを購入いたしました。執事さまのお部屋は些か、可愛げがございませんので猫のクッションをそっと添えてみました。つぶらな目がたいへんかわいらしい大きなクッションですのよ。わたくしの部屋にはもちっとした弾力がなんともたまらない肉球の抱き枕を追加しました。


「そういえば、ぬいぐるみは買いませんでしたね。クッションも自分用のは買っていませんでしたし」

「──……」


 どれいさまの何気ない言葉に、思考がふっと途切れた。

 ぬいぐるみ。

 ぬいぐるみ。

 お人形。

 人形。


 仮初(かりそめ)蒼玉(サファイア)




 わたくしは、美しい。




 あでやかな、紅蓮の火焔よりも紅い唇が弧を描いている。


「メイド」


 執事さまの声にはっと顔を上げる。

 執事さまの薄い、薄氷のようなグレーの眼差しがわたくしをまっすぐ見据えていた。ああ──いけません、ぼうっとしていたようです。サンドイッチの中身が少々零れて、皿に落ちてしまっておりました。


「ええ……ぬいぐるみは、焼き尽くしたいほど嫌いでございますから」


 かろうじてそれだけ口にして、細く息を吐いて自分の心を落ち着ける。

 ……そうなのです。以前……どれいさまがいらっしゃるよりもずっと前、館長さまがお土産にテディベアをくださったことがありました。


 それを、わたくしは拒絶しました。


 何故なのかはわかりません。無為のうちに、いらないと館長さまに突き返してしまったのです。館長さまは気を悪くすることもなく、ぬいぐるみをご自分の部屋に持ち帰りましたが……。

 ……ぬいぐるみを前にすると、体が軋むのは何故なのでしょう。

 息ができなくなるほど軋んで、(くび)られているのかと思うくらい息苦しくなって、それなのにもがくことも足掻くこともできずただただ硬直するしかできなくて。

 ……そんな折に聞こえるのはいつだってわたくしの声。とてもつややかで、鈴の鳴るような……わたくしの、美しさに酔いしれる声。


 ……ああ、やはりわたくしはわたくしが嫌いだ。




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