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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
56/138

【サンマのまたたびまぶし】


 はたと気付けば、レンさまとどれいさまが複数の猫と喧嘩しておりました。


「みゃ……?」

「みゃう? みゃっ」(あっ、気付いた!? も~またたびに弱いなら弱いって言いなさいよ!)


 てしてし、とドレミさまがかわいらしい猫パンチを繰り出してくるのを呆然と眺めつつ、ふぎゃふぎゃとなにやらかぐわしい匂いのするお魚を無心に食べておられる館長さまに目を向け──ああ、このにおい……。


「シャー!」(嗅ぐな!! アンタまたたびに弱いんでしょっ!)

「みゃっ」(あ……ああ、そうでございました。またたびは……猫にとってのアルコール、なのでございましたね)


 よく思い出せない……のですが、店員のかたがサンマのまたたびまぶし、なるお料理を運んできたのは覚えております。またたびというのは猫にとってのお酒のようなものらしく……わたくし、お酒には弱いので……おそらく、酔ってしまった、のでしょう。

 酔ってしまうと記憶が飛んでしまうのですが……執事さま曰く、とんでもない酒乱……なのだそうで。


「みゃう……」(何かご迷惑を……)

「みゃっ!」(迷惑ってか、アンタのフェロモンでオスどもが発情しちゃってさ。今アイツらがなだめてるから)


 発情……ああ、本当です。レンさまやどれいさまと喧嘩しておられる猫たちの……その、雄々しい部分が。


「みゃう、んみ」(申し訳ございません。ご迷惑をおかけしたようで……)

「んにゃっ」(いーわよ別に! アンタも災難ね~余計なオスの種貰わないように気をつけなさいよ)

「んみー」(ええ、承知いたしましたわ。それにしても……どれいさまはともかく、レンさまは影響なかったのですね)

「んにゃっ? にゃ……みゃう!」(最初はすごくびっくりしてたけど……ワタシの首咬んで抑えたみたい。痛かったわよもー! 自分のシッポ咬めっての!)


 首を……咬む。

 わたくしの常識ですと猫は交尾の際にメスが逃げないよう首筋を咬む……のですけれど、こちらでもそうなのでしょうか。そうだとしたら……たいへん、申し訳ないことをしてしまいましたわね。生殺し……。


「みゃーお」(落ち着いたんならほらこっち! おなかすいたでしょ? またたびないヤツもあるから!)

「みゃ」(ありがとうございます)


 猫……のお料理を食べても大丈夫なのでしょうか? いえ、館長さまががっついておられますし問題はないのでしょうけれども……。

 ドレミさまに促されて向かった先には炙ったサンマの切り身に鰹節をまぶしたものがございました。人間のそれよりもはるかに優れている猫の嗅覚は豊満な潮の香りを胸いっぱいに満たしてくれるが、些か匂いが過ぎて口内まで充満した気になってしまって少し眩暈がする。潮の香りだけでなく、おそらくこれらが入っていたのであろう缶詰の無機質な香りに若干化合物臭い……おそらく用意した人間の香り、もこびりついていて、なるほどこうやって情報を得るのかとひとり合点する。

 人間の食の豊かさというのは、その嗅覚の鈍さからも来ているのかもしれませんわね。


「ナーオ」(納豆とかくさやとか食べるけどな)

「みゃうっ」(館長さま、匂いますわよ。近寄らないでくださいませ)


 またたびの酔いしれるような匂いが漂って慌てて距離を取るわたくしに、館長さまはガーンと口にしつつよたよたと数歩歩いて、ヨヨヨと大袈裟に泣き崩れました。けれど無視してサンマに鼻先を近づけます。ドレミさまも無視して、食べなさいよと促してきました。後ろでまた館長さまがガビーンなどと口にしていた気がしますが、虫の羽音と思うことにいたしましょう。ああ、ちなみに猫ですので当然、〝ギニャーン〟〝ギニャビーン〟という間抜けな音になっております。

 それはどうでもよろしいこと。

 さて、サンマ。直喰いというのはわたくしの美学に反するのですけれど……今は猫。猫の美学に則って……えぇっと。舌のざらついた表面を利用して、長い舌で掬い上げるように──けれど舌が見えぬよう手早く。


「みゃうん」(キレイに食べるわね~。相当いい血筋の生まれでしょ?)


 ドレミさまが見守る中、どうにかひと口含んだわたくしは頭を戻して、ゆっくり舌の上でサンマを転がしながら咀嚼する。人間のそれと違って構造的に口を閉じて食べることが叶わないため、零さないよう細心の注意を払って喉奥に滑らせ──呑み込む。

 猫の舌というのは人間の舌に比べると感じられる()()()というのが少ないようです。嗅覚は鋭いが、味覚は鈍い。嗅覚で毒物を避け、生きるための糧がどんなに不味かろうと食べられるよう。そんな、生存本能による進化なのかもしれません。

 なので猫用のごはん、というのはあまり気になりませんでした。匂いこそ飽満なのですけれど、味はむしろ薄いのです。お魚の切り身を味付けなしで食べているような……あっさりとした風味で、匂いのほうを我慢すればむしろ好ましく思えます。


「みー」(美味しゅうございますね)

「ナァン!」(でしょっ。ワタシの大好物なんだ、コレ。またたびまぶしの方が好きなんだけど、カツオもいいわよね)


 ドレミさまがそう言いながらゴロゴロと喉を鳴らしてわたくしにすり寄ってきました。〝わたくし〟だからとはいえ、だいぶん気を許してくださっているご様子に思わず胸が温かくなります。


「フギャォオ!!」(館長ぉ!! 少しくらい助けろっ!!)

「ナ」(愚か者どもめが)


 と、ようやくオス猫たちの興奮を抑えつけられたようでどれいさまとレンさまが揃ってわたくしたちの元へやってきました。お腹を曝け出して寝転がっている館長さまにどれいさまが飛び掛かっていくのを横目に、レンさまに頭を下げます。


「みゃうん」(ドレミさまより事情はお伺いいたしました。ご迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ございません)

「ナ」(気にするな)


 レンさまは素っ気なく鼻を鳴らして、ドレミさまにがぶりと咬みついて懐の中に収めたかと思えば強引に毛づくろいを始めてしまわれました。ドレミさまは最初こそフシャフシャとがなっておいででしたが、毛づくろいが始まるとゴロゴロと喉を鳴らして甘受するようになってしまっておりました。

 そんなおふたりの関係にくすりと笑いつつ、サンマにまた口元を近づけます。


 ──ええ、猫の体も悪くないですわね。




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