第三自我 【神とも呼ぶべき自我】
第三自我 【神とも呼ぶべき自我】
にゃーにゃー。
にゃーにゃにゃにゃーん。
にゃっにゃっにゃんっにゃにゃにゃーお!
「唄うなら真面目に唄え」
猫にまみれたどれいさまが真顔で館長さまにツッコミを入れました。おかわいらしいからこれはこれでよいと思うのですけれど。
海の世界より帰ってきて一週間後、今度は地球系列平行世界第十三種 №524──ネコと和解せよ世界。意味が全然わかりませんでしたけれど、こちら──どれいさまの世界とそっくり同じ構造をしておられる〝地球〟なる世界で、どれいさまの世界と異なるのは、猫を唯一神ないしは最高神と定めておられる点とか。
わたくしの常識にも猫という生き物は存在しております。猫人が使役する魔物、という認識でございましたが、どうやらこの世界において──地球において、猫とは愛玩動物であり、おともとして使役する習慣はないとのことでした。
二足歩行をしない猫はたいへん新鮮でございましたが、これはこれでたいへん愛らしゅうて、思わず表情が綻んでしまいます。
「──かようにも素敵な場所でございましたのね、〝猫カフェ〟」
そうなのです。ずいぶん前、もしも異世界に行くならばどのような世界に行きたいかとどれいさまに問われて、わたくしは猫カフェに行きたいと答えました。
なので今回、館長さまが猫まみれなこの世界を選んだというわけなのです。
ええ、猫まみれなのです。にゃんこまみれなのです。にゃーにゃーなのです。降り立った瞬間から道は猫で溢れていて、気ままにのびやかと過ごす猫に心癒されつつ入ったカフェでは接客慣れした猫たちに出迎えられ、猫にうずもれ、にゃーにゃーもふもふ天国でわたくし、わたくし──
「かわいいぃ……」
かしゃっ、と音がしてはっと顔を上げたら、どれいさまが意地悪そうに笑いながらカメラをわたくしに向けておりました。まさか──まさか、今の、ゆるみきったはしたない顔を……!!
「ど、どれいさま! いけません、今の写真はお消しになってください!
「まあまあ。かわいいですよ。〝僕〟に言うのもアレですが」
「消しなさい下郎ッ!!」
──いけません、わたくしとしたことが。あくまで優雅に、あくまで華美に。美しいわたくしは美しく在らねば。
「下郎って……メイドさん、美人ですからどんな顔をしたって絵になりますよ。角度を意識しないと美人になれない素人と違って」
「──いけません。わたくしは常に完璧で在らねばならないのです。わたくしは、少しの乱れもあってはいけないのです。わたくしの美しさはそう、陶器のようなもの──陶器がかたちを変えては体裁を保てなくなるように、わたくしもふっ」
顔面になにやらやわらかな毛皮が押し付けられて言葉が途切れました。慌ててそのあたたかな毛皮を剥ぎ取ってみれば、みゃあんと〝わたくし〟がわたくしを見上げて鳴きました。一瞬、手鏡でも持っているのかと錯覚して──すぐ、〝わたくし〟なのだと思い直します。
「ねこ……」
「ええ。この世界の〝僕〟は猫だそうで」
真っ黒な、闇夜を煮詰めたような──館長さまのおぐしそっくりの毛皮をお持ちの、これまた真っ黒でまん丸でおおきな瞳が愛らしい、ちいさな仔猫。
それがわたくしを見上げて、不審げに鳴いております。何度も鼻先をわたくしに近付けてはふんふんと匂いを嗅ぎ、こてり、またこてりと何度も、何度も首を傾げる。
「……っ」
「ええ……〝僕〟ながらカワイイですよね」
たぶん〝僕〟らを前に、一体どういう存在なのか理解できなくてこんな仕草をするんでしょうねと仰って、どれいさまは他の仔猫を持ち上げて撫でくり回し始めました。
──こちらは日本という国の、えぇっと……京都、という街にある猫カフェタワー〝京都キャットタワー〟という施設にございます。街中を自由に往来する気紛れな猫たち……えぇっと、〝自由猫〟と違い、人に接することを好む〝守護猫〟たちが暮らしています。予約制のカフェになっておりまして、予約を取れればひと時の天国を味わえると人気があるそうなのです。
「確かに……天国で、ございますわね」
右を見ても左を見ても上を見ても下を見てもにゃんこ。にゃんこたちのお出迎えと接待で全身ぬっこぬこのもっふもふにされてもう──いけない。しっかりするのです、わたくし。
「ドレミちゃんに気に入られたみたいですね~」
店員──いえ、ここでは確か〝猫の下僕〟と呼ぶんでしたか……。えぇっと、下僕さまがにこにことわたくしに話しかけてきました。この黒い仔猫──〝わたくし〟はどうやら、ドレミと仰るようです。
「新しくお祀りになったお猫さまなんですけど、まだ下僕に慣れていなくて……」
わたくしはこの下僕さまの方が慣れませんわ。
「へぇ、意外ですね。メイドさんなら喜んで跪け下僕ってやるかと」
「跪きなさいませ下僕風情が」
「僕に言うな」
「だってどれいさまに言いたいと思いましたもの」
ええ。ヒールの下に敷くならばどれいさまか執事さまですわね。他者は……正直、あまりお近づきになりたいとは思いませんわね。会話程度ならばいいのですけれど。
〝わたくし〟相手ならばそういう気分になれるのかと言われますと、それも違いますわね。館長さまは多少いじめたくなる時はございますが踏みつけたいとは思いませんし、この仔猫だってそうです。
「執事さんに影響されたんじゃないですか?」
「……それは、あるかもしれませんわね。執事さまとも応酬はしておりますもの」
わたくしがどういう性格であったのか、わたくしにはわからない。
ただ、執事さまのような嗜虐的嗜好には少し同調できるところがございましたので、執事さまに倣ってどれいさまをいじめておりましたけれど。
……果たして、本当のわたくしはどういう性格なのでしょうか。
「いや、そういう性格でしょう。執事さんに同調できちゃう程度にはサドってことですよ」
記憶がなくたってそこんとこはわかるもんです──そう仰って、どれいさまは頭によじ登ろうとする多数の仔猫たちをまとめてころころクッションの上に転がして、わちゃわちゃとまたもや撫でくり回し始めました。……動物お好きなのですね。
「メイドさんもでしょう? 猫カフェ行きたいって言ってましたし」
「ええ。けれどわたくしの常識の中で……猫とは二本足で立ち、人語は喋れずともわたくしたちの言葉を理解し、多少気紛れなふしがあるものの主人の言うことを忠実に守る……そんな魔物にございます」
「魔物!? ……うっわぁ、寿命が三百年って時点でファンタジーな世界だろうとは思ってましたけど魔物までいるんですね」
「わたくしからすれば百年も生きられないことの方が驚きですわよ。そんなに短くては成人する前に死んでしまうではありませんか」
「いやいや……僕らの成人年齢は二十歳ですから」
「まあ……幼児で成人……大変、ですのね」
「いやいや……うん、常識が違うってこういうことだよな」
何やら苦笑なさっているどれいさまがテーブルを指差して、食事が来ていることを教えてくれましたのでひとまず、ドレミさまをお胸にお抱きしたままテーブルに移動します。
相変わらずわたくしを見上げてはふしゃふしゃ鳴き、けれど離れることも咬みつくこともせずしきりに首を傾げておられるドレミさまに癒されつつ、注文した珈琲を啜ります。
「ふー。なかなかいい勝負だった」
そんな声とともに、全身ひっかき傷まみれの館長さまが向かい側に座ってきて、どれいさまが何してたんだよと即座にツッコミを入れました。しばらく反応がないと思っていましたら……。
「外をうろついてるボス猫がいてな、ちょっと威嚇し合ってたら戦争にな」
「本当に何してんだよ館長。──この世界じゃ猫が神なんだろ? そんなことして大丈夫なのか?」
「もちろん殺すのはご法度だ。だが〝猫になりきって同じ目線に立つ〟のは禁じられていない。むしろ推奨されていて、猫社会を知る授業もあるくらいだ」
「マジかよ」
猫心理という独立した学問が存在していて、義務教育における必須科目のひとつだそうです。
「猫に関する法律も多々ある。人権以上に猫権が保証されているほどだ。本来、環境に適応した宗教が各地で発展していくものだがこの世界においては源流となる古代信仰がどれも〝猫〟を唯一神ないしは最高神としている」
宗教──わたくしの常識にもございます。
確かに、地域によって根付く宗教は異なります。自然災害が多い地域では自然を畏れる宗教が、魔物被害が多い地域では魔なるモノを畏れる宗教が、というように環境とそこに根付く人々の性質で信仰するものが異なります。わたくしは──何を、信仰していたのでしょうか。
ドレミさまを撫ぜながらわたくしの中にある信仰心を思い出そうとするも、脳裏に蘇るのはいつだってわたくしの声。
わたくしは、美しい。
──赤い、紅い、朱い緋い赫いくちびる。
「メイドさん?」
はっと我に返ったわたくしの眼前でドレミさまがどれいさまの手のひらの中でぐでんぐでんに蕩けておりました。どれいさまのテクに堕ちたようです。
──意識を思考に集中させていたのはほんの一瞬だったような気がしますが、知らず知らずぼうっとしていたのかもしれません。いけません──せっかくの猫カフェ。楽しまなくては。
「そうだな、せっかくの世界だ。どうせなら神になってみようか」
「え?」「は?」
わたくしとどれいさまの声が重なった次の刹那には、もう館長さまの魔法がわたくしたちの体を包み切っておりました。猫の世界だからでしょうか、ネオンに煌めく猫のマークが魔法陣にちりばめられていて──かわいい、と思った時には視線がドレミさまと同じ位置にまで落ちていました。
何が、と声を上げようとして喉から押し出されたのはみゃあ、というなんとも愛くるしい声で。
「みゃう?」
「ふぎゃっ!? ぎにゃっ、にゃああああ!!」
状況を把握できないわたくしの前にはドレミさまと──はて、ドレミさまはこんなに大きかったでしょうか。それに……〝わたくし〟がもう一匹? 見慣れない、橙色と茜色に赤褐色色の……夕焼け空のような色合いの毛皮をお持ちでいらっしゃる猫も隣にいました。その猫を一目見て、すぐドレミさまと同じく〝わたくし〟だとわかりました。わかったのですが……世界に〝わたくし〟は確か、ふつう……おひとりだけ、だったはず。
その夕焼け色の猫は何やら叫んでいて、少し離れたところにいる〝わたくし〟に威嚇を──あら? 〝わたくし〟が、もう一匹。あちらのは長毛種の黒猫にございますね。わたくしのよく知る二足歩行の猫です。
あっ、違います。腕を縛っていて二足歩行にならざるを得ない感じで、よたよたと二足歩行を──腕を?
「みゃああぅ?」
館長さま? と言おうとして、また言葉が形にならず愛くるしい声が出てしまう。
そこでようやく、わたくしは自分の体を見下ろしました。
猫になっていました。
ぶみゃ、と不覚にも美しくない声が出てしまって、慌てて口を噤む。サファイアのタイリボンを首輪代わりにつけている体は青みがかかったくすんだ灰色の短い毛に覆われていて、とてもしなやかでスタイリッシュな出で立ちです。
と、ドレミさまがてぽてぽとわたくしの元にやってきました──わたくしの半分ほどの大きさしかありませんわね。比較するに、わたくしは成猫サイズと思われます。
「ぶぎゃー! ぶみゃっみゃう!」
夕焼け色の猫が毛を逆立ててぎゃんぎゃんと黒猫に威嚇をする──こちらはどれいさま、ですわよね。〝わたくし〟だとわかるから云々以前に、なんといいますか──このちょこまかぴょんぴょんとツッコミを入れるご様子が、とても、非常に、どれいさまらしいのです。
館長さまがわたくしたちを猫にしてしまった、というところでしょうか。しかし問おうにも言葉が出ないのでは……。
「にゃっふー! にゃふ!」(レッツ通訳! 憑訳じゃないぞ!)
「ふぎゃっ! なーお!」(うぉあびっくりした! 意味わかんねえこと言うな!)
「みゃっ……みゃぁおぉ」(あ……声が頭に。やはり館長さまとどれいさまでしたのね)
唐突に、鼓膜に届く鳴き声とは別に脳内で鳴り響いた声に驚きつつも、さすがに渡界二度目ともなりますといろいろ、慣れて状況を察します。図書館にいた時も大概、いろいろありましたが……渡界している間の館長さまはまっこと、理不尽の塊にございますもの。
ともあれ、館長さまが言葉の壁を払拭してくださいましたのでこれでお話できるようになりました。
「みゃう!」(ちょっとアンタら!)
三匹でわやわやしておりましたら、にょっきりとわたくしたちの間にドレミさまがお顔をお出しになって、ふんふんと鼻先をひきつかせました。ああ、おかわいらしい……。
「みゃ、みゃう、みゃお」(新入りよね? ワタシはドレミ! 新入りはあまり好きじゃないんだけど、なんかアンタら他猫って気がしないのよね……何でかしら)
「……なーお」(まあ、〝僕〟だしな……えーと、ドレミ、ちゃん)
ああ……小さな黒い仔猫と夕焼け色の猫がナアナアお話してらっしゃる。どちらも〝わたくし〟にございますが……ビジュアルが、非常に……とっても、素敵に……萌えます。こう、胸がきゅんきゅんするのです。〝わたくし〟は〝わたくし〟です。猫といえど〝わたくし〟でしかない。けれど……猫なのです。〝わたくし〟なのですけれど、見た目は猫なのです。ビジュアル的に……本当に、きゅんってするのです。
「ナッ」(鏡を見てあらやだかわいい僕! ってなるような気分だけどな僕は)
「みゃう」(何言ってんのよ? それよりもワタシのが先輩なんだから、ちゃんとワタシの言うこと聞くのよ?)
「ナーオ」(おお、このえばりんぼ加減すっげー館長そっくり)
館長さまのドロップキックとドレミさまの猫パンチがどれいさまに決まったところで、ドレミさまに店内を案内していただくことになりました。〝人間〟のわたくしたちはそもそも元から存在していなかったことにしたらしく、わたくしたちが消えたことについて人間の方々はどなたも気にしておられませんでした。
──まっこと、理不尽ですこと。
「みぃみぃ」(アンタ、歩くの下手ね)
「ナウッ!!」(悪かったな!)
あくまで優雅に、あくまで華美に──四足歩行というのは思った以上に慣れなく、多少不慣れな歩きを晒してしまったものの、十歩ほど歩けばコツを掴むことができました。猫の体というのは平衡感覚が非常に研ぎ澄まされていて、全身のバネというバネが人間のそれよりも柔軟性に富み、なおかつ人間が指を操るように自律的に意識を行き渡らせることができます。移動する点に限っては人間の体よりもはるかに優れていました──もっとも、腕を拘束しているがゆえに強制二足歩行になってらっしゃる館長さまは別ですが……。この世界の猫の後ろ脚はわたくしの知る猫のように二足歩行に長けていないのです。けれどその分、跳躍力がずば抜けているように思います。
「みゃおぉん」(えーと、メイドだったけ? すっごく綺麗に歩くわね! ワタシまだうまくバランス取れないのよね)
「みゃう」(ありがとうございます。ドレミさまはたいへん愛らしゅうございますよ。成長すれば自然に見に付きますから、どうぞ焦らず気ままに)
「にゃうっ、にゃおっ」(四足歩行など時代遅れ、時代は二足歩行)
「みゃう」(何なのよ? この猫)
「ナッ」(変態だと思って気にすんな)
館長さまのドロップキックが再びどれいさまに決まるのを傍目に、ドレミさまが案内してくださった見晴らしのいい窓べりへ歩み寄る。京都駅とその周辺が見渡せる展望エリアからの眺めはとてもよく、わたしには見慣れない無機質な建造物にほうっと見惚れます。どれいさまにとってはこの無機質さが〝普通〟であるらしく、改めて世界が違うのだと実感したものです。
ああ、いえ。無機質──は多少言葉が過ぎましたわね。機能的、と申せばいいのでしょうか。装飾よりも全体のデザイン性や機能性を優先して建てられている、そんな建物が多いのです。少し歩けばこの国における古典的な建造物もあって、そちらは観光客も集うほどのデザイン性のようですけれど。
「みゃうっ、みゃ!」(いい眺めでしょ? ニンゲンと自由猫があんなにちっちゃう!)
「みぃ、にゃーお?」(ドレミさまは、〝自由猫〟になりたいと思ったことはないのですか?)
わたくしの問いかけにドレミさまはぱたぱたと数回、しっぽを床に打ち鳴らしてふんすと鼻を鳴らしました。
「みゃ!」(ワタシは〝守護猫〟なの! 守護猫の誇りもあるし!)
「にゃーぁあお!」(レンが来たぞっ!)
ドレミさまとの会話に割り込んできた、どなたかの鋭い鳴き声。同時に、カフェ内の猫たちに忙しない空気が生まれました。
──そしてそれは、ドレミさまも同じで。
「ふみゃっ」(またアイツ!?)
「みゃう?」(どなたなのでしょうか?)
「ふぎゃっ、みゃっ!」(ここら一帯の自由猫のボスよっ! も~すんごい腹立つ俺様何様イヤミ野郎なんだから! ちょっと懲らしめに行ってくるわ!!)
そう言って憤慨しながら店内を闊歩していくドレミさまでしたが、何故だかそのしっぽは嬉しそうにぴんっとまっすぐ立てられて、ぴこぴこと揺れてらっしゃいます。
「あら~! またレンくんが遊びにきたのね。はいはい、おやつはラウンジであげるからね~! あ、ドレミちゃん! 今日もレンくんにご挨拶に来たのね~」
遠くから、人のそんな声が聞こえてきました。
フシャー! というドレミさまの威嚇も聞こえて来たのですが──不思議と、ちっとも威嚇には聞こえませんでした。むしろ……。
「ナーン」(恋かぁ……大学出て以来する暇もなかったなぁ……)
「み……」(恋……)
恋。そう、今のドレミさまはまさに、物語に登場する恋する乙女そのもの。口では悪態を吐きつつも、ついつい態度に喜びが滲み出てしまう、まさに初々しい乙女そのものです。
恋愛──と、いうものをしたことがあるかどうか……わたくしにはわかりません。記憶がないから、というだけではございません。執事さまのお部屋にそんな恋物語もございましたので、恋愛のいろはに関しては一応、知見を広めております。けれど……恋物語に登場する乙女に自己投影することができなかったのです。第三者視点で見守る感覚で楽しむことはできましたけれど……それを自分に置き換えて、というのができなかったのです。
……わたくしは、恋をしたことがあるのでしょうか。
「みゃおん」(どれいさまはどのような恋をされたのですか? 執事さまとの甘酸っぱい攻防は存じ上げておりますけれど)
「フギャァアッ!!」(そんなおぞましい展開繰り広げてねえ!! ──普通に、可愛い女の子が気になってそれとなく仲良くなって、デートして、付き合って……)
「にゃーす」(柊どれいのくせに童貞じゃないとは生意気だ)
「シャーッ!」(会社入るまでは普通に人生謳歌してたわ!!)
館長さまとどれいさまが喧嘩を始めてしまわれたので、放置してドレミさまのご様子を見に行くことにしました。
他の猫たちともお話をしてみましたが、好きなおやつとか今日のあのニンゲンとか新しいおもちゃとか、特筆するところのないお話ばかりでしたので早々に切り上げてしまいました。……それに、猫の習性ですから仕方ないとはいえ……その、おしりを嗅がれるのは……生理的に、無理でしたので。挨拶、そして相手の情報を知る猫の習性だというのは、わかるのですが。無理なものは……無理です……。
ドレミさまはなさらなかったのですが……あれはもしかしたらわたくしたちが〝わたくし〟だったからかもしれません。相手は他人ではなく自分ですもの──挨拶をしなければならない、情報を得なければならない、という発想さえ湧かなかったのだと思われます。
「フシャー!!」(だっから何様よアンタ! おやつせびりに来ておいて何を偉そうにっ!)
「ゴロニャン」(俺様だ。それにせびりに来たのではない。ボスとして見回りにきただけのこと)
野次馬……いえ、野次猫に集っていらっしゃる他の猫たちを避けて、そっと様子を窺えばドレミさまがひと回り大きな、綺麗な灰色の猫とがなり合っておられました。がなり合っているというか、じゃれ合っているようにしか見えませんけれど。
「ニャウ」(あいつはレンって言ってな、ここらのボスなんだ。自由猫だけどニンゲンにも守護猫にも顔が利く)
「ナーゴ」(あいつにゃ逆らわねぇ方がいい。下手に怒らせると後が怖いからな)
「みゃーぉう」(さようでございますか……では、ドレミさまは)
「ナッ」(ドレミはレンのお気に入りだよ。他の猫がドレミみたいに口答えしたら二度とちゅ~るんを味わえねぇ)
「にゃお、おーん」(レンにつがい認定されてっからドレミにも下手に手を出すなよ。レンがキレるから)
まあ……やはり察した通り、ドレミさまとあの猫──レンさま、は恋仲のようです。喧嘩しているようでじゃれ合っているようにしか見えないのも、そのためでございましょう。
〝恋人〟……ですか。
番い交わり、子をもうける生物的な関係性とは一線を画すつながり。知識としては理解していても、感覚としてはやはり……夢心地のようにあやふやな感慨しか抱けません。そういう生物的な番い交わりに関しては執事さまと為しておりますが、それだって〝わたくし〟の自慰行為にしか過ぎません。
自分自身を愛してやまない、自分に見惚れて鏡と一体化したという女神ナルティシアン──ああ、そうです。わたくしのいたところにはこんな神話がいくつもあるのでした。なるほど……こうやって思い出していくものなのですわね。
鏡に映る自分に恋し、愛し、見惚れ、口付け──鏡と一体化した美の女神ナルティシアン……それを模して鏡の装飾にナルティシアンの彫刻が施されることが多うございます。……そうでした、そうでしたわね。図書館にある鏡の数々は飾り気のないものだと思っていたのはそういうことでしたか。
……美の女神ナルティシアン。
美と若さを司り、同時に穢れと衰えを否定する女神。
ひと房の無駄もなく丁寧に撒かれた黒くてつややかな、長い髪。
白磁の陶器のようにくすみひとつない美しくなめらかな、白い肢体。
そしてまっかな、まっかな……ルビーのようにあかくて、あでやかな……つりあげられた、くちびる。
わたくしは、美しい。
わたくしの声が、さざ波のように意識を狩り獲ろうとしてくる。
わたくしの、美しく鈴のなるような……それでいて、糸を引く粘り気のある声がさざ波のように全身に広がって、糸をあちこちに引っ掛けていく。
……そう、わたくしは美しい。
美しいわたくしが、わたくし以外を愛するなんてありえない。それほどに、わたくしは美しい。そう、だからわたくしが誰かに恋し、愛することなんてない。ない──ない?
わたくしは、美しい。
ああ──ああ。
うるさい。
黙って。
【神聖】