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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
54/138

【真珠ソーダ】




 わたくしは、美しい。




 まどろみの中からいつものようにわたくしの声で目を覚ませば、隣で執事さまがすうすうと寝入っておられました。

 一瞬ここがどこなのかわからず、けれどすぐ図書館に帰ってくるやいなや執事さまがわたくしを抱きかかえてお部屋に連れ込んだのだと思い出しました。あの、あまりにも胸を突き刺してくる青に満たされた海の世界での滞在は五日と少しでしたでしょうか。慣れない渡界と興奮でか、少し体が火照って気怠さを覚え始めたところで、館長さまが唐突に帰ると言い出したのです。まだこの青さを見ていたいと、強請(ゆす)りましたが……駄目でした。

 館長さまの魔法に包まれて図書館に帰還するやいなや、圧しかかってきた懐かしい重力に潰されて倒れ込んでしまったわたくしを、執事さまが難しい顔でいきなり攫ってしまわれたのです。本当にいきなりで思わず咎めてしまいましたが……執事さまの熱く、とろけそうな口づけを受けて悦びに満たされていく体に、ああわたくしも飢えていたのかと、はしたなくも素直に執事さまの愛撫を受け入れてなし崩し的に、そのまま……。


「……全く、少しくらいお土産話をさせてくださいまし」

「遅い貴様が悪い」

「あら、お目覚めでしたか」


 そっと執事さまの老いてなお細く引き締まった胸板に寝そべって間近で見下ろす。


「本当に素敵でございましたのよ。何もかもが青くて……息ができなくなるほどに蒼くて」


 ほう、と勝手にため息が零れてしまう。執事さまの胸にそっと頭を横たえて、執事さまがわたくしの髪を手で梳くのを感じながら、なおも海について語ります。


「本当に素晴らしい世界でした。〝わたくし〟だって素晴らしい御方でした。おぐしも尾びれも海そのものの揺らぎを帯びた色合いで……この美しいわたくしが我を忘れて見惚れるほどですのよ?」

「ほう。まあ、それは当然であろうな。なんせ〝我輩〟なのだから」

「うふっ……それだけじゃあありませんのよ。お食事もたいへん美味にございました。これまで、館長さまやどれいさまがいろいろお土産に持ってきてくださっておりましたが……現地で食べる出来立て、というのは本当に美味しゅうございますのよ?」

「そういえば肉を土産に持ってきておったな……何の肉なのだ?」

「氷河マグラシという珍しい生き物のお肉ですわ。水中ではなく陸地でこしらえますから味わいがまた違ったものになるでしょうけれど……また後ほど、お作りしますわ」

「楽しみにしておる」


 普段、毒が過ぎる執事さまではございますが不思議と、こういう時は優しく接してくださるのです。ピロートークというわけではございませんが……だって〝わたくし〟ですわよ? 自分との夜伽(よとぎ)は自慰と変わりませんけれど、自分相手に愛を囁き、陶酔に溺れるのはさすがに、自己愛が過ぎる執事さまでもなさらな……なさらない、と思うのですけれど。たぶん……。


「そうでした、真珠ソーダなる珍しいお飲み物も持ってきましたのよ。ちょうど喉も乾いたことですし、今お持ちに」

「ん、それはアレのことであるか? 致してる最中に館長が持ってきたぞ」


 そう言いながら執事さまが指差されたサイドテーブルには、ワイングラスいっぱいに真珠が詰められておりました。致している最中にって、館長さま……。


「どれいもおったぞ。マジでやってる、ってドン引いておったがな」

「そうでしょうね。〝わたくし〟と致すだなんて発想、執事さまくらいしか思いつかないでしょう」


 今ではなし崩し的に自慰と割り切ってわたくしも楽しんでおりますけれど、執事さまに誘われていなければそんな発想、いちミクロンたりとて湧きませんわ。

 ワイングラスに手を伸ばして、そっと真珠をひと粒口に放り込む、と同時に執事さまがわたくしの後頭部を掴んで口付けてきて、不覚にも真珠ソーダを共有してしまうかたちとなりました。

 真珠ソーダというのは海の世界における飲み物のひとつで、ラムネッサ貝なる貝が作り出す真珠は口に含めば舌先の熱でとろけ、炭酸水になるのです。それを王国の食材業者が加工しまして、甘いラムネにしたのが〝真珠ソーダ〟にございます。

 執事さまがわたくしの舌先を蹂躙しながら甘いラムネを啜っていくのを感じつつ、少し腹が立ちましたので執事さまの頬をつねってやりました。


「ご自分でお飲みなさいませ」

「少し甘すぎるが、まあまあ美味い。溶けるのは熱でか?」

「ええ。三十度以上の熱で溶けるそうですわ」

「ふむ、ならば辛い酒といただくのも悪くないか」

「お酒ばかり呑んでは体によくありませんわよ。わたくしたちがいない間、結構呑まれましたでしょう?」


 そう言いながらちらりと、執事さまのお部屋にあるワインラックを見る。やはり見間違いでも何でもなく、数本消えております。


「独りなのだ。呑まずにはいられるか」

「……執事さまも一緒に渡ればよろしいではありませんか」


 言いながら、少し体勢を直して執事さまのお顔に頭を寄せて強請(ねだ)るように抱き着きました。


「執事さまも参りましょう。本当に素敵なのです。美しいわたくしがかようなことを申し上げるのは稀だと、執事さまもおわかりでしょう? 本当に、素敵ですのよ。次の世界も……わたくしの知らない素敵なもので溢れているに違いありません」


 〝わたくし〟に干渉したことで少々、身につまされることもございましたけれど──それ以上に、得るものが多うございました。〝わたくし〟のしたたかさにも幾分か救われた想いにもなりましたし、決して無駄ではなかったと思えます。

 何よりも──〝わたくし〟三人での渡界と、観光と、食べ歩きは本当に楽しいものでございました。

 そこに、執事さまもいればきっと。


「……悪いが遠慮しておく」

「何故? レミリナ・オーロフィクシャーという〝わたくし〟はたいへん素敵にございましたよ? きっと執事さまも愛でたくなるほどの……」

「…………」


 ぽふ、と執事さまの大きなお手がわたくしの頭に載せられる。そのまま撫でられて、どうしたものかと眉を顰めておりますとふいにぽつりと、執事さまから言葉が零れ落ちる。


「──今はメイド、おぬしのことだけを考えておれ。今はメイド、貴様が〝自分〟と向き合う時だ」


 その言葉の真意を知ろうにも、執事さまが全てを塞ぎ閉じ込めるように口付けてきたので叶いませんでした。

 ──執事さまは、何を考えておいでなのでしょう?




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