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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
52/138

【皇帝エビの貝殻蒸し】


 わたくしのしたことは、間違いだったのでしょうか。


「…………」


 姫君の盲が回復したことはすぐ、王国中に広まっておりました。人々はみな喜び、また危ないことをなさるのかと心配を口にしつつも、また姫君が天を目指して昇る姿を心待ちにしております。けれど今の姫君に、それに応えることはできません。

 あの海のような〝わたくし〟が海を揺蕩(たゆた)うことは、もうない。

 わたくしのしたことは、〝わたくし〟を追い詰めてしまうことだったのでしょうか。


「おい館長、ひとりで食べるなよ! メイドさん、ホラ皇帝エビ」


 ホテル〝オーロラの夜〟のレストランにて、目玉料理だという皇帝エビの貝殻蒸しなる料理を召し上がっておられたどれいさまが、わたくしに赤くぷりっと焼けた巨大なエビを差し出してきました。

 皇帝エビの貝殻蒸し、というのは読んで字の如くエンペルトロブと呼ばれる人間とそう変わらない巨大なエビを出汁で満たした貝殻の中に閉じ込め、溶岩で蒸すのだそうです。

 食欲が、と辞退しようとしましたところ、どれいさまは首を横に振っておいしいですよとなおも勧めてきました。


「後悔していますか?」

「え? あ……ええ。余計な手出しだったのではないか、と……」

「無駄ですよ、そんな後悔したって」


 どれいさまはそう仰って熱々の皇帝エビにかぶりつき、熱されたエビによって熱くなった海水を必死に煽いで館長さまの方に流しつつ、うまいと笑顔を浮かべられました。館長さまが煽ぐなとブーブー文句を仰っておりましたが、どれいさまは華麗に無視なさいました。

 なんと、いうか。


「──変わりましたね、どれいさま」

「ん、そうですか? まあ……色々、ありましたからねえ。メイドさん止めたのだってレミリナ姫によくないから、とかじゃなくてメイドさんがこうやって思い悩むことになるから、ですし」

「……わたくしが?」

「ええ。ぶっちゃけ、僕らがどうしようと世界は分岐するだけで、僕らがどうにかしなくても勝手に分岐していくんです。例外の世界もあるようですが……考えるだけ無駄ですし、傲慢なんですよ」

「……傲慢、ですか」

「ええ。だって」


 そんな簡単に他人の人生を変えられるなら、僕は死んでいませんから。


 どれいさまのお言葉に、わたくしは思わず声を失くしてしまいました。

 どれいさまは死んだ。自ら、死を選んだ。そして──その事実は、今もなお消え失せていない。どれいさまは確かに死んだ。だから、もう二度とご家族には会えないし、元の世界にも戻れない。

 かの館長さまでさえ、死者を甦らせることは叶わなかったから。


「見えるようになったのは悪いことじゃないと思いますよ。ただ、これからどうするかはレミリナ姫次第です」


 すぐこの世界を立ち去ってしまう僕らが気にしていいことじゃない──そう言って、どれいさまは再び、わたくしに皇帝エビを差し出してきました。

 お皿に置いていただいて、ナイフと二又のフォークで切り分けてから小皿にそっと移し、さらに細かく切り分けて口元に運ぶ。

 貝殻に閉じ込められていたからでしょうか。ぎゅっとエビ特有の旨味が閉じ込められていて、身もぎゅうぎゅうに詰まっているのに決して歯応えは悪くなく、ばりっと軽快に噛み千切れて──非常に、美味にございます。


「うまいでしょう」

「……ええ。大変、美味しゅうございます」

「ええ。だから大丈夫」


 あの〝僕〟だって、今ごろうまいものを食べて立ち直っているでしょうよ。

 なんせ〝僕〟ですから。


 そう言って和え物の豆を犬食いしている館長さまを指差して悪戯っぽく笑うどれいさまに、わたくしも思わず笑みを零してしまいました。


「──館長さま、ソースまみれではありませんか。魔法をお使いになればよろしいでしょうに」

「いーやコレは柊どれいが悪い。ワタシに食事させない柊どれいが悪い。だからワタシを綺麗にするのは柊どれいの責任だ」

「何でだよ」


 ツッコミを入れつつも律儀にナプキン(とは申し上げても、海中なので触感はゴムのようでございましたが)で館長さまの口元を乱暴に拭い、これまた強引に館長さまのお口にエビを突っ込みます。

 もがー! などと文句の鳴き声を上げる館長さまにまた笑みが零れる。そして──どうか姫君も、このエビのように美味しいものをいただいて元気になっていてほしい、と願いながら再びエビに手を伸ばしました。


「やはり、美味しゅうございますね。まだありますか?」

「あ、さっき追加でもうひとつ頼んだんでそろそろ──お、きたきた」


 空になった貝殻と入れ替えに、じゅうじゅうに熟された巨大な二枚貝を店員のかたが出してきて、テーブル周辺の水温が一気に上がり思わず尾びれを閃かせて距離を取ってしまいました。


「あちィ! 茹でイカになるっ!」


 どれいさまだけは律儀に残り、二枚貝の隙間に銛を差し込んでてこの要領で押し開く。ごぼりと灼熱の泡が上がると同時に、どれいさまも悲鳴を上げながらわたくしたちの元へやってきました。


「くは~、足ちょっと赤くなってる気がする」

「美味しそうでございますわね」

「寒気するんでやめてください」


 本当にどれいさまのおみ足は美味しそうですこと。

 館長さまも心なしか、よだれを垂らしてどれいさまの脚を見つめている気がします。いえ、気のせいではありませんわね。今、かぶりつきました。どれいさまが絶叫して館長さまを引き剥がしにかかっております。


「……ふふ」


 わあわあと騒いでいるふたりに自然と笑みが零れている自覚をしつつ、煮立ちが落ち着いてきた皇帝エビに近付いて、ナイフと二又のフォークでばりばりと殻を剥いていく。じゅうじゅうに蒸されたエビの、なんと美味しそうな色合い。

 ──青色が好きですが、食べ物は暖色系の方が好ましいですわね。


 海そのものの姫君に、どうか暖かい光が戻らんことを。




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