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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
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第二自我 【凍てつく自我】




第二自我 【凍てつく自我】




「準備はできたか?」


 起伏の薄いお体を革のケープでお包みになった館長さまが薄く笑われます。わたくしはこくりと頷き、サファイアのタイリボンを縫い付けた黒いビキニ姿の自分の体を見下ろす。館長さまと違い肉付きがよく、バランスの取れた凹凸にくすみひとつない白磁のような肌。──美しい、と思います。磨き抜かれたわたくしの肢体は、美しい。

 ──けれど、何故でございましょう?

 起伏が薄く、肉付きも顔色も肌の質も悪く、挙句には腕をみっつの鉄錠で拘束しておいでの館長さまのほうが、好ましく存じます。


「ワタシはメイドの体の方が好ましいがなぁ。ボンッ! キュッ! ボンッ!! ええのうええのう」

「加齢臭漂う発言になっておりますわよ」


 わたくしの肢体にぴっとりと張り付いて、このなめらかな肌がええんや~などと(うそぶ)きながら頬擦りしてくる館長さまに微笑みつつ、反応のない男性陣を見やりました。

 どれいさまもわたくしたち同様、パンイチになっております。前回、海の世界に訪れた折にはパンツが消失したからと、消失してもいい着古しのパンツをお召しになっております。そんなどれいさまを食堂の隅に連れ込んで、執事さまが何やら耳打ちされています。一体何の話をなさっているのでしょうか……。

 ──ええ。わたくし、渡界することになりました。

 そう、と決めたわけではなく……なし崩しに、といった体ではございますが……不思議と、恐怖心も嫌悪感もございません。

 自分図書館に来て百余年──〝わたくし〟に対する形容しがたい不気味な恐怖と嫌悪で、館長さまの渡界に同行したことは一度もありませんでした。けれど……どれいさまがこちらに来て、館長さまと世界を巡る旅をするようになって……訪れたどれいさまの変化と、その結末。それを拝見したからでしょうか。昔のように、嫌だと心の底から思えなくなってしまいました。

 ……なので、気付いたらビキニに着替えておりました。


「フハハ、案ずるよりも産むが易し、だ! これから行くのは海だ。お前が行きたがっていた〝海〟だ。どうだ、心躍るか?」

「──……はい、正直……すごく、わくわくしています」


 こんな気持ちは初めてでした。

 〝海の中に行くぞ〟──そう告げられた時、不覚にもわたくしの心は期待で心躍ってしまいました。

 つい昨日、思い出した……と、言っていいのかどうかわかりかねますが、ふと脳裏に蘇った、メモリーズランプを通して見える海への切望感。

 あれを満たせるとなっては、足取りも弾まずにはいられませんでした。


「どんな……どんな、ところなのでしょう?」

「自分の目で、体で、魂で感じてみることだ。〝ワタシ〟」


 そう言いながら、ぽよぽよとわたくしの胸の下に潜り込んで頭で軽くヘッディングする館長さまに、はしたのうございますよと軽く(たしな)める。


「おっぱいはええの~」

「館長さまはあんなにもお召し上がりになられるのに、何故かようにもお細いのでしょうね」


 館長さまは大食です。が、館長さまの体はあばらが浮いてらしてて、目の下の隈も相俟ってひどく不健康そうに見えるのです。好き嫌いは特にございませんし、少食というわけでも決してございませんのに。


「ま~、ワタシたちは()()してるようなもんだからなぁ」

「……停滞」

「執事なんか三百年もいるのに死んでないだろ? ワタシは魔女だが執事は人間だ。お前たちはワタシの魔力で漬けられた漬物のようなモンだからな」

「そこは高純度の魔力で満たされている、とか言ってほしいところですわね」


 どれいさまもそうでした。どれいさまは〝でんしゃ〟というものに轢かれ、ミンチになったそうなのです。けれど魂がここに落ちた時、館長さまの高純度の魔力で肉体を再構築されたのだろう、と館長さまは仰っております。

 わたくしと執事さまも……元の肉体が一体どうなっているかは不明にせよ、似た状態であるのは間違いないでしょう。

 そしてわたくしたちを停滞させている館長さまもまた、停滞している。


「……もう少し、お太りになっていただきたいのですけれどね」

「何を言うか。このままでもワタシはカワイイ!」


 いつだって自信に満ち溢れていて、ご自身を卑下なさることが一切ない館長さまのお言葉は、耳にしているだけでついつい、自分にも計り知れぬ価値があると思ってしまいそうになります。それくらい──館長さまはご自分を絶対と信じて疑いません。

 そして実際、館長さまは絶対なのです。ご自身を絶対だと自賛される程度には絶対なのです。

 ──だから、どれいさまもああ言われたのでしょうね。

 館長さまがいれば、大丈夫だと。


「何で僕がそんなことをしなきゃならねぇんだ!? 無理に決まってんだろ!!」

「無理でもやれと言うのだ、愚か者」


 唐突に荒々しい怒声が食堂の片隅から上がり、弾かれるように視線を向ければどれいさまが心底嫌そうなお顔で執事さまを睨み上げておられました。

 一見すれば、キャンキャンと吠える子犬と悠然と構えている大型犬の攻防のよう。けれど……これから渡界するというのに、一体何があったのでしょう?


「やれやれ……」


 館長さまがしょうがないやつらだ、と大袈裟にため息を吐いてみせてから一歩、前に踏み出されました。


「執事! そんなに言うならお前も渡界すればよかろう!!」


 声枯れしたいびつな声だというのに不思議とよく通るお声で、館長さまが言葉を投げられます。そうすれば執事さまは少し強張ったお顔で硬直し、けれどすぐ取り繕ったようにつんと鼻先を上げられました。


「……それはできることならば、遠慮したいところであるのだがな」

「くっくっく、安心しろ。()()()()()()()()()()()


 やけに協調された、一週間以内に戻るというお言葉になんとなく疑問を抱きますが──そのひとことで執事さまはひとまずの溜飲を下げられたようで、それ以上何か言ってくることはございませんでした。

 ぷりぷりと怒りながらわたくしたちの元へ戻ってきたどれいさまに、何があったのかとお聞きしてみましたところ──ばつの悪そうな顔で何でもありませんよ、と返されるだけでした。一体、何なのでしょう?


「さーて、じゃあ行くとするか! 溶液基盤系列世界第二種 №1895,、海底の世界!」


 それはどれいさまが初めて館長さまと訪れた海中の世界から、数年後の世界とのことでした。

 たん、と館長さまの爪先が食堂の床を叩くのと同時に、花開いたように──いいえ、文字通り煌びやかな輝く花が花畑の如く、芽吹きました。


「また演出過剰な……」

「せっかくのメイドの門出なんだ。派手に行きたいだろう?」


 食堂を埋め尽くす輝く花畑にわたくしが思わず魅入っている中、館長さまの唄声が高らかに響き渡りました。




 ── ドレミのドは柊どれいのド~ ──


 ── ドレミのレは柊どれいのレ~ ──


 ── ドレミのミは柊どれいのねぇや ──




「適当にもほどがあるだろうがっ!! 門出を派手に祝うんじゃなかったのか!?」

「かんがえてなかった」


 視界を埋め尽くす煌めきの花吹雪に見惚れながらほうっと唄声に聞き入ろうとした矢先のお二方のコントで些か、ずっこけてしまいましたが──けれど、それがかえってよかったのかもしれません。

 恐怖心のかけらもなく、心の底から楽しみで仕方なくなってしまいました。


「…………」


 輝く花吹雪で視界が白く染まろうとしているひと時、花吹雪越しに──執事さまが、まっすぐわたくしを見据えているのが見えました。わたくしを見据える、〝わたくし〟の眼差し。そこに一体、どんな感情が込められているのか。

 執事さまの、一見すれば無表情にしか見えないお顔に浮かぶ、得も知れぬ感情を孕んだ双眼。

 ──ああ、視界が閉ざされてしまう。

 さざ波のように押し寄せてくる白い花吹雪に遮られて、執事さまの双眼に宿る感情を読み取ろうとすることができなくなったのと同時に、ごぼりと肺から大きな気泡が押し出され、代わりにもはや白きに満たされて花吹雪と判別することすら叶わない煌めきが逆流してきました。

 同時に、きしきしと体が煌めきに圧迫されて軋む。最初は湯舟に身を沈めた時のようなゆるやかな重みだったのが、次第に皮膚を圧し潰し、その先にある気管や骨までも圧し潰そうとせんほどの圧迫感に変わり、息苦しさでもがき苦しもうと手が宙を掻く。




 わたくしは、美しい。




 ぴたりと、みっともなく宙を掻いていた手が止まる。止める。

 あくまで優雅に、あくまで華美に。

 死ぬときさえ美しく。

 わたくしは、美しく在らなければならない。

 美しく、誰よりも美しく、何よりも美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく、美しく──……




 わたくしは、美しい。




 ◆◇◆




 ふと、頬を波打つやわらかな揺らぎに目を覚ませば、そこは紺碧(こんぺき)の世界だった。

 息を、呑んだ。


 メモリーズランプ越しに切望した、青一色の風景。

 それをはるかに凌ぐ無垢な世界がそこに広がっていた。

 永く続く雨年(あめどし)の開けに広がる、何処までも澄み切った青空の(あお)。全てが凍てつく死と寂寞の凍年(いてどし)(そび)え立つ、氷山の(あお)。人失せた館に揺らめくマジナランタンの、濁りを孕んだ不鮮明で不親切な蝋燭(ろうそく)(あお)。──……鏡に映るわたくしの、双眼に宿る(あお)

 見果てるが(あお)き、凍てつきし(あお)さ。

 朽ち往くは(あお)く、終わりなく(あお)い。

 (あお)い、(あお)(あお)(あお)い。


 仮初(かりそめ)なんかではない、本物の蒼玉(サファイア)がそこにありました。


 ゆらゆら、ゆらゆらと心地よく揺蕩(たゆた)う体をそのままに、しばし青に見入る。魅入る。()入る。

 海に、沈んでゆく。

 ああ──これが、海。無垢な青の世界。果てしなく広がる、紺碧の世界。


 かしゃっと、覚えのある軽やかな音がしてはっと我に返ったわたくしは慌てて視線を巡らす。海、海、海。何処までも果てしなく海が続いている。青、青、青。ああ、本当にここは海なのですね。


「こっちです、メイドさん」

「!」


 わたくしの真下から声が掛かってきて、そちらに視線を向けようと肩をひねったところで、勢いがよすぎたのかくるっと一回転して元に戻ってしまう。と、そこで気付きました。わたくしの脚──美しく、しなやかなわたくしの脚がサファイア色の尾びれになっておりました。

 魚人(うおびと)……とは、少々違いますわね。上半身は元のわたくしのままですけれど、おしりのちょうど上あたりから爪先にかけて、魚の尾びれのようなものに変化しております。おそらく──人魚、という種族なのでしょう。わたくしは存じ上げませんけれど、どれいさまの故郷ではわりあいメジャーな種族のようでございました。架空の、だそうですけれど。

 とりあえず、これ以上無様な様相を晒してはなりません。あくまで優雅に、あくまで華美に──尾びれの隅々まで意識を行き渡らせて、動きのひとつひとつ。上下左右──ねじれの範囲、関節部の稼働領域、ひとつひとつ。確実に、着実に確認していく。


「ほう、流石はメイド──適応が早い」


 数分ほどじっくり確認作業をこなした上で、海の流れに沿うように背びれをはためかせて体を一回転させてようやく、真下に視線を向けました。

 上も右も左も青々とした海が広がっておりましたが、下には色とりどりの岩場が広がっておりました。珊瑚礁……と、いうものでしょうか。

 その中で館長さまとどれいさまが揃ってわたくしを見上げておりました。館長さまは鮮やかなブラッディオレンジ色の背びれを持ったおかわいらしい人魚です。その隣でどれいさまがカメラを構えていらしていて、その下半身は……なんといいますか、気味悪うございました。


「ただのタコです! 館長のせいでこうなってるだけです」

「タコじゃない。今回はイカにしてみた」

「余計なことすんなっ!!」


 なるほど、そういえばタコになったと仰っておりましたわね。今回はイカですか──お似合いですわね。


「ひでぇ」

「まあ。声に出していましたか? ごめんあそばせ」

「わざとですよね絶対」


 じっとりとわたくしを睨むどれいさまにくすくすと笑いつつ、ひらりと優雅に泳いでお二方の元へ行きます。ああ──泳ぐとは、かようにも気持ちのいいことでございましたのね。


「さーてじゃあ行くか、〝ワタシ〟を探しに」

「ああ」「はい」


 やはり不思議と、嫌悪感は湧きません。以前はあんなにも──〝わたくし〟を知りたくないと、拒絶しておりましたのに。館長さまと──そして、どれいさまがわたくしに手を差し伸べて、わたくしの手を引いてくださるからでしょうか。

 不思議な心地のまま、館長さまとどれいさまとともにオーロフィクシャー王国、という場所へ向かいます。オーロフィクシャー王国にいる〝わたくし〟はレミリナ・オーロフィクシャーという末の姫とのことで……どれいさまが赴かれた際は、この海の果てを見ることを夢見て天に昇り続け、そして夢破れ堕ちゆくのを繰り返す姫君だったそうですわ。

 この世界はちょうど、その時から数年が経過した世界線のひとつ、とのことです。そのレミリナ姫さまがどのようになってらっしゃるか確認して、それが済んだら食べに行くぞと豪語なさった館長さまに、どれいさまがやっぱり食いもんか、と突っ込まれました。食べ物──そう、食べ物。館長さまが世界を渡り歩く目的のひとつに、ありとあらゆる世界の〝食〟を愉しみたいというものがございます。


「……楽しみ、ですわ」

「フフン! だろうだろう! 旅行といえばごはんだ!」

「やれやれ……わからなくはねーけどな。自分を探している(笑)」


 どれいさまが館長さまの背びれにおビンタされてお吹っ飛びになっていきました。自業自得ですわね。




 ◆◇◆




 ()の人は凍てつく。

 果てなき大海の果てを夢見つも儚く破れ。

 大海の底に堕つる人魚姫の(めしい)た眼差しには光宿らぬ。

 凍てつきし自我に先見ゆる気力なきにして、人魚姫や静かに腐りゆく。




 館長さまが、唄う。

 巨大な貝殻に包まれた幻想的な王国の中枢に(そび)える、真珠を溶かし込んだような白銀色の宮殿──その、庭園。

 そこで、〝わたくし〟がやわらかなウェーブを描いているY字型の椅子に力なく腰かけておりました。図書館の外で初めて見る、図書館に住まう〝わたくし〟たち以外の〝わたくし〟に──けれど想定していた嫌悪感は抱かず、むしろわたくしとはまるで違う〝わたくし〟に、魅入ってしまいました。美しいわたくしとはまるで違う、海そのものとも呼ぶべきたおやかな姫君にございます。

 ええ、海──海そのものなのです。(あお)きが揺らぎ、(あお)きが波打ち、(あお)きが煌めき、(あお)きが揺蕩(たゆた)う。まさに〝海〟を具現化したようなおぐしと眼差し──そして尾びれをお持ちでした。ああ、なんて──なんて。

 なんて、綺麗なのでしょう。


「…………」


 けれど、だというのに。

 かの〝わたくし〟は──かの姫君は、あんなにも綺麗だというのに……その眼差しに、生気という名の光を宿しておりません。いえ……それどころか、物理的な光も宿しておられないことでしょう。


 姫君は、盲ておりました。


 この海しか存在せぬ世界で、海の果てを追い求め挑戦を繰り返した結果、冷たい流れに降る氷雨(ひさめ)という、要するに細かい氷河の群れに両眼をやられてしまったそうです。

 それ以来姫君は宮殿で塞ぎ込んでいると城下町の人々が教えてくださいました。

 姫君の周囲には、おそらく盲てしまった姫君のためにしつらえられたのだろう伝い歩き用のロープが張り巡らされている。時折、姫君がロープを伝って泳ぎはするものの、すぐ力を失くしたように背びれを下ろしてしまう。

 姫君は、完全に生きる気力を失っておいででした。


「…………」


 館長さまの魔法でわたくしたちの存在は、決して姫君に届きません。だから館長さまは薄い笑みを浮かべながらただ姫君を観察しておられますし、どれいさまも無心にカメラのシャッターを切っておられます。

 わたくしは、というと──……


「……館長、さま」

「ん? どうした、メイド」

「あの……あの、〝わたくし〟の盲を……治して差し上げることは、不可能なのでしょうか?」

「いいや? ワタシならば治せる」


 それを聞いて、わたくしは思わず治して欲しいと縋りました。どれいさまが背後で、やめた方がいいと申告してきましたが、わたくしは。わたくしは。




 わたくしは、美しい。




 ええ、わたくしは美しい。けれどあの姫君は──〝わたくし〟は違う。わたくしのような、ただ〝美しい〟だけの存在とは違うのです。わたくしは美しい。けれどそれだけです。けれど、〝わたくし〟には夢があった。熱意もあった。渇望もあった。夢破れ堕つる姿さえ魅入ったとどれいさまは仰っておりました。

 〝わたくし〟には、魅力があるのです。

 どうかそれを、損なわないでほしい。


「──治してもいいが、()()するだけだぞ」

「少なくともこの世界線の〝わたくし〟に光は確実に戻る──それならば」

「いいぞ」


 そこな醤油を取ってくださいませ──わたくしがそう頼んだかのように、その辺の花を手軽に摘むような、あまりにもあっけなさすぎて逆に不安になってしまうような軽やかさであっさりと──〝わたくし〟の盲を治してしまわれました。

 ちいさな悲鳴ののちに、狼狽しながら周囲を見回す姫君を眺めて薄く──それはそれは、楽しそうに、愉しそうに……享楽である他ないという調子で嗤う館長さまに、何故だかぞくりと腕が震えてしまいました。

 何はともあれ。

 これで、少なくともこの世界線の姫君は光を取り戻した。これで、あの海のように綺麗な〝わたくし〟は──


「何故、今更見えるようになるのじゃ」


 少しも、輝いておりませんでした。

 輝くのは海そのものとも呼ぶべきおぐしと尾びればかりで、姫君の眼差しにはきらめきが少しも戻っておりませんでした。

 光は、取り戻したのに。


「──もう行きとうない!! あんな、あんな痛い場所など……!!」


「レミリナ・オーロフィクシャーはな。とうの昔に折れていたのさ。失明するほどの痛みを味わって、見事にへし折れていたのさ」


 館長さまが、嗤う。


「何人もの優秀な医者がこぞって〝きっと見えるようになります〟と励まし、王を含めた家族が〝どうか夢を諦めないで〟と背中を押し、多数の国民が〝また姫さまが昇っていけるよう祈っています〟と声援を贈った」


 さて、既に折れていた姫にそれらの言葉はどう聞こえただろうな?

 そう言って、やはり館長さまは嗤いました。


「あれだけ〝果て〟に行くと豪語していた姫だ。一転、今更もう行きませんってのも言いづらい。くっくっく──面白い、面白いぞ」


 館長さまが──わらう。


「やめろ。悪趣味だ。──もうホテルに行きましょう。これ以上ここにいても、僕たちには何もできませんから」


 あの〝僕〟が自分でどうにかするしかないから。

 そう仰って、どれいさまがわたくしの背を押して促します。わたくしは力ないまま、推されるまま──庭園で泣き崩れる姫君に、背を向けたのでした。

 ──わたくしは。


 わたくしは。




 【諦観】

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