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自分図書館  作者: 椿 冬華
第二幕 「わたくし」の章
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【星降る夜】


 星を見るぞ、と唐突に館長さまが言い出した日の夜のことでした。

 夕食の用意は要らないと言われておりましたので午後はしばらくキッチンから離れていたのですが、そろそろ夕食前のお掃除でも、とキッチンに入ったわたくしの視界に広がったのは──星空でした。


「これは……」


 キッチンフロアは宵闇に包み込まれていて、けれどフロアいっぱいにきらきらと、宝石のような──わたくしの胸元で煌めくサファイアのような幻想的な輝きを放つ星々が散りばめられておりました。その、あまりにも幻想的すぎる光景にしばし、息を忘れて魅入ってしまう。

 ゆらゆらと宵闇に浮かぶ星々は色とりどりで、淡いイエローダイヤモンドの輝きを放つ星が最も多く、まばらにピンク、レッド、ブルーと散っている。いずれも優しい輝きを放っていて、不思議と穏やかな心地になる。


「綺麗でしょう? これ、〝星降る夜〟っていうディナーセットらしいです」

「どれいさま。こちらは、館長さまが?」

「ええ。メイドさんを誘惑する材料にって」


 そう言って笑いながら、どれいさまが星々のひとつに手を伸ばされました。どれいさまの指先が触れた星が、ふっと手のひらの中に閉じ込められる。けれど指の間から光が零れていて、なんだかぼうっと見惚れてしまいそうになります。


「特殊概念系列世界のひとつから持ち込んだらしくって。そこは〝宇宙と寄り添う世界〟なんだそうで、星を捕まえて水や食料、衣類を生産しているみたいです」

「そんな世界が……不思議で、ございますね」


 目が、離せない。心が、魅了されてやまない。眼前に広がる果てしない星空の煌めきに、体が震える。〝美しい〟とは露ほども思わなかった。いいえ──この心を震わせる景色を前に、〝美しい〟なんて言葉は使いたくなかった。




 わたくしは、美しい。




 わたくしの声が脳内でリフレインする。

 リフレインして、波が波を呼んで、波紋が糸のようにわたくしの体に絡みつく。さざ波のように、糸がわたくしの体を呑んでいく。そのまま、意識が水面の下に沈んでいって、深い深い、深淵よりも深く暗黒よりも昏い海底へ沈んでいきそうな──


「沈みやせんよ」


「!」


 唐突に、体に纏わりつくさざ波のような糸が弾けた。──館長さまが、わたくしのすぐそばで薄い笑みを浮かべている。


「館長、さま──」

「いいだろ? この星々のひとつひとつに〝味〟が閉じ込められていてな。それを食べて楽しむっていうディナーだ」


 そう言いながら、ぱくりと星くずのひとつに大口を開けて飛び付き、ハンバーグだ! と嬉しそうにはしゃがれる館長さまを前に、わたくしはそっと自分の胸元に手を置きます。どれいさまにいただいた、サファイアのタイリボン。わたくしを覆い隠してくれる仮初のサファイア。

 いつの間にか、あんなにも鼓膜の奥でリフレインしていたわたくしの声が止んでおりました。


「メイドさん、ほら。どんな味かは触れてみたらわかるので、お好きなのを」

「……ええ、そうさせていただきますわ」


 あくまで優雅に、あくまで華美に──決して抜けきらないわたくしの〝美しさ〟に少々辟易(へきえき)としつつ、指先をそうっと伸ばして星々の中から、ひとつの青い星くずを選びました。

 星くずに触れるというよりは、星くずをまとう光のベールのようなものを指先が通過した瞬間、ふわりとシフォンケーキのような甘やかで優しい香りが鼻孔を擽りました。これがどれいさまの言う、触れたらわかる──なのでしょう。

 そのまま、星くずを手のひらの上に落として手元に引き寄せる。青く、優しい光がサファイアのタイリボンを照らして、太陽の光を浴びて煌めく海面のような輝きを放つ。海──そう、海。

 海には、行ったことがない。そう……行ったことが一度もございません。けれど……そう、メモリー……海のメモリーを宿したメモリーズランプを通して、いつでも海を眺めておりました。そう、そう……わたくしは。

 わたくしは、一度でいいから海を見てみたかった。

 いつ、どこで、どんな状況でなのかは思い出せない──けれど、メモリーズランプを通して見える海と、その海に対するどうしようもない……溢れ出すような、いっそ、泣きたくなるような……縋りつきたくなるような、切望。


 海に、行きたい。


「──海に、行きとうございます」


 気付けば、勝手に声が喉を突いて出ておりました。

 はっとするわたくしに、けれどどれいさまと館長さまはさしたる返事をわたくしに寄越すこともなく、普通にじゃあ海行くか、などと談笑する。呆然とするわたくしをよそに、どれいさまと館長さまは海の世界ならあーだこーだ、ああでもないこうでもない、いやあっちだいやこっちだ、などとぺらぺら会話を進めております。


「食べないんですか? うまいですよ。嫌いな味だったら放流してしまえばいいですよ」

「えっ、あっ、そう、ですね」


 促されるまま、戸惑い気味ながらも──やはり美しく在ることを意識してしまう指先をそうっと口元に運び、木洩れ日のような淡い光ごと、舌の上に載せました。

 ほわりと甘く優しく、それでいて芳醇なバターと焦がし砂糖の風味が口いっぱいに広がって、ああと思わず幸せ心地に浸った声が零れる。


「美味しいでしょう?」

「ええ──とっても」


 シフォンケーキの次は、バナナタルト。カレーライスの星くずは遠慮して、いちごのムース。甘味が過ぎましたので口直しに優しいオニオンスープ。シーフードドリアにアボカドグラタン。ふうっとひと息吐いて、チョコフォンデュとキャラメルティー。


「ふたつ同時に喰ってみればどうなるか試してみよ、ハニー❤」

「それやめろ!! うわっ、押し付けるな!!」


 遅れておいでになった執事さまとどれいさまのコントを肴に、館長さまとふたりであの星くずがいい、この星くずは何だろう、と少々弾んだ心持ちで次々と味見してゆく。

 

 星降る夜。


 まさに、そんなディナータイムにございました。



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