【焼きプリン】
どれいさまがご無事に復帰なされ、館長さまとの渡界を決められたその日──わたくしは次なる渡界に供えて、どれいさまのお洋服を用意しておりました。
「自分で用意するからいいですよ、メイドさん」
「まあ。そこは〝わたくしめの小汚い服に触らせるわけにはまいりません〟ではなくって?」
「どんだけ卑屈にならなきゃなんねえんだ」
がびーん、とショックを受けられるどれいさまに思わず、笑みが零れます。ちなみに、がびーんというのはショックを受けた効果音だそうです。執事さまのお部屋に時折、館長さまが〝まんが〟を持ち込んで書棚に押し込むのですけれど……このまんが、結構面白うございまして。がびーん、もこちらで学びましたの。
「うふふ、冗談ですわ。ほんのひと摘み程度」
「つまりほぼ本気ってか」
どれいさまとの会話はまっこと、面白うございます。こう、ツッコミがあるのが楽しいといいますか。テンポよく進むと言いますか。だから、館長さまと執事さまもどれいさまとの会話を好まれるのでしょうね。
──同じ〝わたくし〟ですのに、個性があって不思議ですわね。
「次に赴かれる世界はどのような場所なのでしょうね」
「……気になりますか」
「ええ。館長さまが写真、の現像? を可能にしてくださったとか。ぜひ、見せてくださいませ」
「……」
わたくしの言葉にどれいさまは黙ってしまわれ、考え込むように難しい顔をしました。お似合いになりませんわね。
「さらっとひでえこと言うんじゃねえ」
あら、口にしていましたか。ごめんあそばせ。
「──メイドさん」
どれいさまの、この半年間出番のなかった外套に丁寧にブラッシングを掛けていくわたくしに、どれいさまが真摯な眼差しを向けてきました。
執事さまのように我の感じられる力強い眼差しでも、館長さまのように全てを呑み込んでしまいそうな全能感あふれる眼差しでもない。それなのに、不思議とわたくしは身が竦む想いにございました。
「僕らと、一緒に来ませんか」
思わず、息を呑んでしまった。
──聞こえなかったことにして、外套はこれでいいでしょうと中途半端に仕上げて、おやつの時間だと強引にどれいさまの背を押します。
どれいさまは、何も言いませんでした。
「何の罰ゲームですか」
キッチンフロアにて、ダイニングテーブルに着席しましたどれいさまの前に本日のおやつを置けば、そんなお言葉が返ってきました。
「プリンですわよ? 泣いて喜んで貪ってはいかが?」
「燃えてるんですけど」
「焼きプリンですもの」
「マジで焼いてどーすんですか」
本日のおやつ、焼きプリン。
硝子の容器に入れられたプリンが轟々と、それはもう見事に燃え盛っております。赤々と、りんごのように瑞々しい炎が上がっております。
「館長さまのお土産ですのよ。確か……何もかもが燃えている世界、とか」
「暑そうな世界ですね……」
「ええ。熱そうでしょう? ですからどなたも召し上がらなくて。処分に困っておりましたの」
「残飯処理じゃねえか」
館長さま曰く、食べても大丈夫。たぶん。とのことでございました。
なので喰いやがれです。
「前科何犯だと思ってんすか館長」
「ワガママですわね」
柄の長い、パフェ用のスプーンをそっと手に取って、どれいさまが声を上げるよりも早く、けれどあくまで優雅に、あくまで華美に。流れるような、流水のような動きで焼きプリンを掬い上げ──突っ込みました。
燃え盛る炎ごと、プリンがひと欠片、どれいさまの口中に呑み込まれていく。どれいさまの目が大きく見開かれて、おそらくは恐怖からでしょう。どれいさまが強張った顔で跳ねるように立ち上がって口を押さえ、吐き出すような動きを見せたところでその動きが止まりました。
「……あれ? うまい」
「まあ。熱くありませんの?」
「やっぱり熱いかもしれないとは思ってたんですねこの野郎。少し熱いかなとは思いますけど、そこまでじゃないですね。むしろ……炎も、甘い?」
「まあ」
先ほどまでの強張った顔が嘘のように、落ち着いた表情でもごもごと咀嚼しているどれいさまの口からは炎が時折噴き出していて、けれどどれいさまが痛みを感じておられるご様子はありません。
「若干情報操作しているからな」
と、おやつの気配を感じ取ったか館長さまが笑いながらキッチンフロアに入ってきて、続けて炎をわたくしたちでも食べられるように弄ったのだと解説しました。
「さすがにこのままの〝ワタシ〟たちじゃ炎なんて食べられやしないし、とか言って〝ワタシ〟たちの体をいちいち渡界仕様に作り変えるのも面倒だ。だからここに持ち込む時に少し手を加えた」
「……相変わらず道理を蹂躙したような力だな」
「蹂躙したような、じゃない。蹂躙しているのさ。何故ならばワタシは魔女だから」
くつくつと、この世の全てを……いいえ、遍く世界全てを見下し嗤っているような、薄い笑みを浮かべて館長さまはどれいさまにしなだれかかり、焼きプリンを食べさせるよう強請りました。
半年前はよく見た光景に、何故だかほっと笑みが零れてしまう。
「焼きプリンってこのひとつだけなんですか?」
「あ、ええ。どなたもお召しにならないまま一週間肥やしに」
「……賞味期限とか、大丈夫なんだろうな? 館長」
「鎮火してなきゃ新鮮ってことだから大丈夫だ」
だから食わせろ、と館長さまが口を大きく開ける。あくまで優雅に、あくまで華美に在らなければならないわたくしとしては、〝わたくし〟のかようなお顔に少々、戸惑ってしまいます。わたくしではないのですけれど、〝わたくし〟ですから。
「じゃ、メイドさん食べますか? まだ食べていないんでしょう?」
「ワーターシーはー!」
「そうですわね……ではひと口、いただきましょうか」
わたくしの言葉にどれいさまが笑顔で頷いて、焼きプリンをひと口、スプーンで掬ってわたくしの口元に持ってきました。爛々と燃え盛る炎が、わたくしの眼前で揺れる。ゆらゆら、ゆらゆら、ちりちり、ちりちりと燃えるそれは、まさに炎でとても口にできるとは思えません。
──けれどああ、炎のなんと美しいことか。
焔には不思議な魅力がある。ろうそくの火も、暖炉の炎も、ついついぼうっと見つめて時間を忘れてしまう。炎は古来より生物に本能的な恐怖を与える〝原始的な恐怖〟だからでございましょうか。恐怖とは、時にどうしようもなく魅了するものでございますから。
わたくしは、美しい。
──身の内より湧き出る、形容しがたい不気味な恐怖とはまるで違うのは、これが原始的な──〝死〟をもたらす純粋な恐怖だからでしょうか。
そっと唇を持ち上げて、原始的な恐怖そのものを舌の上に滑らせる。あたたかいと言うには少々熱く、けれど熱いと舌先を引っ込めるにはぬるい、甘やかな砂糖の香りで口内が満たされる。
──ああ、無垢な恐怖のなんと芳しきことよ。




