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〝もろみ食堂〟で絶品夏色まかないとデザートのアイスを堪能して、腹を満たして満足した僕らは買い出しに行くべく駅へ向かった。
豹南町にある私鉄駅、豹南駅──ド田舎の町に相応しい、じいさんの駅員しかいない質素な駅。線路が一本しかねえ。時刻表は意外なことにそこそこ埋まっていて、朝は一時間に一、二本ここを通る。昼間は本数が減って二時間に一本程度。ちょうど、数分後に上りの列車が来るころだ。
「…………」
手に馴染まないぺらぺらの紙の切符をじいさん駅員に切ってもらって、昼下がりの人がいないホームに上がる。田舎駅とはいえそれなりに整備されていて、きちんと黄色い凹凸ブロックも敷かれているし、さすがに電光掲示板はなかったものの電車が来るときに点灯するのであろう、〝電車がまいります〟と書かれた看板はある。
「…………」
先を歩く館長との距離がだんだん開いていく。
地面を踏みしめる足に、凹凸の感触が伝わってくる。
館長と一定の距離が開いたからか、体を包み込むエアコンの魔法が途切れてぶわりと肌に不快感を伴う湿気と熱気がまとわりつく。冷えていた体にその温度差は堪え、汗がぽつぽつと額に浮き出るのがわかる。
けれど不思議なことに、指先はとても冷たかった。
それどころか──震えてさえいる。
「──〝ワタシ〟?」
館長の、僕を呼ぶ声がとても遠い。
田舎町の田舎駅。夏の空によく映える、自然に囲まれた質素ながらも味のある鉄道駅。時刻は正午を半刻ほど過ぎたころ。人はいない。ジイジイと、アブラゼミなのかミンミンゼミなのか懐かしくも耳障りな虫の鳴き声がひっきりなしに鼓膜を引っ掻く。
けれど不思議なことに、僕の目には晴れ渡った青空が夕焼け空に見えていた。
夕暮れ時。
高層ビルの向こうに沈みゆく夕日。
紅蓮よりも紅い、熾烈な赤色の夕焼け空。
電車がまいりますというアナウンス。
電光掲示板に映る、電車がまいりますという文字。
仕事帰りのサラリーマンと学校帰りの学生たちの喧騒。
足の裏に感じる、黄色い点字ブロックの凹凸とした感触。
視界と、記憶が交差する。
何本もの線路が交差するターミナル駅。
電車が入っては人の濁流が発生し、出ていく線路の交差点。
過剰設置された自販機の白い光。壁に貼られた広告ポスター。
空を遮る屋根の合間から覗く高層ビル群と、その向こうに沈みゆく夕日。
ビルの窓に反射する夕日の紅焔。紅。赤。
革靴に包まれた靴先で踏みしめる黄色い凹凸ブロック。足裏に感じる凹凸。
喧騒とした人々の騒めき。電車がまいりますというアナウンス。
電車の音がする。
『まもなく電車がまいります。危ないですから黄色い線の内側まで お下がり下さい』
電車の、音がする。
電車。電車。電車。電車の音。電車。電車の音がする。夕暮れ空。高層ビルの向こうに沈みゆく夕日。夕日を遮る電車。電車。電車。夕日が電車に遮られて見えなくなる。電車が。電車が。電車が。
足裏に感じる凹凸の感触が、離れていく感覚。
生ぬるい風。線路。線路。電車の音。夕暮れ色に染まった線路。線路。電車の音。耳障りで甲高い金属音。ブレーキ音。電車の音。電車の音。電車。電車。電車。電車。駅。ホーム。駅。駅。電車。電車。銀色の電車。銀色。夕暮れを浴びて茜色に染まった電車。電車。茜色の電車/茜色の電車/スーツを着た中年/ブレザーの制服に短いスカートを穿いた女子高生/ヘッドフォンで音楽を聴いている大学生/宿題について話す学生/仕事の愚痴を漏らすサラリーマン/まだ中身が残っているジュースをゴミ箱に捨てる青年/不快な水音/電車がまいります/高層ビル/窓/窓に映る夕日/赤い/夕焼け空/夕焼け/カメラ/カメラ/カメラのシャッター/高校生の時買ったカメラ/バイト/バイトして貯めたお金/母さん/常に強火で料理する/弱火を知らない/まずくはないけど/うまくもない/でもたまに食べに帰りたい/帰りたい/家/おうち/さいたま/埼玉/大宮/大学を出てから千葉に引っ越した/千葉で一人暮らし/職場は東京/株式会社/株式会社伝々虫通信/広告代理店/営業/広告/営業/営業マン/コマーシャル/コマーシャル広告/終わらない/終わらない/終わらない仕事/終わらせてくれない仕事/頭痛/眼痛/頭痛/頭痛/頭痛/重い体/動かない頭/上司/上司の声/上司の唾/痛い頭/パワハラじゃない/パワハラに厳しい世情/パワハラにはあたらない/社員を大事にする社風/パワハラじゃない/パワハラと言うほうが悪い/悪い/悪い/優しい上司/ユーモア/ただのいじり/愛あるいじり/ 「お前なんか」 /いじめではない/大騒ぎするほうが悪い/神経質/神経質すぎるのが悪い/(笑)/(笑)/(笑)/この程度でパワハラって苦笑/ 「いなくても」 /パワーハラスメントとは/甘え/株式会社伝々虫通信/ 「おっと、これ以上はパワハラだな(笑)」 /広告代理店/大手/喜ぶ家族/すごいと喜ぶ母さん/誇りだと言ってくれた父さん/埼玉/埼玉/生まれ故郷/大宮/大宮の団地/普通の家庭/中流家庭/家族/母さん/父さん/サラリーマンの父さん/ちょっと厳しいけど優しい父さん/ボール/小さいころ/公園で父さんとサッカー/サッカーボール/騒音/ボール遊び禁止/うるさいと怒鳴る団地の人/残念だな/苦笑する父さん/プール/ウォータースライダー/父さんとウォータースライダー/大きくなってからはめぐりとウォータースライダー/めぐり/めぐり/妹/僕の妹/成人したばかり/強気/生意気/可愛い/目元の泣きぼくろが可愛い/バイト/ 「お兄ちゃん」 /高校生の僕と小学生のめぐり/バイトして貯めたお金でカメラを/最初の一枚はめぐり/めぐりもお小遣いを貯めて買ってくれた/カメラのケース/かわいい黒猫のステッカー付き/めぐり/めぐり/僕の妹/世界でただひとりの妹/約束/妹との約束/めぐりとの約束/守れなかった/電車の音/夕暮れ時/赤い/真っ赤/電車がまいります/悲鳴/運転手の強張った顔/急ブレーキ/金属音/背骨がひしゃげる/激痛/赤い/冷たい/熱い/冷たい/赤い/夕暮れ/終わり/終わりかけ/終わり/激痛/もう痛くない/ねじれた首/ひしゃげた背骨/痛くない/冷たい/熱かったけど冷たくなった/守れなかった/約束/約束/忘れていた/めぐり/めぐりとの約束/めぐり/めぐり/めぐり/ひいらぎめぐり/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹/妹──
電車の音は、もうしない。
走り去った電車を見送ることもせず、館長が地面に座り込んで震えている僕を見下ろしている。顔を上げれば、青空を背にしている館長の目と遭う。逢う。合う。図書館に来たあの日の、ように。
ぼろりと涙がひと粒、零れた。
「ああ──」
すべて思い出した。
「僕の名前は柊どれい」
そして、すべて終わった。
「自殺したんだな、僕」
電車の音はもうしない。