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自分図書館  作者: 椿 冬華
第一幕 「僕」の章
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【水雨】


「明日、溶液基盤系列世界のひとつに渡る」


 僕がこの図書館に来てから七十二時間、つまり三日が過ぎた夜。館長の雑用係として館長に命じられるまま、書庫の整理業務や館長の身の回りの世話をしていた僕は唐突な、それでいて聞き慣れない言葉に首を傾げる。


「ようえききばんけいれつ……せかい?」

「執事、メイド。その準備をしろ。類似系列世界は〝溶液基盤系列界第二種 №12〟」

「畏まった」

「承りましたわ」


 執事とメイドは心得たように恭しく一礼して、準備をすべく談話室を後にする。

 ここ、自分図書館は四棟の建物から成る。ここ、北館は談話室と僕らそれぞれの居室、つまり居住区。東館は第一から第十までの書庫が並んでいて、館長は日中そこで作業している。僕も雑用係として、日中はほぼ書庫にこもりきりだ。西館は倉庫になっていて、食糧品や日用品が詰め込まれている。そして最後の中央間は厨房と食堂、それに大浴場と共用の施設が揃っている。居室に浴室があるから大浴場は滅多に使われないようだけれど。食堂も、四人しかいないから使われることはない。大抵、厨房のダイニングテーブルで食べる。それか、ここ談話室で。


「溶液基盤系列世界……と、いうのは可食物質系列世界……と、似たものか?」


 確か食べられる物質のみで構築された世界、を可食物質系列世界と呼ぶ──んだったよな。


「そうだ。溶液基盤系列世界は読んで字の如し、溶液──湖、川、海、沼、マグマ、はたまた酸に水銀──何らかの液体を生命活動の基盤にしている世界だ」


 生命活動の──基盤。


「要は水中での生活が基本となっている世界、だ」

「水中──え、水中に行くのか?」

「ああ。当然、お前もだ──〝ワタシ〟」


 僕も? いや、ちょっと待て。


「水の中じゃ息、できないだろ?」

「ワタシもだよ。だがそこは問題ない」


 館長はそう言ってローテーブルの上に置かれているワイングラスをふわりと浮かして傾け、中に転がっている飴玉をひと粒、口内に転がした。


「ワタシはここ、〝自分図書館〟の館長」


 ──魔女である。


 そう囀って、〝僕〟は僕にワイングラスを差し出した。


「〝水雨〟──雨粒が飴玉になっている面白い世界の食べ物だ。甘いぞ」


 それも可食物質系列世界の食べ物なのか、と問いながらひと粒つまむ。ぽいっと口の中に放り投げて舌先で転がした瞬間、口内で雨が降った。

 いや、マジで。どぱって飴玉が破裂してぶわって水しぶきが広がった。りんごと桃を合わせたような、とろりとした甘みが口いっぱいに広がる。おいしい。


「いいや、これは地球系列平行世界のひとつから取り寄せたものだ」

「地球系列平行世界──」


 つまり、あれだ。地球と似ているが違う世界ということ……で、いいんだろうか。


「やはりお前も地球を基盤とした世界か」

「え?」

「メイドと執事は〝地球〟という名に覚えがなかった」


 たとえ同じく人類が住まう惑星でも、地球と呼ぶ世界ばかりじゃないと館長は言う。それどころか、惑星ではない世界もあるそうだ。世界によって形は様々、名称も様々──


「世界を渡り始めたばかりのころ……なんとなしに〝地球〟を基準にして世界の名前を決めていたからな。おそらくワタシも〝地球〟出身なのだろう」


 こういう風に無意識の部分で無為の自我が表出することがある──だからこそ、館長は無意識の言動から〝自分〟を探りつつ世界を渡り歩いているらしい。


「この水雨は地球系列平行世界のひとつにあってな。そこは水が甘味となる世界だった」

「水が甘味……」

「ああ。川に海に水道水に、ありとあらゆる水が甘くてな。無味の水というのはどこにもなかった。水といえば甘い──と、いうか〝甘い〟という概念すらなかった。水といえば水味でこれ、と当たり前になっていた」


 甘い水が普通で……それこそが水味の世界……想像が、つかない。


「だろうな。その世界から帰ってきて水を飲んだ時のあの爽快感ときたら」


 無味無臭で冷たい水のおいしさときたら。

 と、言って館長は笑いながらまたひと粒口に放り込む。水が甘いということは料理に使う水も甘いということで。味噌汁とかも甘いということ、で……うわぁ……。


「その世界ではこれが〝無味〟扱いだったよ」

「えぇ……」

「世界によって基準も基盤も、常識も思想も、それどころか生態や生死の形さえも違う」


 館長の言葉にそうみたいだね、とぼんやりとした答えを返す。この二日間、館長の元で書庫の整理業務に携わっていた。その際に、館長がまとめたありとあらゆる世界の記録を少しだけ読んだ。

 ある世界は植物が生態系の頂点におり、人類と植物による戦争が繰り広げられていた。

 ある世界は重力が日によって違い、その日に合わせて身に着けるおもりを変えていた。

 ある世界は性別の概念が存在してなく、増やす方法がクローンしか存在していなかった。

 どれもこれも本当にこんな世界があるのか? と眉唾ものではあったが、とか言ってただの作り話だと断定する気にもなれず。ただ異世界の設定資料としてぼんやり受け止めて割と楽しく読んでいた。

 本当に──世界が、無数にあるのだろうか。


「明日、自分の目で──自分の体で、肌で、意識で、記憶で──確かめてみればいいさ」


 館長が笑いながらソファに寝転がり、ぱたぱたと足を遊ばせる。暖炉のほのかな茜色の炎が、館長の闇夜を煮詰めたような髪と目を照らす。てらてらと、今日も今日とて館長の腕を拘束している三本の錠が──鈍く、輝く。


「明日の朝、世界を渡る。しっかり心の準備はしておけよ──〝ワタシ〟」


 館長は、笑う。


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