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自分図書館  作者: 椿 冬華
第一幕 「僕」の章
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【ジャーキー】


 執事さんの前に、豆酒とジャーキーを置く。空に落ちる世界で一般的に嗜まれている、空豆を原材料にした焼酎とおつまみだ。


「ハニー、貴様も座るがよい」

「ハニー呼ぶなてめえ」


 悪態吐きつつも執事さんと向かい合ってソファに座る。夜酒に誘われて執事さんの部屋にやってきたはいいが、酒からおつまみまで全部用意させられた。普通誘う側が用意しねえか。


「ずいぶんとろみがあるな」

「空豆を(もろみ)にして、二次原料にも空豆を使った純豆酒だそうだ」

「だいぶん甘い……だが喉にからみつくような甘さではないな。口に含むととろみが溶けて舌触り滑らかな酒に変化する……なかなかおもしろい」

「辛いジャーキーと合わせることで酒の甘さが引き立ってうまい、んだそうだ」

「だそうだ? 試していないのか?」

「辛いジャーキーって苦手だからな」

「……ふむん?」


 ぐい呑みを傾けていた執事さんの目が、艶めかしく僕に向く。その視線から逃れるようにそっと視線を壁の方に向けた。

 執事さんの部屋は全体的にシンプルで、物が少ない。代わりに本棚が壁際に並んでいて、ぎっしりと本が詰まっている。書庫にあるような、館長が記録してきたありとあらゆる世界の記録ではない。僕らが土産に持ち込んできた本だ。推理小説に恋愛小説、時事エッセイにゴシップ誌。ジャンル問わず多種多様多彩な本が詰まっている。読書が趣味らしい。


「ハニー♥」

「無表情でハートつけんな!! 乗っかるな!!」


 本棚に気を取られているうちに、いつの間にか執事さんが僕の体をソファの背に押し付けて膝に乗り込んできていた。腕を執事さんの胸に突っ張って押し返す──何だこの力!! 押し返せねえ!!


「ハニー♥ あーん♥」

「無表情でハートつけんなだから!! ──ジャーキー食わせようとすんな!!」


 執事さんの手にはジャーキーが握られていて、それを僕の口に入れようと押し付けてくる。手首を掴んで押し留めるが、いかんせん力が強い。僕より体格がいいとはいえ、そこまで差はないはずなのになんだこの力。じりじりと、執事さんの手に握られたジャーキーが口に近づいてくる。


「──ごめんなさいごめんなさい!! ミミズ肉です食べたくないから食べさせてやろうと思いましたすみません!!」

「──なるほど、ミミズ肉であったか」


 唇に触れそうになったジャーキーを前に、白旗を挙げて白状すれば執事さんはあっさりと身を引いてくれた。ぜえぜえと息を切らしている僕をよそに、隣に座り直した執事さんは優雅に足を組んでジャーキーを眺め回す。


「あちらではメジャーなのか?」

「ああ……地中にも街があってよ、そこじゃミミズが養殖されていて肉に加工されていた」

「なるほど」


 と、執事さんは大して躊躇するでもなくジャーキーを口に含んだ。げっと僕が顔を歪めるのも構わず、ジャーキーに歯を立てて噛み千切り咀嚼する。


「なるほど、牛肉に比べると少々歯応えに物足りなさがあるが、スパイスがよく染み込んでいて辛い」

「よく食べられるなあんた……」

「人肉食べていたろうに」

「いや、あの時はなんというか……ハイになっていたというか……ドーパミンどばどば出てたというか……」

「以前、館長が持ってきた芋虫フラペチーノに比べればこんなもの神の供物も同然」

「芋虫フラペチーノ……?」


 昆虫食を主とする世界に館長が赴いた際のお土産だそうで、アレをもう一度飲むくらいならば床を舐めるとまで言って執事さんは無表情に豆酒を呷る。


「数日悪夢に魘された」

「劇物じゃねえか」

「館長はそんな我輩を観察して黙々と記録しておった」

「非道の極み」


 それに比べればはるかに美味い、と言って執事さんはもう一本、ジャーキーを手に取った。


「生の人肉よりはマシだろう」

「そりゃそうだけどよ……いや、ミミズ肉の加工過程をこの目で見ちまったもんだから……」

「人肉食べおったくせに案外繊細であるな」

「だからあの時はテンションが降り切れてたんだって……」

「そう言いつつ、また似たような世界に渡ったら腹括るのだろう?」

「まあな……郷に入っては郷に従えっつうか、礼を尽くせっつうか」

「ハニーのくせに殊勝なことを言いおる」

「その呼び方やめろっつうの」

「ハニー♥ あーん♥」

「やめろ!!」


 ほんっと嫌がらせのためならプライド捨てるよなてめえは!!

 差し出してきたジャーキーをひったくって半ばヤケクソにかぶりつき、豆酒も呷る。舌をじりじりと焼く辛い肉が豆酒のとろみに包まれて一気にまろやかな風味に変わり、挙句には肉が酒を吸って噛めば噛むほどアルコール分を含んだ肉汁が噴き出てくるようになった。


「……うまいな」

「悪くはない。夜酒とするには些か肉味が過ぎるが」

「豆葡萄で作った赤ワインもあるぞ」

「ほお。ふむ、赤ワインか。明日の夜にでも飲みたいところであるな」


 そこまで言って執事さんはぐい呑みを机に戻し、僕に気怠そうな視線を向けてきた。今さらながら、老いているとはいえ整った顔をしていることに気付く。若いころはさぞモテたことだろう──〝僕〟のくせに。


「〝我輩〟は見つかりそうか? 〝我輩〟」

「──いくつかヒントは得た。が、わかんねえ……〝僕〟」

「わからずとも貴様は〝我輩〟だ。そこは揺るがんし、貴様がどんな〝我輩〟であろうと我輩は愛しておる」

「そりゃどうも」


 本当に〝僕〟が好きな〝僕〟だな。


「──いつでも付き合ってやる」

「──そりゃどうも」


 ここに来てどれくらいが、経っただろうか。

 僕はやはり〝僕〟を知らないままで、夢の中にいるような心地から抜け出せていないように思う。現実だとはっきり認識しているはずなのに──どこか、夢を見ているような感覚がある。それはやはり、〝僕〟を知らないからなのか。

 僕だけじゃない。館長も、メイドさんもそうだ──我が強いように見えて、何処か夢心地な空気がある。霞がかかったように、ふわふわしているのだ。


「──安心しろ。我輩は我輩のまま、〝我輩〟を愛し続ける」


 ──執事さんのそんな凛とした声を夢の彼方に、いつしか僕の意識は眠りに沈んでいた。


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