【空豆がゆ】
空を下に敷き、大地を仰ぐこの世界は光を呼び込むことに腐心する。
「太陽光をパネルで分散反射して……街を照らしているのか」
「ミラーボールにしか見えないな」
空に落ちる世界の〝僕〟──本名、蒼井とれみ。彼女が真に居住区とする中層区域はぶら下がり都市が何十個、下手すれば何百個入っても余りあるほどに広い。空を下に敷く世界においてこうも広い床面積を持つということはどういうことか──太陽光が遮られて、光が入らないということだ。
ゆえにこの世界の住人は工夫に工夫を凝らし、光を収集、照射するというミラーボールのような銀色の球体が街の上空──上地に、いくつも設置されている。そこから零れ落ちる太陽光が街を昼間に仕立て上げてくれているのだ。
「おまちどお! 当店名物、空豆がゆだよ!」
どん! と威勢よくどんぶりが置かれて僕らは姿勢を正す。中層区域の外周部にある、景観がよいと有名なレストランにて僕らは昼食タイムと洒落込んでいた。
「空豆ってあの畑で採れたやつだよね」
「だろうな」
レストランからは青々と野菜が茂っている畑が見渡せてとても気分がいい。上に空は広がっていないけれど、きらきらと太陽光を零しているミラーボールっぽいのがいくつもあってある意味、幻想的だ。
「あ、おいしい。この空豆すごくおいしい」
黄緑色の、栄養をたっぷり蓄えていると主張しているでっぷりとした空豆が鶏雑炊の中にてんこもり詰まっている。どれも鶏ガラ出汁が染み込んでいてたまらなく美味しい。
「おい! なに先に食べているんだ! ワタシによこせ!」
「はいはい」
れんげっぽい木彫りのスプーンでひと口掬って、館長の大口に突っ込んでやる。もむもむと幸せそうに頬張る館長を肴に、ふた口目を口に入れる。
うん、美味しい。空豆の果肉を傷つけないよう皮を口内で剥いで、つるりとした表面にたっぷり染みついた出汁をじっくりねぶってから歯を立てる。程よく柔らかくほぐれつつも、決して柔い脆さではない弾力の果肉を雑炊に混ぜ込んで呑み込む──ああ、美味しい。
本物の太陽光ではないからなのか米は小さめで細長く、少しもっちり感に欠けていた。けれどそれを抜きにしても美味しい料理である。
「雑用のくせに主人差し置いて楽しむとはなにごとだ!」
「はいはい、おかわりね」
突っ込む。幸せそうにとろける館長。単純である。
「──そういや、〝ぶら下がり都市〟の調査が始まるみてえだな」
「んあ? そうなのか?」
「朝刊にあった。ホテルの」
「ほぉ」
二年前に不注意で空に落ちてしまった少年少女が帰ってきた。
この一件はやはり、空に落ちる世界に住まう人々にとって衝撃的であったらしい。自分たちの住まう街のはるか下方に、もうひとつ──誰にも見えない、誰も知らぬ街があることの衝撃は人々に様々な感情をもたらした。
ある者は過去に落ちた人間が生きているかもしれないと希望を持ち、ある者は空に落とされて処刑された犯罪者が生きているかもしれないと恐怖し、ある者はそんな都市などあるはずがないと否定し、ある者は下があるのなら行ってみたいとロマンに身を燃やし──多種多様多彩。
「大地に根ざせないんだから大規模な建造物ひとつにも苦労するよな、この世界」
「基本宙ぶらりんだからな。最上層は地中に穴を掘って地底世界を形成しているからマシだが、老朽化で崩落するところも出てきているようだ」
「岩盤の崩壊を考えると相当深くまで掘らないといけないもんな……って、そういやここ、雨降らねえだろ? 水源はどうしてんだ?」
「水蒸気だ。ここでは雨は降らない──代わりに、湿気がこもる。外側に降り注ぐ雨はやがて雲になり太陽を遮る──そうなってしまえば、蒸発するまで晴れないんだ」
ここでは大地に雨が降らない。代わりに、大地に降らない雨が水蒸気となって分散される。
「──ってそういえば海は?」
「ある。と、言っても地中海だから表面には露出してないがな」
「なるほど」
と、そこでおかわりをせがまれたのでスプーンを突っ込む。途端にとろける顔。本当に幸せそうに食べる〝僕〟だ。鏡の中の僕が締まりのない顔をしているみたいで少し複雑だけれど、悪くない顔だなとも思う。
「お、見ろ。鳥の群れだ」
そう言われて、そういえば大地が上にあるのに上昇気流なんて生まれるのか? と考えながら上を仰ぐ。
スズメの胴体を持ったハチが飛んでいた。
「…………」
思いました。
〝鳥〟の愛らしさ──それ即ち、翼にありと。
ハチのようにヴヴヴと羽を振動させているスズメは、ちっとも愛らしくないと。
大地を下に敷かず、空のないこの世界においては鳥も独自進化をせざるを得ないようだ。
「ところでお前、妹がいたのか」
あまりにも関係がなさすぎて逆に脈絡が通っているようにも見えて、やはり全く関係がなくて脈絡もない話題に僕は思わず呆然とした。
「ん? 妹。お前、めぐりって叫んでたろ。おにいちゃんって言葉にも反応していたようだし」
「いや……わかんねえ。めぐりって名前が妙に口に親しむというか、喉に馴染む気はするんだが……どこの誰かはさっぱりだ」
妹。
おそらくは、妹なのだろう。
おそらく──僕の妹なのだろう。
けれどやはり、思い出せない。〝めぐり〟という名前について想いを馳せれば馳せるほど、頭が霞に包まれて回らなくなる。
「ちなみにワタシは弟がいたようでやはりいなくてけれど欲しかった気はするって感じだ」
「なんだそりゃ」
「妹か。妹はいいな、実にいい。響きがいい。〝妹〟、ただそれだけで全てを許したくなるほど響きがいい。妹萌えというジャンルがあるくらいだしな」
「いやそれはねえ」
妹がいたかどうかさえ覚えていないが、妹萌えなんざ幻想だってことだけはわかる。ああ、わかるね。
「いいか、妹萌えなんざ存在しねえ。真理それ即ち、妹魔王──それだけだ。覚えておけ」
「……妙に実感がこもっている言葉をどうも」
ああ、なんかよくわからんけど妹=魔王という等式しか認めねえって心が叫んでいやがる。
そこのお前も覚えておけ。妹それ即ち、魔王なり! 萌えなんざ幻想だ、捨てちまえ。