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自分図書館  作者: 椿 冬華
第一幕 「僕」の章
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第九自我 【空に堕ちる自我】




第九自我 【空に堕ちる自我】




 結局、メイドさんはついてこなかった。それについて、メイドさんにこう問われた。




 ──怖くはないのですか?

 ──〝わたくし〟がどんな〝わたくし〟であったのか。

 ──恐ろしくはないのですか?




 メイドさんは〝僕〟を嫌悪しているだけでなく、〝僕〟に恐怖しているようでもあった。〝僕〟に恐怖しているというには、少し僕らに対して気を許しすぎているような気がするから違うのかもしれないけれど。

 メイドさんにそう問われた時、改めて僕について考えてみた。

 僕は〝僕〟を知らない。覚えていない。思い出そうとしても思考が霞に塗りつぶされてうまくいかなくなる。

 例えば時折聞こえる電車の音。アレがいい例だ──あの音について考察を深めようとすればするほど、電車の音に思考が奪われて視界さえ定まらなくなる。

 けれどそんな状態でもわかったことはある。まず僕は日本人だ。日本男子だ。見た目からしても間違いなく生粋の日本男子だ。地球という惑星の日本という国──それが僕の生まれたところだ。文明レベルが相応に高く、恵まれた物資に恵まれた社会制度の中で育ち、人並み──世界によって基準が違うからこれはそうであると明言できないが、まあ人並み程度の道徳心と倫理観を培ってこれる程度には規律ある環境にいた。

 おそらく一般的な日本人と大部分は変わらないだろうが、では違うところは何処かと問われれば、おそらく審美眼ではないかと思う。審美眼というか執着というか。美しいものに対する欲求は相応に強いだろう。館長も言っていたが……色。僕が故障する色名は一般的に使われるようなものではない。勿忘草色とか、一般人が聞いても何色なのかすぐ連想できないだろう──けれど僕は使う。普通に、使う。このことからも、僕は〝美〟……特に〝色〟には執心していただろうと考えられる。いや、している。今も、している。

 足下には強烈な青、と呼称するに相応しい露草(つゆくさ)色が果てしなく広がっていて、あまりにも熾烈な青を緩和させてやるように月白(げっぱく)色の、少し青みがかかった優しい白色の綿雲が流れている。

 そう、真下に広がる青空を前に──僕は恐怖心よりも何よりも、()()()右手を抑えるのに腐心しなければならなかった。


「ちょっと! ぼけっとしてないで早く来なさいよ! そろそろ〝恵み〟の時間よ!」


 ふと耳を劈いてきた大声に視線を下に広がる青空から、補修に補修を重ねてもはや元の形がわからなくなっている吊り道に移す。

 腰に手を当ててぶりぶり怒っている青い髪の少女──〝僕〟が同い年くらいの少年にきゃんきゃん吠えている。そしてそんな〝僕〟らを取り囲むのは、巨大な──不気味なほどに巨大で、悪寒がするほどに不安定なぶら下がり都市だ。


 特殊概念系列世界第七種 №19──空に落ちる世界。


 ここは空と大地が、逆転していた。

 いや、正確に言うならば重力が反転状態にあった。この世界において重力とは空に向かうものであり、下といえば空であり、落ちる先は空であった。この惑星の外がいったいどうなってるのかはわからないが、ともあれこの世界の重力はさかさまであった。

 ゆえにそこに住まう人々もさかさまに過ごす。空を下に敷き、空に落ちぬよう足場を作り、その上に家を建てて暮らす。

 ここ、ぶら下がり都市はその集大成のようなもので、はるかな上空──いや、はるかな上地から幾重にも幾百にも幾千にも、幾十メートルにも幾百メートルにも幾千メートルにも組み上げられた──いや、組み下げられた木組みの最底辺に位置する。

 上を見上げても、大地は見えない。組み下げられた木組みと他の都市によって遮られて、よくわからない暗雲が広がっているだけだ。


「行くわよ!」

「うん」


 〝僕〟が少年と会話のやりとりの末に駆けるように去っていったので、それを追ってぎしぎしと鳴って不安定な吊り道を伝い歩く。ぶら下がり都市とはいっても都市というにはあまりにもお粗末すぎる。上から落ちてくるゴミや瓦礫をかき集めて補修に補修を重ねているのだから仕方ないが、今歩いている吊り道だって僕があとひとり乗るだけで板がへし折れてしまいそうなほどに脆弱だ。建造物だって、基本的に壁は腐った藁と汚泥で塗り固めてはいるが穴だらけで、破れた布でどうにか補修しているところが多い。

 もっとちゃんとした資材を使え、と思うかもしれないがそれもここでは不可能な話だ。


「観光はもう終わりか? 〝ワタシ〟」

「落ちそうでろくに歩き回れやしねえよ」


 ぶら下がり都市の一角、今にも折れて空に呑み込まれてしまいそうな木組みに腰掛けて、館長は笑っていた。

 館長の視線の先には青い髪の、十歳くらいの少女──アオ。とても溌剌としていて、こんな凄惨な環境の中にいるというのに少しもくじける様子を見せない〝僕〟だ。

 ──そう、凄惨な環境だ。

 ここは、〝地獄〟だと称してもいい。そのくらいに、過酷な場所だ。


「〝恵み〟が来たぞ!!」

 

 〝僕〟が少年とともに合流していったグループのひとり、精悍な男が声高に叫ぶ。それを合図に、そこに集っている仲間たちと、そしてどこからかわらわらと湧いて出てきたぶら下がり都市の住人たちが身構える。

 こん、とおそらくは誰かの食べ残しであろうりんごの芯が吊り道の木板に落ちてワンバウンドし、吊り道から零れそうになったのを住人のひとりがキャッチしたのを皮切りに、天から──いや、大地から〝恵み〟が降ってくる。

 

 悪臭を放つ大量の食べかすを中心に形成された、膨大な量の〝恵み〟が。


 ──それなりに人生経験があり、それなりに世界を渡ってきた人間ならばすぐ察しがつくだろう。──上が捨てた、ゴミだ。

 少し考えればわかることだ。重力が逆転していて、下には底があるかどうかさえわからない果てしない空が広がっている。ならば人は当然、落ちないよう大地を掘って中に住まうか、岩壁にしっかり杭を立てて基盤を作って住まうかするだろう。

 だが時代が経てば経つほど、人が増えれば増えるほど居住区は増え──格差も生まれていく。大地に近しいところ、つまり安全なところに住めるのは裕福な者たちで、貧しい者たちは危険な下層に押しやられる。

 大地に近ければ近いほど、土壌を利用して豊富な食と資材を得られるだろうが、下層の者はそうはいかない。大地がない以上、上から降ってくるおこぼれでしのぐしかない──格差は広がり続けるばかりだったに違いない。


「パイだ! ラッキー!」

「服があったわ! ねえこれもらってもいい?」

「ああ、お前もうその服小さいもんな。いいぞ」

「今日は木片もいっぱい降ってきたな。崩れた吊り道の修理に使えそうだ」

「食べられないもんはこっちに集めろ! 全部畑の肥料にすっぞ!」


 上にとってはただの食べかすでも、下の者にとっては貴重な食糧となる。上にとってはもう着れない服でも、下の者にとっては貴重な資材となる。上にとってはゴミでしかないそれらを、ここぶら下がり都市に住まう人々は〝恵み〟と称してありがたがる。


「──見ろ、どうやら〝ワタシ〟は上に行くようだぞ」


 そう言われて視線を戻すと、いつの間にか〝僕〟が少年を連れて仲間たちから離れ、ぶら下がり都市の中心部に向かっていた。

 ぶら下がり都市は中心に携えられている、おそらくははるかな大地から伸びているであろう巨大な柱を軸に構築されている。つまり、この柱を伝っていけば上の区域へ登れるというわけだ。


「今日こそパパとママのところに帰るのよ! いい? 頑張んなさいよ!」

「無理だよ……上になんて、戻れないよお……」


 柱を中心に形成されている木組みを登りながら、〝僕〟と少年が会話している。


「絶対帰れるわよっ! パパとママのところに絶対、絶対帰りたいんでしょ!?」

「無理だよぉ……あんな、あんな高いのに……」


 ぶら下がり都市の上空には暗雲が広がっている。数えきれないほどの都市が上に積み重なっているためだ。だが──ぶら下がり都市からひとつ上の、最下層区域と呼ばれているらしい都市までは、おおよそ五百メートルほどの距離がある。

 ぶら下がり都市から柱を三十メートルほど伝ったところまでは、いびつながらも木組みが形成されている。だがその先には、何もない。ただつるりとした表面の柱だけが果てしなく果てしなく──上まで伸びているだけだだ。


 〝ぶら下がり都市〟


 別名──死に損ないの街。


 犯罪者への処刑であったり、ただの事故であったり、はたまた口減らしであったり──様々な理由で上の区域から零れ落ち、けれど空に落ちることなく奇跡的に引っ掛かって生き延びた人間たちによって形成された街。

 〝僕〟もまたそのひとりで、館長によれば二年前、ここに落ちてきたらしい。足を踏み外したのか、あるいは捨てられたのか──それは定かではないが、〝僕〟はここに落ちて以来こうやって柱を登ろうと試みる日々なのだそうだ。

 住人総出で木組みを作りながら上に登っていけばいいのではないか、と思うかもしれない。だが、無理だ。

 まず資材が足りなさすぎる。上の区域までおおよそ五百メートル──それを組み上げるだけの資材が圧倒的に足りない。ぶら下がり都市を解体して木組みを作りながら上に登って、足りなくなれば下の方を解体して再利用する──という手もあるかもしれない。だがリスクが高すぎる。ただでさえギリギリの環境に住んでいる者たちが、自分たちの住処を壊してまで命を懸けて上へ登ろうとするだろうか。


「無理だよ、アオ! 帰ろうよぉ! ぼく、いやだよぉ!」

「パパとママに会いたくないの!? ここにいたって、パパとママには会えないのよ!?」

「会いたいよ、帰りたいよぉ、だけど、だけどぉ……」

「帰るのよ!! 絶対帰ってやるんだから!! アオだってぜったいぜったい……ぜったい、おにいちゃんのところに帰るんだから……!」




 ──おにいちゃん




「…………」

「くっく……追うか?」


 館長の問いかけに僕は知らず知らずのうちに頷いていたらしい。

 館長は立ち上がり、たんたんとかかとを軽く打ち鳴らして僕らの周りに翼を展開した。眼下に広がる大空をそのまま映し込んだような翼が僕らを包み込み、ほのかに光を帯びる。だが──ぶら下がり都市の住人たちは、〝僕〟含め僕らに気付かない。当然だ──僕らの姿は、館長が見えないようにしているのだから。

 僕らの体はそのまま、重力を失ったかのようにふわりと浮いて〝僕〟らの元へ滑るように移動する。

 移動しながら、館長の唄声が愉しげに響く。




 ()の人は(あお)ぐ。

 汚泥と絶望にまみれた空の果てに堕つれどもなお折れず。

 その手が縋るべき存在に縋るその瞬間を糧に。

 その足が帰るべき故郷に帰るその刹那を軸に。




「おにいちゃん、絶対アオのこと探しているもん。おにいちゃん、心配しているもん。アオにはわかるのよ!」


 これまでに何度も挑戦しているからか、〝僕〟は手馴れた手つきでするすると木組みを登っていく。その後を、少年が泣きそうな顔で追う。


「でもアオ、あの柱をどうやって登るの?」

「あのね、みんなにはないしょよ? 昨日ね、〝恵み〟の中にこんなのがあったの!」


 そう言いながら〝僕〟がぼろぼろのナップサックから取り出したのは──トイレのスッポンだった。確か正式名称はラバーカップだったっけか。こぶりではあるものの何本もぎちぎちにナップサックに詰めている。


「大人たちは重いから無理だろうけど、アオたちはまだ子どもだから大丈夫だと思うの! これでね、柱を登るのよ!」


 そう力強く言う〝僕〟の目にはたゆまぬ信念と決意に満ちている。何が何でも〝兄〟に会うという、揺るぎない目標を持っている。


「ジルもパパとママに会いたいでしょ?」

「会いたいけど……無理だよぉ」

「できるか無理かじゃないの!! ()()()()()()()()なのよ!!」


 やらなければどっちみち、助けは絶対に来ぬぶら下がり都市で朽ちていくだけだ。それならばやるしかないと、〝僕〟は執念に身を焦がす。


「…………助けは来ないのか?」

「来ない」


 〝僕〟の焦がれるような信念にいてもたってられなくなった僕の問いかけに、館長は無常を返す。


「と、いうかそもそもここに街があること自体上の区域の者たちは知らない」

「……ああ」


 上を仰ぐ。

 見渡す限りの暗雲──大地から空に向けて組み下げに下げられ続けて形成された、巨大な都市の陰影。

 〝上〟からは敷いた床に遮られて〝下〟が見えない。


「とは言っても、現在最上層ではエレベーターの開発が進んでいるようだ。それに応じて区域の整理を行う動きもある──十年後くらいには区域整理の一環でここが見つかるかもな」

「…………」


 空に落ちる世界。

 一歩足を踏み外せば死に繋がる世界。〝大地〟の上に立てぬことの、意味。


「〝地に足がついていない〟──ここはまさにそれを具現化したような世界だな」

「…………」


 先ほど、観光がてらぶら下がり都市を歩いていて痛感した。

 足が地面についている、ただそれだけで人は余裕が持てるのだ。余剰が出るのだ。余暇ができるのだ。だがこの世界の人々は──おそらくは地中に住まいを構えているであろう最上層の人間以外、余裕が持てない。どんなにしっかりした足場を作ろうとも足場の下には何もないのだ。組み下げられた足場に、下はない。


「あうぅっ!!」


「!」


 悲鳴にはっと顔を上げると、〝僕〟が足を踏み外して木組みから落ちかけていた。貧しい資材しかない中組み立てた木組みはひどくすかすかで、幼い少年少女には登るのも命懸けだ。そんな中、足場とした木組みが折れてしまったらしい。


「あううぅうう」


 辛うじて木片を掴んでいた右手のおかげで〝僕〟はどうにか落ちるのを免れていたが、そう長くは続かない。〝僕〟は必死に左手を伸ばして木片を掴もうとするが、動揺のせいなのかなかなか引っ掛からない。〝僕〟を追っていた少年は手を伸ばせば届く距離にいるが、凍り付いたように動かない。


「うう、うぅ……おにい、ちゃ……」


 ずるり、と〝僕〟の右手が木片から離れる。その瞬間、僕の喉から無意識の、無為の声が突いて出ていた。




「めぐりっ!!」




 ──それは誰の名前だったか。

 他人事のように脳の片隅で思考しながら僕は館長の庇護から飛び出して、〝僕〟の腕を引っ掴んで胸元に掻き抱きながら木組みに体当たりするように着地した。ばきばきといくつかの木組みが折れ、全体が震える。


「…………」

「──わかっているとは思うが、〝ワタシ〟を助けたところで助かるのはこの世界線の〝ワタシ〟だけだ。世界は分岐し、ワタシたちが現れなかった世界線も既に生まれている」

「……わかっているさ」


 けれど体が動いてしまったものはしょうがない──言い訳するように囁いて、腕の中にいる〝僕〟と、そして上で木組みに掴まったままぶるぶる震えている少年に大丈夫かと声をかける。


「え? あっ? おとうさ……おにいちゃ……ちがう? えっ……」

「あー……うん、通りすがりの君です」


 適当に返しつつ、混乱している〝僕〟をよそに僕は館長を見上げる。館長は、相変わらず青空に溶け込むように浮いている。


「──館長」

「世界は分岐する。それをわかった上でも助けたい、か?」

「……ああ。僕の勝手なエゴだってのは、わかってる」

「言い訳なぞいらんよ。ワタシだって普通に世界に介入すること、あったろ」


 言い訳するよりも、〝そうしたい〟と思った自分について考えろ──そう言って館長は口を吊り上げて笑い、僕と〝僕〟と、ついでに少年の体に魔法を纏わせた。


「え? え? え?」

「やあ、はじめまして──〝ワタシ〟」

「え? あ? え……そら、とんで……え?」

「ワタシは魔女。なんでもひとつ、願いを叶えよう。さあ、願いを言うがよい!」

「へ? あ? ぅえ?」


 〝僕〟は こんらんしている!

 当たり前だ。もう少しクッション挟め。


「面倒臭いな。〝ワタシ〟──ひとつ聞こう。お前たちは、家に帰りたいか?」


 宙に浮いているむちゃくちゃ怪しい女からのひとことに、戸惑い狼狽えていた〝僕〟はわずかに目を見開いて一瞬硬直し──がちりと、機械のように勢いよく頭を縦に振った。

 その首肯に、館長は笑う。


「その願い、叶えてやろう」




 ◆◇◆




 おにいちゃんと、ぼろぼろに涙を零しながら我武者羅に腕を振り回して駆けて行った〝僕〟を、同じく涙を零している青年が受け止めるのを見届けて──僕はそっと物陰に隠れる。


「……無事、〝僕〟もジルとかいう少年も帰っていった」

「そうか」


 ここは〝大地〟から三百メートルほどの場所に位置する中層区域。ぶら下がり都市とは比べ物にならないほどしっかりとした足場が中心部の巨大な柱を軸に、大地から伸びているいくつもの支柱も利用して築かれていて、外周部には真新しい柵がある。

 それだけでなく上層や下層への移動手段であろう螺旋階段やはしごもいくつかあり、本当に上層との連絡手段がなかったのがぶら下がり都市だけなのだと知る。


「〝ワタシ〟たちが帰ったことで最下層のさらに下にぶら下がり都市があることが大人たちに伝わるだろう──くっくっく、果たして〝上〟の人間たちはぶら下がり都市のことをどうするかね」

「……助けるパターンと助けないパターンに分岐する、か?」

「そんな単純なもんじゃあない。大切な人が空に落ちて絶望した者たちには希望が生まれ、確かめたいと願うだろう。だが飛行手段のないこの世界でぶら下がり都市まで行くのは危険だ──反対する者たちも出るだろう。あるいは──〝魔女〟とその使い魔に関する物語が生まれて、何でも願いを叶えてくれる魔女がぶら下がり都市にいるなんて言われるようになったりな」

「…………」

「気に病む必要なぞどこにもないさ。世界に介入してはいけないなんて法律があるわけじゃなし──」

「気に病んでなんかねえけどな」


 病んでなんかねえけど──やるせない気分になる。


「僕は確かに〝僕〟を助けた。でも、世界を渡れば僕に助けられることのなかった〝僕〟が必ずいるわけだ」

「そうだな」

「助けたことを後悔しちゃいねえけどよ──やるせなくなる」


 世界を跨ぐストーリーが描かれる物語では時折、〝他の世界に干渉してはいけない〟というルールが登場する。その理由には世界が改変されてしまうだとか時空警察に掴まってしまうだとかまちまちだが。

 けれど今、ぼんやりとだけれど理解した。


 世界には介入するものじゃない。


 ──〝僕〟には、過干渉するものじゃない。


 これまでのような〝ちょっとした交流〟とはわけが違う、明らかにその人生を大きく変える〝僕〟への干渉。

 その末に得られる自己満足感はとても大きい。後悔も反省もしていないし、助けることができてよかったという充足感もある。

 けれど、僕は世界を知っている。

 僕は、世界が無数に存在することを知ってしまっている。

 僕は──〝分岐〟の存在を、知ってしまっている。

 一方を救えば、一方が救われないことを──僕は、知っているのだ。


「後悔はしない。反省もしない。助けてよかったと安心もしている。だがやるせない気持ちになる──最悪だな」

「くっくっく、開き直るのもアリだぞ? DR-Mへの過干渉もそうだ──いくら干渉しようと、世界線は分岐する。だからこの世界線は俺様が滅茶苦茶にしてやるんだー! ってな」

「サイコパスじゃねえか」


 いくら世界線が分岐しようと、その世界に住む人間たちにとってはその世界ただひとつしかないのだ。そんなことできるかよ。


「くっくっく……優しいなあ、〝ワタシ〟」

「…………」


 優しい。

 そう言われると、少し不安になる。

 今回、僕は〝僕〟に対して明らかにいつもと違う感情を抱いていた。〝僕〟がおにいちゃんと口にするたびに、僕の鼓膜の奥で誰かがおにいちゃんと呼んだ。僕にも妹がいたのか、それは果たして〝めぐり〟という名前なのか──わからない。

 もしかしたら僕は、無意識のうちに〝僕〟を、僕の知らない記憶の中の誰かと重ねて助けたくなっただけなのかもしれない。


「安心しろ。お前は紛れもなくお人好しでどうしようもなく優しい〝ワタシ〟だよ」


 館長の声が、やけに優しく響いた。

 空を仰ごうとして空がないことに気付き、またもややるせない気分になりつつメイドさんの言葉を思い出す。〝僕〟がどんな〝僕〟であったのか、恐ろしくはならないのかというメイドさんの、静かな問いかけ。

 今日一日、青い髪の〝僕〟を眺めつついろいろ考えて──出た答えはひとこと。




 〝わかんねえ〟




 【望郷】


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