【焼きシカバネウオ】
「馬鹿には見えない食事である」
そう言われて皿を置かれる。
皿。ぴかぴかに磨かれた、何の変哲もない白い陶器の皿。陶器といっても量産型のありふれた皿で、職人が丹精を込めて作ったわけではない。
もちろん、何も載っていない。
「…………」
「おや? 食べぬのか? こんなに美味しそうな料理が載っておるのだぞ? まさか見えんとは言わぬよなあ?」
「小学生かてめえは」
一瞬水クラゲ的なステルス料理なのかと思ったが執事さんのこの言動ではっきりした。ただの嫌がらせだ。
「まあ。冗談でしたのね。わたくしてっくり、執事さまがおボケになってしまわれたのかと」
軽やかにひどいことを言ってメイドさんが執事さんの脇からことりと、僕の前に料理を置いてくれた。
魚の骨を。
「…………」
「…………」
「まあ、どうなさいましたの?」
「メイド……いや、さすがの我輩もここまでやろうとは思わななんだ……」
嗜虐嗜好のある執事さんでも引き攣るレベルの仕打ちに、メイドさんは心外とばかりに唇を尖らせた。
「違いますわよ。シカバネウオを焼きましたらそうなりましたの」
「骨になるまで焼いたんすか……」
「違いますわ。つついてみたらわかりますわよ」
そう言われてお箸を差し出されたので、素直に受け取って魚の骨をつつ──つつけない。いや、つつける。つつけるってか……魚の骨をつつく少し手前で、柔らかな感触に阻まれている。目には見えぬが確かに何かがある──と、そこではっとした。
シカバネウオ。
滅びた世界から持ち込んできたお土産のひとつ、勿忘草色に沈んだ世界によく映える血のように紅い魚。身がうまいからと、お土産に何尾か貰ってきた。シカバネウオなんていう不吉な名前はてっきり、血のように紅いことが由来していると思っていたが──
「……焼いたら、屍にしか見えなくなるってか骨しか見えなくなるからか……」
熱を通したら身が透過する──ってところだろうか。どんな魚だ。
「いや……貴様、この魚を見たのは何処でだ?」
「あん? 滅んだ街の底と……あとは村でだな」
「貴様はこの魚を追ったか?」
「いや……底では見かけただけだし、村では既に釣られてて死んでる状態だったし……」
「おそらく外敵に対し、死んだふりをすることで逃れる類の生態であろうな。太陽光を集めて熱を通し、死んだ魚に見せかけるのだ」
──執事さんのその推測を裏付けるように、皿に放置されていたシカバネウオが、尾の方からじわりじわりと赤みを帯びていく。
「なるほど……つくづく滅びた世界にはステルス迷彩が多いな……」
「滅びたからこそ、であろうよ」
「まあ……おもしろい」
「構造的には普通の魚とそう変わらんが……内臓がひどく薄いな。迷彩としての制度を揚げるべく、透過の効きづらい内臓を退化させたのか……」
僕から箸を取り上げた執事さんが興味深そうにシカバネウオをつつき、皮を裂いて身をほぐす。身が透明でなければ見た目的には鯛に近いだろうか。
「足マットさまが捌いてくださいましたのを拝見しておりましたけれど、鱗がとても複雑に入り組んでおりましたわね」
「ああ……鱗が一定方向についていなくて、鱗を削ぎ落すとき身がかなり痛んでしまいました」
「ふむ? それは興味深い──まだ調理していない魚はまだあるな? 後で見せてもらおう。まあ、一定方向に揃っていない鱗はおおかた、受けた光や熱が外に流れてしまわないようにする役割も負っておるのだろうが」
そう言いながら執事さんはほぐした身を箸で持ち上げて、僕の口元に運んできた。抵抗する理由もないので食べてみる。
「……鮭っぽい」
「少々パサついておりますわね……こちらは身だけをいただいてふりかけに加工してしまったほうがよろしいかもしれませんわ」
メイドさんも執事さんに食べさせてもらいつつ、首を小さく傾げて感想を述べる。
──……何をしてるかって?
もらったシカバネウオをどう料理するか議論なう。
あちらじゃあシカバネウオは生食するもんだったが、刺身にするにしても一尾で十分だ。余ったシカバネウオをどうするか、試しに焼いてみて味を見ながら相談しているのだ。
「ムニエルにしましょうか」
「酒蒸しでもよかろう。シカバネウオなんていう不吉極まりない名前とは裏腹に普通であったな」
「ステルス迷彩は普通じゃねえけどな……」
シカバネウオの使いどころが見つかってしまえば話すことは何もない。残ったシカバネウオをおやつ代わりにつつきつつ、三人で滅びた世界についてたわいもない談笑をする。
何もかもが水に沈み、滅びを迎えた世界というのはメイドさんと執事さんにとっても興味を惹くものであったらしく、様々なことを聞かれた。
〝滅び〟に惹かれる人間の、なんと退廃的なことよ。
「……今回の〝僕〟は死んでいたから会えなかったんですけどね、それを抜きにしても楽しい旅でしたよ。……メイドさん」
「えっ? あっ、何でしょう?」
僕の話に聞き入ってほうっと勿忘草色の水底に揺らめく街を想像していたメイドさんに、僕はなんとなく手を差し出す。
「次の世界、一緒に行きませんか?」
「……! …………、…………」
以前、メイドさんは〝僕〟を知りたいとは思わないと口にした。表情にこそ出さないが〝僕〟を嫌悪している。
けれどメイドさんが嫌悪しているのは〝僕〟だ。〝世界〟ではない。
「〝僕〟の観察は僕と館長だけで行いますし……観光旅行って感じで」
「…………」
メイドさんは答えない。視線も、僕に向けない。ただ静かに視線を落として──膝の上で握りしめた自分の拳を見つめている。
「ふたりの〝我輩〟を侍らせて旅行しようとはいい御身分であるな」
「てめえじゃねえんだから嬉しかねえよ」
館長と一緒に寝てるし風呂だって入るし着替えだって手伝ってやるが一ミリたりとて欲情しねえよ。
「そう言う執事さんはどうなんだよ? 大好きな〝僕〟に会えるぞ」
「だから何だというのだ? 我輩は〝我輩〟に興味なぞない、そう言ったであろう。〝我輩〟を愛しておるからこそ、〝我輩〟がどういう存在であるかを知る必要がないのだ」
どんな存在であろうと愛しているからこそ。
実態を知らなくとも何ら問題は発生しない。
たとえミジンコであろうとヒトであろうと。
たとえ殺人鬼であろうとゾンビであろうと。
我輩は、〝我輩〟を心から愛してやまない。ゆえに、知る必要なし。
──そう言い切って、執事さんはひどく嗜虐的な笑みを浮かべて僕の口元についていた食べこぼしを親指で拭った。