【おクラゲさん】
(下だ! もっと下に潜れ!!)
館長の鋭い一声が脳に鳴り響いて視線を下に落とす。緋色の輝きが、見える。僕はぐっと腕に力を込めてさらに深く、さらに底に向けて体を沈み込ませる。そんな僕らを追うように水が狭まり、僕らが先ほどまでいた場所で泳いでいた魚が圧し潰される。
(水クラゲ、思っていた以上にやべぇじゃねえかっ!)
(みたいだな。ここまで水と同化しているとは思わなかった)
頭上にはいつもと変りない、勿忘草色に揺らめく滅びの街並みが広がっている。だが波に揺蕩って楽し気に泳ぐ魚たちが、ある一線を越えたところで急激に苦しみ悶えだし、ねじれる。
そうして動かなくなった魚が何匹も、何十匹も漂っている箇所がある。──そう。そこに目に見えぬ水クラゲの群れがいるのだ。
水に揺らめきは一切生まれない。水にゆらぎは一切見えない。水クラゲの移動によって息絶える魚だけが唯一の、見抜く鍵──完全にして究極の水棲生物!
とにかく魚の死体から離れるように、水を蹴って先を泳いでいるメグ・ルーさんを追う。緋色の輝きを見失わぬよう、一心不乱に水を掻く。
(移動速度はそんなに速くないようだ)
(そりゃ助かった)
水クラゲは群れで動き、単一で動くことはない。群れの規模は様々らしいが、最低でも一軒家くらいには群れるらしい──と、いうことでメグ・ルーさんは群れが追ってこれないよう建物の中に入り込んでいった。それを追って、かつては多くのビジネスマンが意気揚々と働いていたのであろう商業ビルの窓を通って内部に入る。
オフィス机がいくつも錯乱していて、椅子の方は波に流されてしまったのか見当たらない。どれもすっかり自然に浸食されてしまっていて元の色が全く見えない。かつて、人間たちがこのオフィス机で仕事をしていたのだと考えると寂寞めいた感情に胸が詰まる。
メグ・ルーさんは階段を伝って上階へ向かったようなので僕らもそれを追い、僕らの登場に逃げ惑う魚の群れを眺めつつ上へ上へ泳ぐ。
「──っぷは!」
「おう、無事だったか。ひと休憩しようや」
やがて水の切れ間が見え、一気に水を蹴って顔を出した僕にメグ・ルーさんが笑顔で手を差し出してくる。
「いや~、水クラゲには毎度ビビらされるねぇ」
「いや……ビビるってもんじゃないでしょうアレは……全く見えませんでしたよ」
メグ・ルーさんの手を借りて陸地に上がった僕は館長を背から下ろし、地べたに座り込み大きく息を吐いた。
水クラゲ。マジでヤバいアレは。ステルス迷彩なんてもんじゃねえ。完全に見えない。
「ここらは魚が多いからな。水クラゲも見つけやすくてわしらは重宝しとる」
「魚が呑まれて死ぬ以外に水クラゲを見つける方法ってないんですか?」
「今んとこねえべな」
色々研究はされとるがな~、と呑気に笑うメグ・ルーさんに僕は頬を引き攣らせる。あんな危険生物がいるところを泳ぐだけあってメンタルの強さは鋼級だ。
「おつかれ! はい、つめた~いお茶とつめた~いおつまみ。あったかいのを食べたいだろうけど、村に帰るまでは我慢してね」
先に上陸していたらしいスコープレンジのひとりが水筒と銀色の箱を持ってきて、〝おつまみ〟に反応したらしい館長が飛び付く。
「ん? これは……わらび餅、ですか?」
「ワラビ? いんや、おクラゲさんだよ。酢飯を揚げたクラゲの衣で包んだやつだ」
銀色の弁当箱に入っていたのは親指ほどもある透明でぷるぷるとした質感のわらび餅もどきで、中に白っぽいものが入っていたことからてっきり白あんのわらび餅なのかと思っていたが──メグ・ルーさんの説明を聞くに、おいなりさん……か?
「おい、食わせろ!」
「はいはい」
毒見がてら、ひとつつまんで館長の口に放り込む。毒があったとしても館長ならなんとかできる。たぶん。いや毒はないだろうけど。
「んむ……ふむ、なかなか美味い。もっとしっとりしているのかと思ったが、案外さっぱりしてるな」
館長のそんな感想を聞きながら僕もひとつまみ、口に放り込む。おクラゲさんは手に取った感触だとわらび餅そのものだった。透き通って見える中身をよくよく見ようとしなければ白あんのわらび餅にしか思えない。が、口に入れてみると鰹節の出汁が鼻先にまで満ちてくる。舌先でなぞる表面はわらび餅のようにつるりとしているが、歯を立てるとざりっとざらついた断面が現れて、これまた濃厚な鰹節の出汁が染み出てくる。
酢飯は僕の知っている酢飯よりも硬くぱさぱさとしていて正直今ひとつだった。けれどクラゲの衣にくるんで噛み締めると酢飯が出汁をいい具合に吸って美味しくなる。
「水クラゲはおっかねぇけどな、食材としちゃ優秀なんだ。水抜きした水クラゲに魚醤をかけるだけでもうめぇ。細長く切り刻むことで麺にもなる」
「ほぉ~。ネックなのは群れの見つけ辛さと、足の毒か」
「ああ。──ミ・レイもな、水クラゲの毒にやられたんだ」
水クラゲの毒は即効性と遅効性の二種類があるらしく、即効性の毒は人間のような大きな体の生物にはあまり効かないらしい。問題なのは遅効性の毒の方で──免疫力を、根こそぎ奪うんだそうだ。
「免疫力……それで、病気に」
「ああ。水クラゲ喰ってやるって喚いていたよ」
そのひとことで理解した。
水クラゲの食法を編み出したのはミ・レイだろ絶対。
「さすがは〝ワタシ〟、ただじゃ起きない」
「起きなさすぎだろ……」
〝僕〟らしいというかなんというか。
僕が一番〝僕〟らしくない気がしてきたぞ、おい。どいつもこいつも食い意地張りすぎだろ。