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自分図書館  作者: 椿 冬華
第一幕 「僕」の章
3/138

【宝石アイス】


 〝記憶〟と〝経験〟の、違い。


「貴様は何ができるのだ?」


 僕は、答えられなかった。


「役立たずめが」


 辛辣に僕を睨み下ろしてくる〝僕〟──執事さんに、けれど僕は焦燥感を覚えることはなかった。何も覚えていないということは、何も知らないということ。何も知らないということは、何を恐れるべきかもわからないということ。

 だから僕は、ぼんやりとした混乱に包まれたままだった。


「執事さんとメイドさんは……ここで働きながら、館長と一緒に〝僕〟を──〝自分〟を、探しているんですか?」


「いいや?」「いいえ?」


「我輩は〝我輩〟に興味がないのでな」「わたくし、〝わたくし〟を知りたいとは思いませんの」


 だから館長の異世界を渡る旅には付き合っていないと、ふたりの〝僕〟は語った。

 館長は言った。〝僕〟を探していると。

 だから世界を渡り、ありとあらゆる世界に存在する〝僕〟を記録していると。

 館長は〝僕〟に──〝自分〟に、執着している。

 じゃあ、僕はどうだろう?


 わからない。


 やはり──〝僕〟が()いことについて、焦燥感も恐怖感も切迫感も、ない。ただぼんやりとした混乱が──あるだけだ。

 僕は、どうすればいいんだろうか。


 わからない。


「おやつは?」


 自分図書館東館、第三書庫。

 そこで床に寝転がって作業している館長に見上げられる。僕はメイドさんから預かってきた──というか、持っていけと押し付けられたお盆を床に置いた。メイドさん曰く、今日のおやつは宝石アイス。

 読んで字の如く、宝石のような──ってかまんま宝石だ。手のひらほどもある蒼玉(サファイア)硝子(ガラス)の器の中で輝いている。どこからどう見ても鉱石で、〝宝石風〟なんてかわいいものじゃない。鉱石だ。ただの鉱石。

 ──けれど、今朝の焼き本を思い出す。これも〝可食物質系列世界〟とやらの、食材なのだろうか。

 あーん、と館長が寝転がったまま大口を開ける。行儀が悪い──と、叱っていいところなんだろうか。行儀……行儀が悪い、よな。なんとなくこれは行儀が悪い、と直感で思ったけれど……何故行儀が悪いのか、説明ができない。やはり──わからない。

 やはり僕の頭は、ぼんやりと霧に包まれたようにうまく機能しない。

 先端が尖っている銀色のスプーンを手に取って鉱石にしか見えない宝石アイスに突き立てる。がちん、と硬質な感触が手に響く。ちょっと指先が痛い。


「宝石アイスだからな。硬くて当たり前だ──あーん」


 当たり前……当たり前、なのだろうか。〝当たり前〟って──どこの基準なんだ?

 とにかくスプーンの先端をぐっぐっと鉱石に押し付ける。と、摩擦熱なのか熱伝導なのか蒼玉(サファイア)の表面がとろりと溶けて、スプーンの先端が海に沈み込むように呑み込まれた。スプーンの根元まで呑み込まれたあたりで慌てて角度を変え、掬い上げる。

 蒼玉(サファイア)の海がそのまま凝縮された宝石が、スプーンに載っている。その美しさに思わず見惚れて──そして、無意識に〝海〟を表現したにも関わらず、〝海〟の記憶が出てこない自分にまたもや奇妙な感覚に陥る。〝海〟──どんな場所かはわかる。わかるのに、明確な映像が出てこない。

 〝海〟──果てしなくどこまでも青々と広がる、たさざ波立つ場所。そんなぼんやりしたイメージは湧く。なんとなく砂浜で足が踏みしめている砂子とさざ波に撫でられるような感触もあるような気もする。

 けれど全体的に霧がかかったようにぼやけていて、ふわふわととても覚束ない。何を思い出せないのか、それさえわからない。何がわからないのか、わからない。何がそんなにもぼやけているのか──全然わからない。


 僕はやはり〝僕〟が、わからない。


「……」


 ──と、そこで館長が大口開けたまま、よだれを垂らしながら待機していたことに気付いて慌ててスプーンを口に突っ込む。

 もきゅもきゅと咀嚼して幸せそうに笑う館長に、なんだか僕が──〝僕〟が幸せになった気がして、微笑んでしまう。


 僕は〝僕〟を知らない。


 けれどそれでも、やはり目の前にいるこの〝僕〟は僕だ。


 それだけは──間違いない。


「〝ワタシ〟も食べていいぞ」

「ん……」


 そう言うなら、と僕も宝石アイスをひと口掬って口に運ぶ。とろりと、冷たくまろやかな氷が舌の上で溶ける。ミルクにほんの少し塩を混ぜたような、そんな甘じょっぱいアイスだ。とても不思議な味で、けれど嫌いではない。


「さて、〝ワタシ〟──これからどうするか決めたか?」


 これからどうするか。

 雑用をするかしないか、それだけじゃない。


 〝僕〟を探すか探さないか。


「…………」

「ふむ、〝ワタシ〟──執事とメイドの時は案外、すんなり〝ワタシ〟を探す気はないがここで働かせてほしいと決めていたが……お前は決められない、と。ふむ。同じ記憶のない〝ワタシ〟でもこうも差が出るか」


 面白い、と〝僕〟が笑う。──(わら)う。


「人体は三種から成る。〝魂〟と〝肉体〟、そして〝精神〟──ワタシたちはそれぞれ住まう世界が違えど〝魂〟を同じくする存在だ。だが〝肉体〟は違う。そして──〝精神〟、つまり〝心〟から記憶が抜け落ちてしまっていて抜け殻の状態だ」


 ふむ、ふむと館長は頷きながら上半身を起こして(たの)しそうに唄う。


「〝記憶〟はない。だが、ワタシたちには肉体がある。これまでの人生を潜り抜けてきた〝経験〟が積み重なった〝肉体〟が──それが、ワタシたちに人格の差を生んでいるのか」


 どうやら〝ワタシ〟、お前は何かを選ぶ経験をしてこなかったらしい。


 その経験が、今の何も選べない僕を作り上げているのかもしれない──そう唄って、〝僕〟は嗤う。


「執事もメイドも、元々がだいぶん我の強い性格のようだからな──ふむ、ふむ。面白い」


 よし決めた、と館長が隈の刻み込まれた三白眼で僕を見上げる。


「選択できないというのであればワタシが決めてやろう。お前はワタシに付き従え。ワタシの雑用として、ワタシとともに世界を巡れ」


 僕は──やはり、ぼんやりとした混乱の中にいるだけで否定も肯定もできなかった。


 僕は、何も選べなかった。


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