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自分図書館  作者: 椿 冬華
第一幕 「僕」の章
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第八自我 【滅びは自我を育てる】




第八自我 【滅びは自我を育てる】




 テレシア歴三六四三年。




 世界は滅んだ。




「何もかも全部、沈んじまってるな……」


 からくりの世界から帰ってきて三日、元々行く予定であった未開文明系列世界第八種 №112──未開文明というよりは、既に滅んだ世界。そこへ僕らは降り立っていた。

 おおよそ三百年前に豪雨が世界を襲い、大地という大地が、森という森が、建物という建物が、生物という生物が、ヒトというヒトが根こそぎ全て洗い流され──水の底に沈んでしまった。

 かつては商業ビルであったのであろう、太い蔓に圧し潰され浸水による腐食も進んでしまっている高層ビルの屋上──そこで僕らは水に沈んだ都市を、見下ろす。

 水はとても澄んでいる。信じられないくらいに透明度が高く、水中を自由気ままに泳ぎ回っている魚たちの影がはるかな水の底に映し出されている。水深──あくまではるかな底に見える、かつては地面であった場所を基準に考えての水深は三十メートルほどだろうか。いや、五十メートルはあるかもしれない──なんせ何もかもが水の中に沈んでしまっていて、水面から頭を出しているのはどれもかつての高層ビル群の頭部なのだ。高さと深さの感覚が、わからない。


「こんな世界でも……人間は住んでいるのか?」

「辛うじてな。まばらながらも水上集落が世界各地にあるようだ」

「世界がこんなんになっても……世界は、続くんだな」

「当然だろう?」


 人間に世界は必要でも、世界に人間は必要ない。


 至極当たり前で、けれど僕ら人間はすっかり忘却の彼方に葬り去ってしまっている真理を口にして──館長は、嗤う。


「さて、〝ワタシ〟は……いまいちどこにいるのかよくわからんな。一応、ここから南の集落にいるようだが。いや、集落というよりは……これは組織、か?」


 独り言のように囁きながら館長はとんとんと靴先を叩いて魔法を展開し、一隻のボートを作り出した。


「さあ、漕げ。馬車馬の如く」

「魔法で漕げるだろ、絶対」

「嫌だね、ワタシはお前が汗だくで漕いでいる様を眺めたい」

「最低だなてめえ」


 いつもと変わらない応酬を交わしつつ、ボートに乗り込んでオールを手に持つ。透明度の高い水面はボートがさざ波を生んでもさほど影を生まない。ただ、ボートの作り出す影だけが底に映し出されて──まるで空を飛んでいるよう。


「…………滅んで水の中に沈んでしまったかつての大都会、ってなんつうか……侘しいとか切ないとか、そういう気持ちと一緒に……美しい、って思うんだよな」


 オールを握っていなければ右手がきっと、胸元で何かを掻きむしっていただろうと確信できるくらいに──滅んだ街は、美しかった。


「〝をはりの美学〟だな」

「ん、知ってるぞそれ──三島由紀夫だろ?」

「ほぉ、お前の世界にもあるか」


 〝をはりの美学〟──おわりの美学。終わりの美学。滅びの美学。

 終わりかけの美しさ。終わりゆく美しさ。終わった美しさ。終わっている美しさ。滅びには得も知れぬ官能がある。倒錯的で享楽的で、よしんば恋人との情交以上に愉悦な官能がそこにある。

 この胸を焦がす衝動は何なのか。


「味気のないことを言えば、生存本能からくる焦燥感がドーパミンを分泌させていて、それを憧憬と誤認しているだけだろうがな」


 人間とて、野生から遠く離れたとはいえ生物。

 夕暮れに寂寞めいた感慨を抱くのも、夜が訪れることへの生物的な恐怖を誤認しているだけだろう──そう言って館長は、含むように笑った。


「……なるほどね。アレか、高所で味わう恐怖を興奮と捉えるのと同じだ」

「吊り橋効果とかな」


 だが別に人間に限ったことではない、と館長はさらに続ける。


「知ってるか? イルカはフグの毒で体が麻痺するのを楽しむんだ」

「クレイジーだな」


 生存本能からくる焦燥感を快楽に置き換えている。

 それが正しいかどうかはわからない──だが、あながち間違ってはいないのだろうなと思う。




 電車の音がする。




 この、時折聞こえてくる電車の音だってそうだ。

 わからないけれど──この音もまた、何かの〝終わり〟を示している気がする。この音を耳にするたびに、憧憬じみた感情と一緒に得体のしれぬ恐怖心で胸が満たされるのだ。相反した感情で、胸が満たされる。

 憧憬と失望。解放と寂寞。希望と絶望。幸福と恐怖。

 電車の音に揺られていたい停滞への羨望と、電車の音から逃げ出したい停止への切望。

 この音の正体は、未だにわからない。

 わかるのは駅のホームに滑り込んでくる電車の音と、ホームの向こうに見える高層ビルと、高層ビルの狭間に沈みゆく夕日だけ。


「──見えたぞ。あの一際高いビルを根城にしているようだ」


 ふと、声をかけられて視線を後ろに向ける。ボートで向かっている先に聳え立つ、水面からにょっきりと伸びた高層ビルのひとつ。蔦に覆い尽くされて見る影もないが、おそらく全盛期には大都会の中でも一等のビルであったろう大きな建造物だ。


「あそこで暮らしてるのか?」

「暮らしている、というよりは一時的な根城といった体のようだ」

「ふぅん……滅んだ街を見下ろしながら暮らす、か。なかなかこう、胸に来るものがあるねえ」


 茶化すように(うそぶ)きながら何の気なしに水中を覗き込む。


 髭面のおっさんと目が遭った。


「ぎゃあっ!!」

「ぴゃっ!?」


 驚いて仰け反った拍子にボートが大きく揺れ、まず腕を使えない館長が盛大に水しぶきを上げながら落ちた。次に、館長が落ちたことで波が立って、館長がいなくなったことで比重が偏っていたボートはあっさり引っ繰り返った。どぼーん、と僕も落ちる。




 ◆◇◆




「ごめんって……」

「…………」


 ぶっすーと拗ねている館長を背後から抱きしめて窘めつつ、僕はため息を吐く。

 そんな僕らの付近では数人の、二十代から五十代とまちまちな年齢の男女が忙しなく作業をしている。ここは僕らがボートで向かっていた目的地である、一際高いビルの内部だが──蔦は内部にまで侵食していて、とてもじゃないが人間が暮らせる環境ではない。一部の床は抜けてしまっているし、腐食のせいなのか少し傾いてしまっていて浸水している区域もある。


「おう、落ち着いたか兄ちゃんたち」


 先ほど水面越しに対面した髭面のおっさんがカラカラ笑いながら寄ってきて、僕は大丈夫だと頭を下げる。

 まあ、端的に言えばこのおっさんにビビってボートが転覆して、腕が使えない館長が溺れて慌てて救助したはいいもののこうしてすっかりむくれてしまった。

 ぶっすーとしている館長を見てか、髭面のおっさんが笑ってもしゃもしゃと館長の蓑虫みたいな頭を乱暴に撫ぜた。


「脅かして悪かったな。いや、妹にそっくりなやつがいるって思ったんだが……そうでもねえな、ガハハ!」

「妹?」

「死んじまったけどな。ミ・レイって妹がいたんだ」


 ミ・レイ。

 名前を聞いただけだけれど、直感でわかった。

 〝僕〟だ。


「……どんな妹さんだったんですか?」

「んん~、俺と同じ考古学者でなぁ。滅んだ街の歴史を調べていたんだ。でも一年前、病気しちまってな。……ちょうどこのあたりでな、息を引き取った」


 髭面のおっさんはメグ・ルーと言うらしい。妹と二人三脚で考古学に携わっていて、スコープレンジ(潜水探検家)のいちチームに混ぜてもらい、協力関係を取りながら研究活動に勤しんでいるんだそうだ。


「人一倍負けん気の強いやつでなあ、わーわー騒ぎながら潜っては大発見ってわーわー騒いでいたよ」


 とにかく騒がしい〝僕〟だったらしい。

 ふ、とメグ・ルーさんの目が懐かしむように僕らを見る。愛しい存在を見つめるような、大切な家族を見つめるような──

 ふと、胸が掻き毟られるような焦げ付く衝動に襲われて思わず目を見張る。メグ・ルーさんを見ていると何故だか、懐かしさに泣きたい気分になる。何もかもを捨てて身ひとつで、手を広げて駆け寄って抱き締めたいような──抱き締めて、大声でわあわあ泣きたいような──衝動めいた、懐かしさ。愛おしさ。望郷心。




 ──おにいちゃん




「ッ!!」

「どうした?」


 息を詰めた僕に腕の中の館長が怪訝そうに見上げてくる。

 ──その時にはもう、さざ波のように僕の鼓膜から声が引いていた。……なんて、言ってたっけ?


「…………?」

「にいちゃんら、腹減ったろ? 俺らメシにするから一緒にどうだ?」

「あっ、すみません。甘えてもいいですか?」

「おう。明日の夕べには村に帰るけぇの、何処に行くつもりじゃったんか知らんが……どうする?」

「ふむ、ならばしばらくお邪魔させてもらうとしよう」


 そういうわけでしばらく行動を共にすることとなった。僕らは世界を放浪している旅人ってことにした──んだが、ボートひとつで旅とは何事だってメグ・ルーさんの仲間であるスコープレンジの人たちに滅茶苦茶怒られた。


「水の下はの、歴史の宝庫じゃけんな」

「テレジア期の文明を蘇らせちゃる! っていつも言ってんだよこのおっさん」

「テレジア期って知ってる? 今から三百年前……信じられないと思うけど、この世界にまだ水が満ちていなかったころの時代なのよ」

「テレジア期はすごかったらしいぜえ。船が自動で動いたり、鉄が空を飛んだり、真夏でも氷を作り出せたり……」

「メグ・ルーとミ・レイはな、失われた古代文明の技術を蘇らせることに意欲を出しておる。ふたりの熱意に惹かれて志を同じくする考古学者もユーラシカル村にはおるのじゃよ」

「古代文明ってのもロマン! ……だけど俺らはそれよりもお宝! でなぁ、日々お宝を狙って潜っているってワケだ!」


 木を削り出して作った深皿の盆によそられたシチューを口に含みつつ、メグ・ルーさんたち一味の会話に耳を傾ける。館長ははぐはぐと犬喰いしてて全然話を聞いていない。

 シチューといっても雑炊に近くて、そして冷製だった。基本的に村以外の場所では火を(おこ)さない取り決めなのだという。


「水クラゲは熱に集うんだ」

「水クラゲ?」

「このあたりの海域に住まう危険生物さ。水と同化しちまってその姿は引き上げるまで絶対に見えねぇ。そして、常に群れで移動している──考えてみろ、さあ潜るかって水に飛び込んでみた先がクラゲの大群だったら」


 そう言われて、ぞっとしてしまった。


「だからこのあたりじゃ潜水も長時間できねえんだ。それに一ヶ所に留まっているのも危険すぎる。人間の体温を感知して寄ってくるからな」

「だから水昆布で体を巻いてから潜るんだ。熱を誤魔化せる」

「そうだ、兄ちゃんも明日潜ってみねえか? 俺らが先導してやるぞ。いいぜえ、水の中は絶景で」


 絶景、という言葉にぴくりと右手がうずく。けれど、水クラゲの恐怖に飛び込むのはさすがに躊躇を覚える。館長ならともかく、僕はただの人間だ。できないことがないというわけじゃないが、できることがあるというわけでもない──要は器用貧乏の、至って凡庸な人間だ。


「ワタシを背中に括り付けて潜ればいい」

「お前時々雑だよな」


 いや、いつもかもしれない。

 だがまあ、館長が一緒だというのならば話は別だ──右手がうずくのに、行かないという選択肢を取るのはない。




 ◆◇◆




「俺が粋玉(すいぎょく)ぶら下げておくから見失うことはねえだろうが……兄ちゃん、潜水は得意か?」


 一晩明けて、翌日──全身に水昆布とやらを巻き付けた上からさらに館長を巻き付けた僕はメグ・ルーさんの言葉に曖昧に頷く。得意ってほどじゃないが、できないわけでもない。


「ほれ、酸素パール」


 と、手渡された真珠──何の変哲もない真珠に首を傾げていると、背中に括り付けられた館長が口に含むことで長時間の潜水が可能になる、って耳打ちしてきた。なんだその神アイテム。


「じゃ、行くか! 俺が飛び込んだらすぐ来いよ」

「はい」


 僕の返事にメグ・ルーさんはにかっと気持ちのいい笑顔を浮かべてビルの、かつては窓が嵌っていたのであろう枠に足をかけて水に向かって飛び込んでいった。それを見届けて、僕も同じく足をかける。


「この世界の〝ワタシ〟がもういないというのは残念だが──代わりに、観光旅行と洒落込むとしようじゃないか」

「いつも観光旅行みてえなもんだろ」


 それか食べ歩き紀行。

 僕のツッコミに低い笑い声が返ってくるのを耳にしつつ、勢いよくビルを蹴って水に飛び込む。ざぶん、と全身が冷たい水に呑まれると同時に大量の泡に包み込まれて、けれど泡はすぐ落ち着いて透明度の高い、クリアな視界が飛び込んでくる。

 水クラゲの膜から作ったというゴーグルを貸してもらっていたのだが──ゴーグルをしているとは到底思えないくらい、透き通った空間が眼前に広がっている。青みがかかった勿忘草(わすれなぐさ)色の世界に、白花色の水の揺らめきが描かれている──水の中と言うには透き通りすぎている、神秘的な領域。

 想像以上の透明度の高さに息をするのも忘れて魅入っているとぐっと肺が詰まり、ごぼっと息を吐き出す。その拍子に酸素パールを吐き出しそうになって、慌てて口を閉じ鼻から空気を輩出する。そうか、酸素パールは酸素を生み出し続けるから……息を吐き出さないと肺がすぐいっぱいになるのか。

 ぷにぷに、と館長に頬ずりされて何事かと思えば少し沈んだところでメグ・ルーさんが僕らを手招きしているのが見えた。その腰元には先ほどまで、陸地にいた時はただの硝子玉にしか見えなかった粋玉とかいうボールが緋色に輝いていた。なるほど、これは目印にしやすい。

 両手で水を大きく掻き分け、両足で水を何度も蹴って僕らも沈みゆくとメグ・ルーさんは手招きするのをやめて再び潜り始めた。水というのはもっと重く、抵抗があるものだと思っていたがこの水はとても軽い。それに、塩水というわけでもなさそうだった。海──というわけではないのか。とか言って淡水ってわけでもなさそうだ。


(聞こえますか……聞こえますか……今……あなたの脳内に……直接……話しかけて……います……)

(おぉあびっくりした!! なんだこの声!? 館長か!?)


 一瞬溺れかけた。水中だというのに唐突に脳内に声が鳴り響いてビビった。館長の声だとすぐ気付けたからいいものの……!


(暇でな)

(僕はお前の代わりに潜っているんだが)


 そりゃお前は僕に括り付けられているから何もしなくていいだろうがな!

 ──と、そうこうしているうちにふっと影が差して、視線を上に向けると魚群が上を通り過ぎているところだった。今日は快晴。太陽がさざめいている水によって分散されて無数の輝きを作り出し、その輝きを多種多様な魚たちが散らしていく。──この世のものとは思えぬほどに美しい空だった。無意識のうちに右手が胸元を掻いて、水を掻いて波が生まれる。

 名残惜しくなりつつも、視線を下に戻してさらに深く深く、かつては地上であり人々が往来したであったろう場所へ沈みゆく。


(……滅んだ街、か)


 人のいなくなった街。

 かつてのアスファルトは砂に埋もれて見えなくなってしまっているし、見えていたとしても海藻やフジツボに浸食されてしまっている。乗り捨てられ、忘れ去られた車もすっかりタコや魚の棲処になっているし、信号機はもはや岩のオブジェだ。おそらく元はオフィス街だったのだろう──商業ビルが立ち並んでいて、かろうじて読み取れる看板からかつては不動産、アパレルショップなどであったのだろうと窺える。


(荒廃し、水の底に沈んだ大都会──ソソるな)

(そうだな。カメラがあればよかったんだが)


 カメラがあればこの美しい光景を写真に収めていた。

 はあ、とため息を吐きたいのを堪えて鼻から息を吐き出し──口寂しいならぬ手持無沙汰な右手を胸元で掻く。


 右手で胸元を掻く?


(あっ)


 がぼっと泡が一気に漏れ出て慌てて口を押さえる。


(カメラ──そうだ、カメラ)


 カメラ。

 デジタル一眼レフ。キャノン、CYANONのFOSシリーズXⅨモデル。僕の愛用してやまない一眼レフ。どうやって僕がそれを手に入れ、どのように愛用していたかは覚えていないけれど、確かにぼくの胸元にはいつだってFOS XⅨがあった。紐からぶら下げたそれを事あるごとに右手でまず一眼レフに触れて、それから左手で持ち上げて支え──ファインダーを、覗いていた。

 そうだ。

 僕の、カメラ。僕の、一眼レフ。

 ──どこに行ったんだ?

 いくら掻いても、右手が親しんだ感触を覚えることはない。


(……ふぅん。お前は手続き記憶からエピソード記憶を引き摺りだすのがうまいな)

(手続き……エピソード?)

(記憶と単純にひとことで形容してもその種類は多岐に渡る、というのは知ってるだろ? 具体的に言うならエピソード記憶、意味記憶、手続き記憶、プライミング記憶。他にも細かい分類はあるが……ま、こんなもんだ)


 エピソード記憶は個人の経験した事象に関する記憶。──〝思い出〟

 意味記憶は言語、物質、現象、倫理などの内容に関する記憶。──〝知識〟

 手続き記憶は端的に言えば体が覚えている記憶。──〝無意識〟

 プライミング記憶はある事象に対して反射的に特定の連想をする記憶。──〝反射〟


(……なるほど、無意識に取る行動を僕は〝思い出〟のひとつに結び付けたわけか)

(逆に〝思い出〟から意味を見出すのは苦手みたいだがな)


 ……確かに。

 電車の音が聞こえるたびに、思考が止まってしまう。あれは明らかに僕の〝思い出〟のひとつだ──分析すればきっと、何かがわかる。わかるというのに──考えられない。考えられなくなる。思考が、止まる。


(……だけどDR-Mは言ってたよな? 僕らは記憶じゃなくて魂が欠落しているって)

(そうだな。それが記憶領域に異常をきたしていると──それを考えると、何故ワタシが四百年間もワタシを取り戻せていないのか納得いく)


 記憶を取り戻すのではなく魂を取り戻せ。


(まったくもって意味わからんがな)

(まあな……)


 結局DR-Mはどんなに問い詰めても僕らの記憶について教えてくれなかった。自分で探したほうがいいと、他人ではなく自分自身で──〝僕〟ではなく僕自身で気付かなければならないと、いやに人間臭い表情でDR-Mは言っていたのだ。


(お? おいあそこ、ケーキ屋あるぞ)

(廃墟じゃねえか)


 勿忘草色の水底(みなぞこ)に広がる滅びの世界。

 そこで館長の唄声が響くことはなかった。

 けれど代わりに、館長が僕の背中で揺られながら足先で水をなぞり、群青色に輝く弧を描く。気紛れに館長が灯した軌道に色とりどりの魚群が集い、それは次第に虹になっていく。

 勿忘草色の滅んだ世界に掛かる虹。

 それは未来への掛け橋なのか、あるいは。




 【薄命】


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