【万能サプリ】
〝全知の樹〟DR-Mは混迷していた。
『〝私〟は私なのか』
「ああ」「そうだな」
〝全知の樹〟DR-Mは逡巡していた。
『〝私〟は一個体ではないのか』
「いや、ワタシはひとりだ」「僕はひとりだな」
〝全知の樹〟DR-Mは困惑していた。
『〝私〟は私ではないのか』
「違うな」「違う」
〝全知の樹〟DR-Mは動揺していた。
『〝私〟は、何なのだ』
「ワタシ」「僕」
〝全知の樹〟DR-Mは──放棄した。
『理解不能』
「ワタシもだ」「僕もだよ」
そもそもが〝僕〟と出逢うこと自体絶対ありえねえことなんだから理解できなくて当たり前なんだ。館長っていうトンデモ魔女がいるから実現しているだけで、普通にしてりゃ〝僕〟と出逢うなんてない。
「諸悪の根源はこいつだこいつ」
「魔女だからな」
うけけけ、と悪魔のように口を三日月型に歪めて嗤う館長にDR-Mはほんの少し困ったような表情を浮かべる。
〝全知の樹〟DR-Mの本拠地とも言える中枢で一夜を過ごして、翌朝。──僕らの前に現れたDR-Mは昨日見た時よりも少しだけ、ほんの少しだけ──〝僕〟だからこそ気付くくらいに些細で微細な、僕以外の他人には決してわからぬくらいささやかであいまいな──〝変化〟が生じていた。
『〝私〟らの自我には欠落が存在している。欠落というよりは、欠損。欠損というよりは、欠陥』
DR-Mはくすり、と僕らにしかわからないほどに小さく微笑む。
そう、この変化だ──僕らの脳をトレースしたことで、DR-Mに表情がついた。ささやかではあるけれど。
『〝私〟らは、魂が欠けているのだな』
「……魂が? 記憶が、じゃねえのか?」
『否。記憶領域に問題はない。正常に動作している。だが魂の欠損が記憶領域に異常をきたしている』
欠落してしまった魂を取り戻すきっかけさえあれば、記憶は戻ると思われる。
──そう言ってDR-Mは小さく首を傾げる。その拍子にさらりと絡みひとつない梳き通った金髪が揺れて、ひと房だけまつげの上に落ちる。〝僕〟だけど……右手がうずくな、こいつ……。
「記憶領域に異常がない、ということはワタシたちの記憶もトレースしたのか?」
『是。しかしここでは告げぬ方がいいと私は〝私〟に対して判断』
「そうか、そりゃ残念だ」
しかしその声色は、ちっとも残念そうにしていない。
『〝私〟は〝私〟の捜索を続けるのか』
「ああ。これからも旅を続けるつもりだよ」
『……途方もない』
〝全知の樹〟DR-Mは僕らの、館長の脳をトレースした。と、いうことは館長の四百年分の旅の記録もトレースしたということだ。
そんな感想を抱くのも、当然だ。
「くっく。それよりも〝ワタシ〟──どうだ? ワタシたちの脳をトレースした感想は」
『最高だ』
くっ、と誰が見ても明らかなほどに口を吊り上げて嗤うDR-Mは、館長にそっくりだった。
「くっくっく、最高ときたか」
『私は私に対し過信していることを思い知らされた。私は全能でなければ万能でもない。むしろ無知で無能、無駄の塊でしかなかったと認識』
「だからワタシは世界を渡る」
『故に私は進化を続ける』
「ワタシはワタシの〝自我〟を求めて渡り歩く」
『私は私の〝無我〟を求めて成長し続ける』
館長とDR-M。
魔女とプログラム。
〝僕〟と〝僕〟。
〝僕〟は自分のために。自身のために。極地の自我を求める。世界を渡り歩く。
〝僕〟は他人のために。市民のために。究極の無我を求める。進化を遂げ抜く。
相反した〝僕〟は互いに嗤い、笑う。
「…………意味がわからない」
そして置いてけぼりにされる僕。
「さて、腹減った。ごはん!」
『万能サプリがそこにある、つまめ』
「この上なく雑だな」
グルメものにあるまじき雑さ。
──こうして僕をトレースした〝僕〟と相対したにも関わらず何もわからないまま、僕はただただ流されるままに旅を続けるのであった。




