第七自我 【からくりに自我はあるか】
第七自我 【からくりに自我はあるか】
「洗濯機が壊れた?」
「ええ。乾燥機もここのところ、調子が悪いようで」
「ふむ……」
渡界を直前に控え、革を基調とした冒険者らしい出で立ちになっていた僕らにメイドさんがそんなことを報告してきて、館長は案ずるようにとんとん、とつま先で床を叩く。
「よし、予定変更だ。地球類似系列世界第八種に向かう。記録は№19に」
「御配慮、心よりお礼申し上げます」
「御意」
メイドさんと執事さんが恭しく一礼したのを合図に、館長の唄声が食堂に木霊する。
── 牝鹿の 太陽を みーつけましょ ──
── わたしの 故郷を さーがしましょ ──
── ぬいぐるみの お茶会を ひーらきましょ ──
いつだったか、館長によく唄うが歌が好きなのか、と問うたことがある。
それに対する答えは〝唄い始めたのはつい最近〟というズッコケるものだった。渡界するにあたって唄う必要はないし、渡界のたびに〝僕〟を揶揄って唄うのも単なる趣味とのことであった。
意味深に唄うんじゃねえ。
──と、そうこうしているうちに僕らの眼前に巨大な黄金の歯車が現れた。渡界にあたっての演出は世界によって様々。大自然の世界に渡る時は食堂にいきなり木が生えて、木のうろを通っていく仕組みでの渡界方法だった。
たぶん、これも館長の趣味だ。たぶんきっと。たぶん絶対。
「地球類似系列世界第八種ってどんな世界なんだ?」
「機械文明が発達した世界だ」
おお、なるほど。近未来チックな。
「洗濯機と乾燥機を見繕いがてら、〝ワタシ〟を探しにいくとしようか」
館長はそう言って笑い──眼前に聳え立つ巨大な歯車の中央部に異空間へと通ずる出入り口を開けた。メイドさんと執事さんの見送りを背に──僕らは、世界を渡っていく。
◆◇◆
地球類似系列世界第八種 №19──蒸気の世界。
「ふむ……この世界線は十回以上巡っているが……どうもここにいる〝ワタシ〟は人間じゃなさそうだ」
「蒸気機関車が空を飛んでいる……」
そこは近未来的というよりは、むしろ前時代的だった。産業革命が起きた時代に近いかもしれない。知らねえけど。
ただし──前時代的は前時代的でも、ハリボテの前時代的だ。石畳で歩きづらそうに見える道は表面がやわらかな緩衝材になっていて、凹凸も見た目ほどに激しくない。何の材質が使われているのかは全くわからないが……見た目は完全に石畳なのに、歩いていて足に負担が一切ない。歩きづらさを感じることさえ、ない。煉瓦造りの建造物だってそうだ。古めかしい煉瓦の家に見える家が並んでいる街並みなのだが、近づいて触れてみると煉瓦造りを再現できる壁紙が用いられているだけだということがわかる。かなり精巧にできていてわかりづらいが、軽く叩けば奥行きがないことに気付く。
瓦斯のランプだってそうだ──写真や資料館でしか見たことがないような、瓦斯で火を燃やすタイプのランプがあちこちにあるが、それも見かけでしかなかった。近寄れば瓦斯どころか一体何を資源にしているのか、硝子のランプの中央部で炎が浮いていた。なんだこれ。
極めつけは蒸気機関車。
空を飛んでいた。
意味がわからない。いったいどうやって飛んでるんだあれ?
「飛んではいないぞ。見えないだけで空をレールが走っている。景観保護の一環兼、日照り権の保障だな」
確かに空中をレールが走っていたら空が狭く見え──いや待て待て。どうやってレールを透明化してるんだ。
「レールだけじゃないぞ。空をよく見てみろ──街全体に屋根があるのがわかる」
「屋根──あ」
ちかりと、目に入ってきた太陽の光が不自然にひずむ。それは例えるならば、窓ガラス越しに太陽を見たような。僕の知っている窓ガラスほど顕著な乱射はないけれど、それでもかすかに光に反射して何かがあるのがわかる。
「そう、この街は透明なドームに覆われているんだ。その上を蒸気機関車もどきが走っているワケだ」
「なるほど……いや、理解できねえけど理屈はわかった……景観を守るために見た目はあえてこうしているが中身は思いっきり近未来的──ってとこか? 蒸気機関車を飛ばしてるのはわけわかんねえけど」
「ああ。浪漫の街、ってところか」
ロマン、ねえ。わからなくはない。
うずく右手を抑えつつ、前時代的なようで近未来的な街を進んでいく。往来する人々も古めかしい恰好で、けれど時折ウェットスーツというか……全身タイツというか……子どもが想像する未来人的な恰好をしている人間がいる。なんつうか、シュールだ。
「……それで、〝僕〟はどこにいるんだ?」
「あそこだ」
そう言って館長が顎で指示した先には──大樹があった。いや、大樹のレリーフが街の中央部に聳え立っているのだ。おそらくは元々そこにあったのであろう岩崖を彫り込み、大樹のレリーフとしていて──その中心に、ひとりの女性が埋め込まれている。
いや、女性ではない。
女性型ではあるがアレは明らかに──からくりであった。
「〝全知の樹〟DR-M」
統合管理システム制御プログラム。
機械に支配された街の〝管理者〟なのだそうだと言って館長はおもしろそうに笑う。機械に支配された街。前時代的に見えて、僕らの知っている文明のはるか先を歩んでいる未来の街。それを管理する──プログラム。
「人工知能──AI、ってことか?」
「いや、前時代に作られたAIプログラムよりもはるかに先を行ったNPI──統合人格知能プログラムで構築されているようだ。人工知能は学習が基本だが、統合人格知能は人格の移植が基本なんだそうだ」
人格に偏りが出ないよう様々な分野における一流の研究者や技術者、ありとあらゆる立場の活動家や政治家、そしてランダムに選出された数千人の一般市民の〝脳〟をトレースして統合させたのが〝全知の樹〟なんだそうだ。
「…………」
大樹のレリーフに埋め込まれている女性型は一見すればサファイアの化身のようで、サファイアの輝きを帯びる長い髪が大樹のレリーフ全体に広がっている。サファイアの髪は枝葉の表現に使われていて、一見すれば大樹に宿る精霊のよう。
人間の体はあるが、明らかな造り物であることはここからでもわかる。おそらく大樹のレリーフに表出している部分は──〝全知の樹〟DR-Mのほんの一部、それも毛先ほどしかない一部なのだろう。当然だ──街全体を管理する重要なプログラムがこんな攻撃を受けやすいところに置かれているわけがない。
「……なんてーか、プログラムが〝僕〟っておかしくねえかって思ったものの……ありゃ確かに〝僕〟だな」
統合管理システム制御プログラム、統合人格知能NPI。
まあ、僕の感覚に合わせて言うならばAI。AIプログラムが〝僕〟──そんなことがあるのか、と思うだろう。
けれどわかる。
アレは確かに〝僕〟だ。
それどころか。
「……この街全部〝僕〟だろ」
「その通りだ」
この世界に来てからの奇妙な既知感。
前時代的で僕の知識の中にある、産業革命期の街並みだって意味の既視感じゃない。鏡を見ているかのような既知感だ。自宅感というかなんというか。
「……プログラムにも自我ってあるもんなんだな」
「そもそも自我とプログラムに違いがあるのか?」
──統率された世界の〝ワタシ〟はプログラムそのものだったろう?
そう言われてはっとする。決められた時間に決められた動きをこなす統率された世界の、管理されていた〝僕〟──あれは確かに、プログラムと変わらない。
「何を以て〝自我〟と見做すか、何を以て〝生命〟と見做すか。ある人形はこう語りましたとさ──〝生きてるってこと、証明できなければ死んでしまっているのと同じなのかなぁ……〟と」
「お前本当にFF好きだな」
名作多いけどな。
けれど確かに。何をもつて〝生きている〟と見做すか。心臓があって、動いていれば生きているのか? コンピューターには心臓がないから生きていないのか? 哲学的な話にまで及んでしまうが、終わりのない問いかけだなと思う。
「〝全知の樹〟のある広場へは誰でも出入りできるようだ。もっと間近で見てみるとしよう」
大樹のレリーフは人々にとって崇拝の対象であるらしく、祈りを捧げられるようちょっとした広場になっていた。寄付や献花を行える台もあり、警官なのか警備員なのか、かっちりとした軍服を身に着けている人間が数人ほどいる。
間近で見る大樹のレリーフは思っていたよりもずっと大きく、神秘的だった。いや──神秘的なんて言葉で形容するのさえ、ためらわれる。森羅万象の理が全てこのレリーフに注ぎ込まれているような、全能感とも万能感とも言える絶対的な存在感、それが〝全知の樹〟DR-Mにはある。レリーフに埋め込まれている女性型は天然石の彫刻のようで、つるりとした大理石のような質感をしている。目は閉じていて、まつげにサファイアが使われている。
「…………なんというか、変わんねえな。間近で見ればもっとこう、〝僕〟と対面した気分になれるかと思ったが」
「まあ一部だしなアレも」
大樹のレリーフが〝メイン〟とはいえ、〝全知の樹〟DR-Mはこの街全域に根を張っているのだ。大樹のレリーフを見てもその彫刻の美しさに右手がうずくだけで、〝僕〟と対面しているという気分にはならない。最初からずっと、なんだかよくわからない自宅感に包まれているだけだ。
「さて、ここで一句」
「参拝客のど真ん中で唄うな!」
「だが断る」
彼の人は根ざす。
民の拠り処として。民の祈る処として。民の帰る処として。
民が縋る処として。民が願う処として。民が眠る処として。
民を保護すべく。民を庇護すべく。民を守護すべく。
民を分析すべく。民を管理すべく。民を統制すべく。
全知の樹は今日も、瑠璃の輝きを街に浸透させりや。
『偽造身分証確認。正式名不明、国籍不明、通過ルート不明。二名拿捕せよ』
唐突に鳴り響くアラートと、耳障りなアラートを突き抜けて耳に響く〝僕〟の声と──僕らを取り囲む、武装した軍人たち。
「……ばかやろー」
「フッ、おもしろくなってきたじゃあないか」
捕まった。
◆◇◆
〝全知の樹〟DR-Mの本体は、幼い少年の姿をしていた。
いや、人間ではない。いわゆる〝アンドロイド〟というやつだ。本体と銘打ってこそいても、大樹のレリーフと同じで全体の一部に過ぎない。この街全体が〝全知の樹〟DR-Mであり、人々に見せる部分が大樹のレリーフであり、街を管理する自治組織の内部での姿がこの少年の姿である、というだけのものだ。
「なるほど、つまり話はこうだ──ワタシたちの脳をトレースしたいと」
『是。人類のさらなる進化のためにはさらなる知識と人格が必要となる。私の中にトレースされた脳は万を超えるが、貴公ら二名はこれまでにトレースしたどのデータとも合致しない違和がある。違和で、不和で、解析不能な何かが』
「……そりゃそうだろうなあ」
さすがの〝全知の樹〟も、〝僕〟とまみえたことはないだろうからな。
ちなみにここは街……〝グリモスワップ〟と言うらしいが、まあその街の地下である。街のシステム管理を行う施設は大部分が地下に造られていて、世界中でも選りすぐりの研究者たちが集って日々技術の発展に力を入れているんだそうだ。
そのひとつ、〝全知の樹〟DR-M管理システム棟に僕らはDR-Mの命令で連れてこられて、こうして人間型のDR-Mと対面している。
DR-Mはプログラムとはいえ数百年以上もこの街を支えてきている実質的な支配者で、この街の住人は基本的にDR-Mに逆らわないらしい。ちなみに愛称はディアだそうだ。
『貴公らの身体に何らかの害が及ぶことはない。ただ一晩、この棟に泊まってもらうだけで終わると保障する。報酬も貴公らの願う通りに』
「ふむ、まあそれは構わんが」
「いいのか? あまり世界に干渉しすぎるとまずいんじゃ……」
「そんなことはない。分岐するだけだ」
分岐。
〝僕〟と出逢ったDR-Mと、〝僕〟と出逢わなかったDR-M。それぞれの世界線に、分岐する。
「くっくっく、面白いじゃあないか──報酬もこちらの言い値を用意してくれるようだし、泊まるだけでいいというのであればよかろう。〝ワタシ〟の記憶を取り戻すヒント萌えられるやも、だしな」
「……なるほど」
そういうわけで、一晩の宿を借りることになった。
脳をトレースするのに本当に特別な作業は不要であるらしく、ただ〝全知の樹〟DR-Mの〝幹〟とも言えるこの地下棟に滞在するだけでいいんだそうだ。てっきり脳に何らかのアイテム着けて寝るとかするもんだと思っていたけれど、それは二百年前の技術だって言われた。
『洗濯機と乾燥機、もちろん用意可能だ。しかし古風なのだな』
報酬についてはメイドさんに依頼された洗濯機と乾燥機、それに食糧や衣服、日用品をお願いした。DR-Mは快く了承し、傍仕えであるらしい人間にその旨を伝えた。
それからこの街の名物が食べたいという館長のリクエストに応え、食堂へと案内されて僕らは向かい合ってソファに腰を下ろしている。テーブルがないな、と思ったけれど僕らが腰を下ろした直後に瑠璃色のテーブルが何処からか現れてきた。さすが未来。いや未来じゃねえけど。
『システム機も用意可能だが』
「システム機って?」
『衣服類、履物類などの洗浄から滅菌、欠損などの再構築に仕上げと状態回復を目的としている最新型の洗濯機だ』
欠損まで直してくれるとかすっげぇハイテクだな。
「んん~、くれるってんならもらう」
『ではシステム機も用意しよう』
と、そこで前触れもなくほわりとビーフシチューの香りが鼻孔を突いて、かと思えば瑠璃色のテーブルにいつの間にか白磁の深皿に盛りつけられたビーフシチューが並んでいた。
『グリモスワップ名物、古典煮込みスープだ』
古典煮込みスープ。ああ、そうか、そりゃそうか──僕らにとってはビーフシチューのこれ、ここの住人にとっては〝昔の料理〟なんだな。
『……理解不能。グリモスワップ以外には存在しない古典料理のひとつだ。貴公らの滞在記録は四時間二十六分三十秒。料理店の滞在記録はなし。──何故古典煮込みスープを知っているのか?』
「そのうちわかる」
〝僕〟らの脳をトレースすれば、わかる。
『……了。トレース処理作業速度向上処理──完了。……古典煮込みスープはお嫌いか』
「いや、大好物だ」
そう言いながら館長は僕に向かってあーんと大口を開ける。今日も今日とて全力で自分を拘束している館長のために、僕はビーフシチューを給餌する作業に入ったのであった。
いじましいな、僕。
「おいひい」
『……私が、こんな顔を──否、私と貴公らは同一ではない。別個体であり、また生命体とプログラムという剥離した存在でもある。だがしかし──何故貴公らを見ていると、デバイスのクリーンアップを行うためにクリーニングしているような心地に陥る』
「……言い方がよくわかんねえが、要は〝自分の言動を見ているような感覚〟ってこったな。僕も〝僕〟を見ていると、録画した自分の言動を見ているような、なんとなく恥ずかしい気分になるよ」
「おい、恥ずかしいとは何事だ。お前、〝ワタシ〟のくせにワタシを見てそんなこと思っていたのか」
「考えてもみろよ。僕が〝僕〟みたいにとろけた顔して飯食ってんだぜ? おかしな気分になるよ」
「カワイイな、さすがは〝ワタシ〟ってなるだろうが普通」
「ならねーよ執事さんじゃあるめーし」
と、軽く応酬している僕らを見て〝全知の樹〟DR-Mは考え込むように目を閉じた。
──大樹のレリーフにある女性型も美しかったが、この人間型のDR-Mも美しい。天使のような、と形容してもしきれないほどに可憐な金髪碧眼の美少年だ。〝僕〟だってのが信じられないくらい──美少年だ。
「おい、おかわり」
「はいはい」
「これは〝古典煮込みスープ〟と言っていたな? 古典ということは、現代食ではないということだな?」
もっきゅもっきゅと口いっぱいにとろとろ牛肉を詰めながらの問いかけに、DR-Mは閉じていた目を開けてゆるやかに頷く。
『栄養に偏りが見られる古典料理は常食に向かない。嗜好食のひとつとして市民には親しまれている』
「なるほど──現代食というのもぜひ、味わってみたいものだ」
『了。──夕食前には貴公らの身体データの分析も終了するだろう。貴公らの栄養状態に合わせて提供しよう』
機械的に館長と受け答えして、けれどそのまま再び目を閉じて思考に戻ることなく不思議そうに館長を見つめた。
『……貴公らは、私なのか』
「ああ、〝ワタシ〟だよ」
「そうだな、〝僕〟だ」
『〝私〟……』
DR-Mは不思議そうに僕らを見つめたまま、沈黙する。人間の目と呼ぶにはあまりにも透き通りすぎている翡翠の目が、僕らを枠内に収めて静止する。
「……なんつーか、〝全知の樹〟DR-Mが統合人格プログラム……NPI、だって聞いた時は自我なんてあるのかって思ったけどよ……そうでもねえな」
普通に自我がある。
独り言のように思ったことをぽろりと零した僕に、DR-Mの翡翠の目が向く。
『自我』
「ん、おう。自我」
『何故私に自我があると?』
「だってよ、馬鹿館長が広場で唄って僕らに気付いて、不審者として拿捕したはいいものの対処に困ってたろ、〝僕〟」
軍人が僕らをここに連れて来た時、軍人たちは困っている顔をしていた。不審者を中枢に入れてもいいのかという困惑を表情に出していた。だからDR-Mが普段とは違う指令を出したんだってことはすぐわかった。
普段とは違う行動を取る。
それってさ、自我がある証拠だろ?
『……理解不能』
「そんなもんだろ」
僕だって僕が理解できねえし、〝僕〟も理解できねえ。執事さんとか特に。何なんだよアレ。
「くっくっく、プログラムが〝ワタシ〟と出逢い、〝ワタシ〟の脳をトレースすることでどう変化するか──楽しみだ」
「あんま趣味のいい楽しみ方とは言えねえけどな」
世界に干渉して掻き混ぜている感じで。
「ワタシは自分図書館の館長」
──魔女である。
だから構いやせんよ、と言って笑う館長は確かに──〝魔女〟だった。
【無我】




