【ユッケ丼(意味深)】
「何の肉なのだ?」
一週間のサバイバル生活を生き抜き、図書館に戻ってきた僕らが、けれど生食しすぎたせいで温かい食事を体が受け付けず、まずはならしということでユッケ丼を作ることになった。
ケモミミの世界から持ち込んできた血抜き済みの生肉。それを前に執事さんがそんな問いを投げかけるのは、当然であった。
「……馬」
のコスプレをしているようにしか見えない人間。はさすがに省略した。
「桜か。ふむ、ならば我輩は丼ものではなく馬刺でいただきたいものであるな」
「食べるのか?」
「何か問題でも?」
ちなみに隣ではメイドさんが別に、執事さんとメイドさん用のビーフシチューを作っているところである。もちろん、僕が持ち込んできた生肉は一切使用していない。
「おすすめしねえぞ」
「なんだ? この肉、問題でもあるのか?」
「問題っつうか……」
言いづらい。
「……戻ってきてからやけに口数が少ないではないか。土産話も今回は大人しめであったし」
「そんなことねえけど」
「明らかにおかしいではないか」
いや、だって。ねえ?
口数が少ないのはアレだ、がうがうしか言わねえやつらに囲まれてたからだと思う。土産話の件も、進んで話せるような内容じゃねえってのが大きい。
「……おい、足マット。貴様我輩に何を隠しておる?」
「隠してねえ」
「足マット如きが我輩に隠し立てとは、いい度胸であるな? ええ?」
ぐい、と顎を掴まれて至近距離で睨み下ろされる。執事さんの、蛇を彷彿とさせる鋭い目が眼前にまで迫っていて、睫毛の一本一本がよく見え──いや近い近い。
「吐け。我輩に何を隠しておる」
「……聞かねえほうが、いいと思うけど」
「ほーお? あくまで言わぬつもりか? 〝我輩〟」
でろり、と執事さんの薄い唇から艶めかしく紅い舌が這い出て、何故だかぞくりと背筋が粟立った。
「よかろう、言わぬのであればそれでよい。──代わりに、吐かぬその小生意気な口を存分に愛でて「馬は馬でも見た目は完全に人間でしかない馬の肉なんス!!」
チッと、執事さんから舌打ちがすると同時に体が離れていく。や……ヤバかった。自分大好きをナメていた。
「見た目は人間──なるほど、人肉ということであったか」
「種族的には馬だがな」
「まあ……では館長さまと雑草さまはこの一週間ずっと人肉をお召しになっておられたのですか?」
「……ええ、まあ見た目的には共食いですね……」
途中からは無我の境地に至っていたと思う。人間とは何か。腕が二本、足が二本、頭には耳がふたつ目がふたつ、鼻ひとつに口ひとつ。他の種族と何が違うというのか。そもそも己らを〝人間〟と定義すること自体間違っているのではないか。所詮は自然の一部。生命体のひとつ。プランクトンと何ら変わりない──そんな混沌とした思考に陥っていたからな。
「〝我輩〟を食べるのならばまだしも、人肉は遠慮したいところであるな」
「人肉言うな。馬だってえの」
前半部分? 触れねえぞ絶対。
「人間の形をしたお馬さま、ということであれば──お馬さまの形をした人間、の世界もあるのでしょうか」
「あぁ、ありますね絶対。植物が人間の形をしている世界もあるって館長言ってましたから」
「世界は果てしないですわね」
そう囁いてから、メイドさんは人差し指を顎に当てて小さく首を傾げる。〝僕〟じゃなかったらその愛らしさに胸を打ち抜かれているところだ。
「ぬいぐるみしかいない世界もございますのでしょうか」
「ぬいぐるみしか……ある気がしますね。何でもアリなので」
いやもう、本当に何でもアリだからな……。常識を辞書で引くと〝捨てろ〟の一文しかない。その程度には。
「きっととてもおかわいらしい世界なのでしょうね」
「メイドさんはぬいぐるみがお好きなんですか?」
「大嫌いですわ」
WHAT? じゃあ何故聞いたし。
「いえ、ぬいぐるみしかない世界に赴くことがございましたら是非焼き尽くして差し上げたいと」
「そこまで!?」
一体何処からそんな憎悪が。
「じゃ、逆に見てみたい設定の世界はあります?」
「そうですわね……猫カフェ、というものに行ってみとうございます」
世界関係ねえもんきた。いやしかし、猫カフェか。なるほど。
「猫まみれの世界とかあるかもしれませんよ? 〝僕〟は関係なしに、そんな世界がないか館長に聞いてみるのもいいですし。一緒に渡界、どうです?」
「…………、…………遠慮しますわ」
お、ちょっと揺れたな。猫だもんな。そういや館長もネコミミだったな。関係ねえけど。
あ、ユッケ丼?
普通の桜ユッケ丼にしておいしくいただいた。白米うまい。やはり日本人には白米だな、ああ。白米なくしては食を語れな──……、…………。
日本人。
……日本人。
そうか、僕は日本人か。
そうだ──日本人だ。当たり前だ。僕は日本人、当たり前だ。
「今さらか? ワタシも日本人だと思うぞ」
「わかってたなら教えろよ」
僕の世界はたぶん地球系列平行世界のひとつ。
そのひとつの、日本という国に住んでいる。それが、僕。