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自分図書館  作者: 椿 冬華
第一幕 「僕」の章
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第六自我 【ケモミミに揺れる自我】




第六自我 【ケモミミに揺れる自我】




 ケモミミは正義か、否か。

 僕はこう答えよう。ケモミミがついただけのヒトなぞ邪道ッ!! と!!


「もっとこう、顔に獣感が欲しい」

「お前の性癖なぞどうでもいい」


 ぴこぴこ、と黒いネコミミを動かしながら館長が冷めた目で僕を見る。そして僕の方はというと、へにゃりと垂れ下がったイヌミミが元々耳のあった場所から生えている。ちなみにおしりにもちゃーんとしっぽが生えている。

 未開文明系列世界第五種 №901、大自然の世界。呼称の通り、文明が開化していない世界──要は人による文明が確認されない、あるいは未熟な世界軍。その、ひとつ。


「ケモミミあるだけの人間にしか見えねえけど……行動はまんま、獣だな」


 僕らが今いるのは大自然の中。そう、大自然だ。大自然以外に言いようがないくらい、大自然だ。

 要はジャングル。

 〝ジャングル〟と言われて真っ先に連想する、鬱蒼と見慣れぬ植物が生い茂った熱帯雨林。まさにそれだ。

 植生には詳しくないが、パッと見た感じではアマゾン川流域と近い感じがする。たぶん。

 ただ、景色を楽しみ、分析する暇はない。かろうじてケモミミに関する持論を述べてみせたが、それでも僕の脳はキャパオーバーしていた。


 鼻孔に凝縮される圧倒的な情報量、それを前に。


「ぐっ……」


 大自然の匂いがする? 雨の匂いがする? 花の香りがする? フザけんな。

 雨の匂いにははペトリコール(石の香り)という名があるらしい。何処で聞いたかは記憶にないが、ともかく──これは石の香りだなんて生易しいもんじゃねえ。

 雨の匂い? 腐ってどろどろに溶けた蓮の匂いだ。

 草の匂い? 某ひろしもかすむくつしたの匂いだ。

 木の匂い? 腐った玉ねぎの山を煮詰めた匂いだ。

 土の匂い? おっさんの脇から漂ってくる匂いだ。僕じゃねえ。

 花の匂い? ババアの香水が愛おしくなる匂いだ。

 ──獣の匂い? ただの糞尿の匂いだ。


「ぐ……ぅ、う」

「いつも通り世界に適応するよう体を組み替えたが……どんな獣にするかまでは弄っていない。お前は犬系に適正があったんだろうな」


 犬。

 犬。

 そう、犬。

 犬種はわからないが、今の僕は犬の特性を持ち備えている状態だ。つまり、鼻が利きすぎる。殺人的に利きすぎる。ダメだ、頭痛がしてきた。吐きそう。


「鼻が……鼻が痛い」

「そのうち慣れる。体の組み換えで適応できるようにはなってるからな」

「その前に死ぬ……」


 とにかく鼻が痛い。目が痛い。頭が痛い。舌もヒリつくし喉も痛い。犬の嗅覚は人間の百万倍とも千万倍とも一億倍とも言われているが──倍なんて生易しい単位で表現できるレベルじゃねえ。


 世界が鼻をこじ開けてくる。


 そうとしか──言いようがない。

 雨が、草が、木が、土が、花が、獣が──そのまま塊となって鼻に押し入ってくるのだ。痛いなんてもんじゃない。もはやこれは、暴力。ただの暴力。スメルハラスメント。スメハラ。


「マスク使うか?」

「ああ、助かる……繊維の匂いがするが、ないよりはマシだな……」


 館長が何処からか取り出したガーゼマスクをつけて──イヌミミが元の耳と同じ位置にあってくれて助かった。僕はふうっと息を吐き出して、改めてジャングルを見回す。

 さすがは生命の宝庫、ジャングル──植物だけでなく、動物の存在にも満ち溢れている。漏れなく人間の姿をしているが。

 木の枝でくつろいでいる女性は緑一食のジャングルにおいて際立つ紅色の髪をしている。体はうっすらと羽毛に覆われていて、背中からは紅色の翼が生えている。たぶん、鳥。

 その隣の木でマンゴーのような果実を頬張って果汁まみれになっている男性は木の枝と同化するような毛に全身を覆われていて、尻からは長く細く、しなやかなしっぽが生えている。たぶん、猿。

 こんな調子でそこかしこに獣(のコスプレをしたようにしか見えない)人がいるのだ。重ねて言うが、ケモミミがついただけのヒトなぞ邪道ッ!! せめて鳥! 腕を翼にしろ! 猿! もう少し猿っぽい顔になれ!


「コスプレ博覧会状態と言わざるを得ない」

「お前の性癖はどうでもいいから〝ワタシ〟の元へゆくぞ」




 ◆◇◆




 未開文明系列世界第五種 №901──虎。

 そう。虎。トラ。ガオー。


「僕を食べてもおいしくないです!!」

「ぐるるる……」


 僕にありったけの骨格とありったけの筋肉とありったけの野生を注ぎ込んで、トッピングにありったけの凶暴性を添えて完成したような、獰猛な雄の虎。

 それがこの世界の〝僕〟だった。

 肉を裂くのに適している鋭く、尖った牙から垂れた涎が僕の頬に落ちる。ふうふうと吹きかけられる吐息は血錆混じりでとても生臭く、マスクをしているというのに悪臭で頭痛がする。

 指先から伸びる分厚く鋭く、黒光りしている爪は既に僕の肉に食い込んでいて腕が痛い。痛いってか、普通に肉裂けて血が噴き出ている。

 けれど。

 今にも僕の肉に喰らいつきそうなその虎の目は──ひどく怯えていた。


 当然だ。


 目の前に〝僕〟が現れたのだから。


 理性ある人間であった、宝石の世界のレッドミーシャでさえ驚き動揺するのだ。野生の獣である虎が──恐怖を覚えないはずがない。むしろ野生であるからこそ。本能に生きているからこそ。


「ぅるるる」


 怯えを孕みつつも敵意に満ちた唸り声が、虎の喉奥で鳴る。まずい。このままだと殺される。非情にまずい──


「みゃぁあぉん」


 助けて、と視線を館長に送るが、館長は暢気に木の枝にしなだれかかって甘やかに鳴いているだけだった。ええ、真っ先に木に登って逃げやがったんですコノヤロウ。僕は犬だから木登りは不得手だ。人間の腕あるのに。


「…………」


 が、館長の鳴き声を聞いて荒かった虎の呼吸がぴたりと収まる。ぴくぴくと頭についている耳を動かして、視線を僕から館長に移してねめつけた。


「〝ワタシ〟も鳴くがよい。思いっきり甘えるような声でな」

「へ? え、えーと……くぅ~ん」


 僕の声帯のどこにそんな機能があったのか、思った以上に媚びるような子犬の声が出た。気持ち悪い。


「ヴル……」


 やがて、ずぼりと腕に突き刺さっていた爪が虎の胴体と一緒に離れていく。数秒ほどの間を置いて腕が熱を帯びて、じくじく燻られるような痛みを訴えだす。けれどそれを気にしている場合なんかじゃない。

 慌てて体勢を直し、虎から距離を取る。獣人である僕らはケモミミと申し訳程度の毛皮以外はまんま人間だが──二足歩行を基準とする僕らと違い、虎は四肢駆動であるようだ。人間の体は四肢駆動に向かないはずなのだが──この世界の獣人は、手足の使用に長けていないみたいだ。


「がう」


 ばしんばしんと野太く雄々しい縞模様のしっぽを地面に叩きつけながら虎が一声、僕らに視線を向けたまま鳴く。


「ついてこい、らしいぞ──よかったな」

「よかねえ。よくも見捨てやがったな」


 〝僕〟を探し求めて虎が根城にしているという、背丈の高い草が生い茂っている区域に脚を踏み入れた途端に虎に襲われて、館長は一目散に木に登って逃げた。しかも僕の頭を踏み台にして。

 この恨み絶対忘れねえからな。


「ケアルくらいしてやるから安心しろ。──〝ワタシ〟はワタシたちを幼子だと誤認している。いくら別種といえど相手は〝ワタシ〟──突然現れた〝ワタシ〟に臆こそすれど幼い〝ワタシ〟たちを切り捨てられなかったのだろうな」

「お前FF好きだな……。僕らを幼子って、あの虎何歳なんだ?」

「六、七歳くらいじゃあないか? 虎の寿命は十五年程度だしな」

「は?」


 ちらちらと僕らを振り返っては前を歩く〝僕〟──僕よりもずっと筋骨隆々としていて、ぱっと見には三十代の男盛りに見える。


「あくまで見た目が人間っぽいだけで、実態は虎そのものだからな」

「へえ……」


 ずいぶん色んな世界を渡ってきたけれど……相変わらず、常識という普遍を破壊される。〝普通〟とは何なのか。──それを考えることすら、馬鹿馬鹿しくなる。


「植物が人間の形をしている世界もあるぞ──あれは異質だった」

「は? 植物が……人間、の」


 植物人間は植物人間でも、文字通り植物としての特性を宿した人間。動かず喋らず、二酸化炭素を取り込んで酸素を生み出し、精子を飛ばして受精させ──嫌すぎるなその世界。


「がぁるぅう」


「おや」


 ふいに前方を歩いていた虎が足を止め、一声鳴いてから蔦のカーテンの向こうに潜っていってしまった。

 ジャングルの中でも木々の根が地面を縦横無尽に這っている区域で、根っこ同士が絡み合い木のアーチを成しているところがちらほら見られる。その中のひとつ、蔓が根っこを覆い尽くして余りを出してしまい、カーテンとなってアーチの向こう側を隠してしまった空間──そこに僕らも姿勢を低くして入り込んでいく。




  ◆◇◆




 ()の人は生きる。

 生命(いのち)を狩り血肉(いのち)を啜り幼子(いのち)を守り。

 法律に縛られず。義務に追われず。社会に殺されず。

 大自然に芽吹く生命の自由を甘受せり。




 そして、館長は第二節も続けて唄い上げる。




 されど其れ生死(いのち)の脅威に口づけせんことなりや。

 大自然に芽吹く生命の自由を甘受せり。

 然れど覚悟せや。

 自由の甘受、即ち権利の放棄なり。




「呑気に唄ってる場合か!!」

「たすけてください」


 立場逆転。

 蔦のカーテンに遮られた根っこのあなぐら、その奥で館長が黒豹に押し倒されている。虎は獲物を狩りに行ったのか、不在。虎と豹の生息地って同じだったけとどうでもいいことを考えつつ、どうやって館長を助けるか周囲を見回す。

 黒豹は豹らしいしなやかで細身な体をしている青年で、館長を背後から押し倒してその体に乗り上げ、ふーふーと荒い呼吸、を──あれ?


「ワタシは一応イエネコだから種が違うのだがな」

「落ち着いてる場合か!? もっと焦れ!!」


 貞操の危機だぞおい!!


「あまり(おびや)かしたくはなかったんだが──やむを得んな」

「ギャッ」

「うわ!」


 バヂンッと電流が館長と黒豹の間で弾けて、黒豹が驚き慌てふためきながら脱兎のごとくあなぐらを飛び出して行った。さすが猫、素早い。


「がる!」


 入れ替わるように虎が不機嫌そうな顔であなぐらに滑り込んできた。血まみれで。


「うわっ……」

「がぁるぅうううぅ」


 くんくん、くんくんと忙しなくあなぐらの中を──特に、館長の体を嗅いで回って虎は不機嫌そうに館長の体にごりごりと毛皮を擦りつけた。あれか、黒豹の匂い消しか。


「大丈夫だ、種付けされてはいない」

「オブラート」


 慎みを持て慎みを。


「ぐぅる」


 ひとしきりあなぐらの中から黒豹の匂いを己の大衆で上書きした後、虎はあなぐらの外からずるりと死体を持ってきた。


 死体。


 死体。


 人間の、死体。


「────」


 辛うじて、絶叫しそうになったのを歯を食い縛って堪える。虎が持ち込んできた死体。それはおそらく、鹿……いや、牛……パイソン、か何か。頭頂部に二本の角を持ち、歯が平らで(ひづめ)のような重厚な爪を持つ、人間だった。

 首元は抉れ、首の骨も折れて顔があらぬ方向を向いている。目はカッと見開いたまま静止していて、視線という名の線はどこにもない。ただそこにあるだけ。その目はもう、何も見てはいない。何も映し出してはいない。

 死んでいる。

 死んでいた。

 完全に、死んでいた。


「餌を持ってきてくれたのか」


 館長の言葉に、はっと虎に視線を移す。虎は死体をあなぐらの中に引き摺り込んだ後は蔦のカーテンの傍で、ターンターンとしっぽを打ちながら外を警戒している。

 僕らのためだ。

 虎が、僕らのために餌を狩ってきたのだ。


「たべ……る、のか?」


 この死体を。


「そうしてこの世界のやつらは生きている」


 目の前にいるのはどう見ても牛の死体ではない。牛のコスプレをしただけにしか見えない人間の死体だ。人間だ。人間なのだ。人間の死体なのだ。


 それなのに、館長は嗤う。


「人間を……食べろ、と」

「人間? いいや、人間じゃない」


 (エサ)だ。

 そう言って館長は、また嗤う。


「生きるための糧。死なないための糧。生かすための糧。死なせないための糧。それを〝ワタシ〟が、ワタシたちのために狩ってきたんだ」

「…………」

「自由とは即ち、死なないように生きること。自然とは即ち、死なせないように生かすこと」


 〝大空を自由に羽ばたく鳥〟


 こんなありふれたフレーズがある。

 だがその実、鳥自身は本当に自由を謳歌しているのだろうか。死なないためだけに羽ばたいているだけなんじゃないのか?

 ──つまりは、そういうことだ。


「統率された世界、あっただろう? あれを見てお前はどう思った?」

「…………自由がない」

「そうだな。だがその代わりに、あいつらには死の危険性がない」


 そうだ。何から何まで管理されたあの、機械じみた統制世界。あそこに暮らす市民たちには自由というものがなかった。それどころか〝自由〟という単語さえ知らず、ただ日々を定められた通りに動いていた。

 けれどその反面、彼らには安全が保障されている。生まれてから死ぬまで安全な場所で生活できるという保障が、ある。


「〝自由〟の両極端。──面白いだろう?」

「…………」


 面白いかどうか、であるならば〝興味深い〟が答えだ。

 けれど僕にはその答えを口にする余裕がない。

 何故かって?


 死体があるからだよ!!


「……マジで食べないといけないのか?」

「食べるまで虎が見張ってると思うぞ」

「えぇ……」


 えぇ……。


「大丈夫だ。今のワタシたちはこの世界仕様に組み替えられている。食べてもお腹を壊すことはなかろう」

「いや、そこは問題じゃねえよ」


 いや、まあそこも大事っちゃ大事だが。問題じゃねえ。


「……館長は、あるのか? 人間を食べたこと」

「あるぞ」


 伊達に世界を渡り歩いていない──そう、口を吊り上げる館長に僕はギュッと胃が潰れるような思いになる。

 いくら人間ではないと言われようと、目の前に転がる死体はどう見積もっても人間だ。人肉だ。人肉なのだ。人肉! 人肉を──食べろというのか。


「こんな人間もどきの牛じゃなくて、マジもんの人肉を缶詰にしている世界もあるんだぞ?」

「やめてくれ……」


 ただでさえ消失している食欲が消滅する。


「ワタシは先に食べているぞ」


 先にまんじゅうを食べているぞ。

 そんな、まるで今からおやつを食べるような、軽快通り越して単なる挨拶にしか過ぎない声色で館長は囀り──がぶりと、死体の(はら)に牙を立てた。

 手が使えないからか、膝で死体を固定して肉に食い込ませた牙を引く。ぶぢぶぢと、皮膚が。脂肪が。筋繊維が。血管が。

 千切れる音が、する。


「──やはり血抜きしていない生肉はまずいな」


 口周りを鮮血に染め上げた館長はなおも、ぐちゅぐちゅと肉を咀嚼して口内で肉から血を絞り出し──吐き出す。

 ぼたりぼたりと、血だまりが地面に染み込んでいく。マスク越しでも僕の鼻は濃密すぎる血錆の匂いを拾って、ぞわりぞわりと恐怖なのか興奮なのか本能なのか──全身が粟立つ。粟立つけれど、一歩もその場から動けない。指一本さえ、動かすことができない。僕の体は凍り付いたように──僕の目は時間が止まってしまったかのように──胎から溢れ出る鮮血と、血を吸って色を濃くしていく地面から動かない。動かせない。

 血。鮮血。赤い血。

 〝血〟は何故、〝血〟という漢字なのだろうか。体から滴り落ちて地面に広がりゆくさまを再現したのだろうか。

 〝赤〟は何故、〝赤〟と呼ぶのだろうか。赤い色に最初に〝赤〟と名付けたのは、誰なのだろうか。地面に転がる死体と、地面に広がりゆく血だまりを再現したのだろうか。




 電車の音がする。




 高層ビルの狭間に沈みゆく夕暮れの鮮血。

 鮮血。そう、鮮血。橙色でも小金(こがね)色でもない。鮮血。

 鮮血。

 鮮血。

 血のいろ。

 血のような、夕焼け。




 電車の音がする。




 【自由】


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