【ダイヤモンドエッグ】
少しの浮遊感ののちに、全身を襲う虚脱感とともに鏡が目前に迫──違う、〝僕〟だ。
「おかえりなさいませ、館長さま雑用さま」
「今回は長旅であったな」
恭しく礼をするメイドさんと、レッドミーシャ以上に尊大な態度で僕らを見下ろす執事さん。とりあえず、ただいまと返しておく。
「ああ、元に戻ってる。やっぱこっちのが落ち着くな……」
元に戻ってみて、わかる。
宝石の体がいかに冷たく、硬く、無機質なものであったか。やはり──血の通った肉のほうが安心できるし、馴染む。一週間ずっと宝石の体だったからだろうか──血が流れる感覚が、とてもよくわかる。指先を温める血潮が指の股を通って手のひらに広がり、手首を通る太い血管に勢いよく流れ込んで腕を駆け上っていく。一週間前までは意識していなかった、どころか存在さえ虚無の中にあった血の流れが僕を満たしていく。
ああ──僕の体は、確かに生きて「雑草、何を呆けておる。さっさと四次元鞄を余湖さんか」
台無しだよちくしょうてめぇこのやろう。
「今回は食糧だけじゃなくて服とか日用品とかいろいろ買ってきたんですけど、なにぶん全部宝石でできているので……メイドさんと相談して使いどころ決めてください──あ、そうだ」
忘れるところだった、と四次元ショルダーバッグからふたつの宝箱を取り出す。そう、レッドミーシャに作ってもらったふたりへのお土産だ。クリスタルで作られた宝箱で、中身が透けているから片方はほんのりと朱くて、もう片方は艶やかに蒼い。
「ふたりにお土産です」
「まあ」「ふむ?」
ふたりに宝石を手渡せば、ふたりはしげしげと繊細な彫刻の施されている宝箱をひとしきり眺め──かちりと、宝石の錠を開けた。
「──まあ、なんて美しいサファイア」
「ほぉ、雑草にしては審美眼のある土産であるな」
「くっく、宝石研磨職人の〝ワタシ〟があつらえた逸品だ。雑用曰く、〝嗜虐の紅玉〟──〝仮初の蒼玉〟だそうだ」
おいやめろ、自分で言っておいてアレだけどいざ他人に言われるとすっげぇ恥ずかしい。
「ふん。〝我輩〟がのぉ──」
「…………」
執事さんは面白そうに口髭を撫でて、僕に持てと宝箱を押し付けて自身からタイピンを外し、ルビーのタイピンと挿げ替えた。──うん、よく似合っている。執事さんの傲慢──じゃない、威風堂々たる王者の佇まいをよく引き立てている。レッドミーシャも気位の高い王のような雰囲気があったけれど、なんというか、執事さんは暴君って感じだ。つまりは横柄。
それに対して、メイドさんは言葉を発しない。沈黙を落とし、まるで世界がそこだけで完結してしまったかのようにじっとサファイアのタイリボンを見つめている。するとふわり、とタイリボンが浮いてメイドさんの胸元に取り付けられた。──館長だ。
メイドさんは一言も発さず、自分の胸元で鮮やかに輝くサファイアを見下ろすだけだ。その胸中が一体どんなものであるのか、僕にはわからない。〝僕〟ではあるけれど──僕ではないから。
「気に入らんか?」
「──いいえ。いいえ、いいえ。そのようなことは決してございません」
メイドさんは胸元のリボンに手を這わして表面を撫でる。大切なものを慈しむように優しく、優しく。
「よく似合っておるぞ、〝我輩〟」
「ああ、ふたりとも似合っている──〝ワタシ〟」
「さすが〝僕〟が作っただけあるな……〝僕〟にとても映えている」
「……ええ、ありがとうございます。〝わたくし〟」
スカートのすそを摘んで膝を折り、メイドさんはとてもきれいに微笑んだ。──それは胸元で輝くサファイアのように、端麗な笑顔であった。
◆◇◆
「夕食がTKGって」
ダイニングテーブルに並ぶは、四人分の白米を盛った茶碗。ちゃんと白く艶やかな、本物の白米を炊いたごはんである。やはりごはんはこうでなければ。
そしてその横に並ぶは、ダイヤモンドエッグ。
「生物でございますからお早めに召し上がられたほうがよろしいかと思いまして」
「TKG! TKG!」
「せめて朝食に回さんか」
嬉しそうにしている館長はさておき、眉間にヒビを入れて突っ込んだ執事さんに同意しておく。
「もちろんおかずもご用意しておりますわよ」
そう言われて出されたのは宝石野菜で作った煌びやかなサラダ。ああ、さてはメイドさん。
「めんどいんですね?」
「ですわ」
わたくし、お土産の検分と仕分けで疲れておりますの──そう言って、メイドさんは悪びれもなく微笑んだ。
とてもきれいで、それでいて有無を言わせぬ笑顔。
その笑顔を前に、僕はおろか──あの執事さんでさえも、沈黙せざるを得なかった。
──ダイヤモンドエッグのTKGは最高に美味しかったです。イエローダイヤモンドの黄身がほかほか白米の上に載っている違和感はすさまじかったけれども。




