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自分図書館  作者: 椿 冬華
第三幕 「我輩」の章
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【レスプリ・デ・レスカリエ】


「あ、〝IT(それ)〟に言っておけばよかった。いつかお前を元の世界にブチ込んでやるから覚悟しておけって」


 図書館に帰還するや否や、館長が舌打ちしながら地団駄を踏んだ。


「また言い損ねた! あそこは何もかもが存在しないから意識が欠落する!」

「あ……なんか僕も。〝IT(それ)〟さんにお礼言い損ねてる……!!」

「いやだ、わたくしもですわ。あんなにお世話になりましたのにお別れの言葉もろくに言わず……」

「…………そういえば、そうだった。何故だ? 忘れていた」

「忘れていたんじゃない。()()()()()()んだ。存在しないものを相手にするとは、そういうことだからな」


 レスプリ・デ・レスカリエ。

 何かを為したり話したりして、後から〝あれもやっておけばよかった〟〝あれを言っておけばよかった〟〝あれをやらなければよかった〟などと今さらどうしようもないことを後悔する現象。


「こちらが存在しない世界から持ってきた存在しない食べ物レスプリ・デ・レスカリエです。名前は適当にそれっぽいのをつけました」

「適当にもほどがある」

「我輩の思考読んで名付けただろう、それ」


 いつの間にやらあの世界から持ち込んできたらしい物体を厨房のダイニングテーブルに出して、館長が誇らしげに胸を張る。


「へえ、ドレイクさんの世界の諺とかですか? それ」

「いや。本で知った」


 停滞している我輩の世界にそんな、人間らしい慎ましい概念があるわけがない。

 それよりも館長が持ち込んできた謎の物体だ。例に漏れずこれも認識できない。円盤状のタルトっぽい何か、というのはわかるのだがどういう材料を使っているのか悟ることができない。存在しないから、認知できない。今だって館長が視認しているからこそ認識できているのだ。


「館長であれば存在価値を与えることはできよう?」

「できるが、それじゃつまらんだろ。なかなかないぞ? 〝存在しないもの〟を食べるって」

「ああ……成程」


 館長らしいといえばらしい。

 ドレーミアが何を用意すればいいのか問うて、とりあえず人数分の皿が並べられた。けれど〝存在しないもの〟を前に、ドレーミアはどうすればいいのかわからず戸惑う。館長を通して円盤状のタルトっぽい何か、とはわかるが、それ以上の思考ができない。どう取り分ければいいのか、どう食べればいいのか、そもそもどこが食べられてどこが食べられないものなのかわからない。

 未知の食べ物を前にしてもこうなることはあまりない。見たことがない果実であろうと料理であろうと、一目見れば〝どういうもの〟なのか推察することができる。ここは食べられるかもしれない、ここはやめたほうがいいかもしれないと思案できる。

 だが、これに対してはできない。

 わからない。何もわからない。ただ、戸惑う。〝存在しないもの〟とは須く何も存在してないからこそ〝存在しないもの〟なのだ。


「ドレーミア、そのまま包丁を垂直に下ろして四等分……あっズレた。一番デカいのをワタシが……いや、一番デカいのは柊どれいに譲ろう。ワタシは謙虚だからな。一番小さいのを喰おう」


 絶対何か知っておるコイツ。

 ドレーミアが覚束ないながらも館長の指示通りに小皿へ取り分けられたらしく、館長が認識できないだろうから犬食いする感じで喰うよう指示してきた。


「……やはり、わかりませんわね。何でしょう……タルトっぽい……色は、薄紅色……花、をモチーフにしたような。ああ、何故でしょう? ここまでは視認できるのに……どうしても食べ物だと認識できません」


 〝IT(それ)〟と相対しても人間だと認識できなかったように。〝IT(それ)〟の笑顔を見ても紙面にぽつんと一個押されただけの笑顔スタンプマークにしか見えないように。

 匂いはする。なのに、食べ物の匂いだと脳が判断しない。見た目はタルトだ。なのに、脳がタルトという食べ物であると認識しない。

 そこにあるのに、そこにない。

 存在しない。


「いただきま~す」


 奇妙な感覚に不気味さと気味悪さを憶えながら、館長に促されるまま小皿を持ち上げて口元を近づける。匂いがする。歯に固く、柔らかいものが当たる。舌に何かが当たる。でもやはり脳は何も感知しない。何も認識しない。体は確かにその存在を感じているのに、脳が一切認識しない。


「うむ! やはり何も感じんな!!」

「感じ……感じ……る? 感じる……とは、何でしたっけ」


 いかん、ドレーミアが混乱し出した。小皿をドレーミアから取り上げて、冷蔵庫にあったプチトマトを口内に放り込む。脳が認識する〝存在〟にドレーミアの目が落ち着いていくのを見守りつつ、小皿を館長に押しやった。


「コレは人間が食べていいものじゃないだろう」

「だなあ。感覚が狂う……ってか自分の存在意義を見失うな」


 どれいが小皿を持ち上げたまま硬直していた。ドレーミアと同じ措置を取って、どれいにしっかりするよう言う。


「……僕、ここにいるんだよな」

「トマトの味がわかるならな」

「何だろう……自分が自分じゃねえみてえな……不思議の国のアリス症候群っての? 自分の体が自分のものじゃねえみてえな……魂が体から離れちまったみてえな……」

「風邪を引いた時になりがちであるな。感覚がしなくて剥離感があるあの感じ。だがお前はちゃんとここにいる。ほれ、トマト喰うがいい」


 口移しでもいいが、とひと言付け加えるとどれいの死んだ目が途端にシャキッと甦り、ムシャムシャとプチトマトを頬張り始めた。


「うむ、〝存在しないもの〟は食べるものじゃない。メモメモっと。おいしいは存在しているほうがいいもんな、うん」


 そういう問題ではないのだが。いや、館長にとっては死活問題か。




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