第四自我 【煌めきに埋もれる自我】
第四自我 【煌めきに埋もれる自我】
単一物質系列世界第六種 №21。
通称、宝石の世界。
「うわ……変な感じだ」
透明度の高い黄緑系統の薄萌黄色と夕焼けを彷彿とさせる柿色とが混在している宝石。
それで僕の体が、形成されていた。
「単一物質系列世界というのはまあ、ひとことで言えば単一物質で構築されている世界だ」
「……だろうな」
うずく右手を押さえつつ、手を開いたり閉じたりしながらあたりを見回す。
この世界に来る直前、館長はこの世界のことを〝宝石の世界〟だと呼称した。まさにそれ以上でもそれ以下でもない、一から全まで完膚なきまでにその通りの世界だった。
土壌は淡い橙の光を帯びた萱草色。
木々は輝くような芽吹きを思わせる若芽色。
清流ははっと目を見張るほどの透き通った白花色。
かろうじて空だけがただの空で、けれど太陽は鮮血を彷彿とさせる猩々緋色だ。
そしてどれももれなく、鉱石である。そう、鉱石。太陽さえ鉱石だ。太陽の輝きをどこもかしこも反射するものだからあたり一面が輝いて見える。と、いうか僕の体も館長の体も輝いている。
そう──宝石には詳しくないからどんな鉱石なのかはわからないけれど、僕も館長も宝石の体だ。館長は僕に比べると比較的落ち着いた透度の、鈍い紫系統の菖蒲色をしている。
「お前はジルコン、ワタシはブラックオパールだな」
「……鉱石なのに、なんで動くんだ?」
「さあな。そういうものだからそうなっている、としか言いようがない」
爪先から皮膚、舌先に毛先に至るまで完璧に鉱石だ。鉱石なのだけれど──普通に動く。さらさらと風に靡くし、草を踏みしめても割り折ることはなく、柔らかに曲がる。
──ただ、感触は完璧に鉱石そのものだ。なんというか……違和感というか、柔らかいのに鉱石という……矛盾が。なんか、気持ち悪い。
「すぐ慣れる。世界によって理も違う──常識なぞ棄てちまえ」
「わかってるけどな」
海底の世界に統率された世界に、妖精の世界に砂糖菓子の世界に──〝自分図書館〟に住まうようになって……もう、どれくらい経ったのか。朝も夜も、春も夏も秋も冬もないあの図書館だと時間の概念を見失うからもうわからなくなっている。厨房にある時計を見ればわかるだろうけど──時間以外はもう見なくなった。
館長と渡り歩く世界もそれなりの数になってきて、僕もだいぶん慣れた。主に館長の世話に。
うん、今日も今日とて館長は大絶賛拘束中である。
「よし、街に行くぞ」
「へいへい」
◆◇◆
トワイランド。それがその街の名前だった。
夕暮れ時を街の中に閉じ込めたような、沈みかけの夕日の輝きで満ちている美しい街だった。右手がうずく。
「……夕暮れを見ると物悲しい気持ちになるのは、なんでだろうな」
「ワタシたちが太陽の下で生きているからだと思うぞ。例えば、あの海底の世界。あそこには夕暮れの概念がない。ゆえに、夕暮れに寂寞を感じる情緒もない」
「いや、それはそうだが」
そうじゃねぇ。
「夕日で始まり、朝日で終わる世界もあるぞ」
「……、…………、…………」
西から昇って東に沈む世界なのか、時間が時計回りにではなく反時計回りに進む世界なのか、あるいは老人で生まれ赤子で死にゆく逆行した世界なのか──何にせよ。
「変わんねぇだろ」
「バレたか」
朝日が夕日になるだけで何も変わりやしねぇ。
「くっくっく、まあ戯れはさておき、だ。夕暮れに寂寞を感じる──それはワタシたちに〝終わり〟があるからだろうな」
「……終わりがある」
「始まりあるものには終わりがある。それを知っているからこそ、終わりかけのものに哀愁を見出すんだろうよ」
──なるほど。
眼前に広がるトワイランドの、夕焼けの街。それは確かに終わりかけの色だ。やおら沈みゆく夕日がもたらす色彩は網膜を通して体の隅々に一日の終わりを告げる。眼前に広がるのは夕焼けによる色彩ではなく鉱石の輝きによる色彩だから終わりとは関係ないのだけれど、でもそれでもその色彩には寂寞を覚えてしまう。
夕暮れ時にはさらなる寂寞の色を、この街にもたらすのだろうか。
──そんな興味が、右手をうずかせる。右手がうずいて、けれどいつものように胸元で宙を掻くことはなく下に落ちた。
興味にうずく右手と、寂寞に沈みゆく心。
色彩に伸びる手と、終焉に落ちる手。
電車の音がする。
「まずはレストランに行くぞ、〝ワタシ〟」
はっとした時には既に街中にいて、意気揚々とレストランに向かう館長の後ろを歩いていた。
トワイランドの街は道路から建造物、看板に装飾物とありとあらゆるものが夕暮れを彷彿とさせる宝石でできていたが、そこを行き交う人々の色彩は豊かであった。人々がそれぞれ何の宝石なのかはわからないが──赤に緑に青、金に銀に水晶と色彩の爆発であった。しかも普通に服を着ているものだから──そう、服。宝石でできた服だ。質感は鉱石で、けれど布のように柔らかい宝石の服を僕らも身に着けている。僕と館長は肌色と近い色合いの服だけれど、街を行き交う人々の中には肌に異なる色の服を重ねて新たな色彩を作り出している人もいる。なんというか、改めて鉱石が人の形をしていて、服を着て、動いているって不思議だ。
「この世界の〝僕〟はどこにいるんだ?」
「んあ? ──、……ああ! この先の宝飾店〝ティアネイル〟で働いているはずだぞ」
こいつ絶対忘れていたな。
しかし宝石の世界で宝飾店とは。
それからレストランに行きたがる館長の首根っこを掴んで宝飾店に向かった僕は──〝僕〟と、出逢った。
出逢ったといっても、僕らが一方的に見つけただけなのだけれど。
「単一物質系列世界第六種 №21──レッドミーシャ」
彼の人は磨く。
くすんだ瞳で。煤けた手で。曇り濁った指先で。
煌めきのしずくを磨きて輝きのない手のひらに転がす。
館長が、唄う。
この世界の〝僕〟──レッドミーシャは、くすんだ石だった。
宝石の輝きがひとつたりとてない、色褪せてくすんだただの石。鼠色の、表面がざらついた肌に墨色のまだら模様がある。服も曇った灰色ではあったが、肌よりもずっと光沢がある。それくらい──〝僕〟は、くすんでいた。
けれど〝僕〟は笑っていた。
楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに。
宝石をひとつひとつ丁寧に磨いて、削って、さらに磨いて、表面をカットして、水圧カッターでさらに削って──ひとつひとつ、一歩一歩、一進一退。
〝僕〟が指先をひと粒の宝石に躍らせるたびに、宝石の輝きが増していく。
「当店自慢の研磨師でございます」
宝石研磨職人、レッドミーシャの作業している一室。
それを扉の──扉も当然、宝石でできている──外から眺めて、宝飾店のオーナーが自慢げに浅黄色の口髭を撫でた。
宝飾店はその名の通り、宝石のアクセサリーを取り扱う店であった。国内でも一、二を争う高級店であるらしく、店内に並ぶ宝飾具はどれも神々しい輝きを放っていた。宝石で構築された世界だというのに、僕でもわかる。
本物の宝石だ。
朝光を凝縮しきった朝露にも匹敵する無垢な輝きは、僕らの肌よりもずっと高潔だ。〝僕〟だからこそわかる──高潔でかつ、純潔。無垢にして潔癖。ここには、〝僕〟の混じりけのない誇りが詰まっている。
「──見事だな」
「恐れ入ります──レッドミーシャも喜ぶでしょう」
「ふむ。ふたつ、注文していくか──おい、選べ」
「へ? 選ぶって……何を?」
「執事やメイドへの土産に決まってるだろ。ふたりとも光り物が好きだからな」
光り物って。カラスじゃねぇんだから。
……でも確かに、執事さんもメイドさんも何かしらアクセサリーつけていた……気がする?
「観察力が足りんな。さてはモテないだろう」
「うるせぇ」
モテてたかどうかは覚えてねぇよ。てか宝石に詳しくないんだけどな、僕。
「そんなの〝ワタシ〟に似合いそうなもの、で構わんよ」
「オーダーメイドも受け付けておりますゆえ、遠慮なく申し付けてくださいませ」
「うぅん……
執事さんとメイドさんに似合いそうなもの、ねぇ。
執事さんもメイドさんも〝僕〟だ。けれど執事さんは〝僕〟を愛していて、メイドさんは〝僕〟を拒絶している。
……ふむ。
「執事さんにはこの真っ赤な宝石を……落ち着いたタイピンに。メイドさんには……この青いのを大きく真ん中に飾った目立つタイリボンに」
「ルビーとサファイアか。王道だが、なるほど〝ワタシ〟らしい」
「では、オーダーメイドということでよろしいでしょうか?」
「ああ。デザインは任せよう──タイピンは執事に、タイリボンはメイドにということだけ伝えてくれ」
「畏まりました。では、こちらでご契約の方を──」
あ、はいはい僕ね。
館長の代わりにオーダーメイドの手続きをカウンターで取る。こういった雑務も慣れたもので、いつものようにさらさらと契約書にサインしていく。紙も白亜の宝石でできていて、インクもぱっと見た感じ、溶鉄のようだ。この世界の文字はなんというか、アルファベットをより絵画的にしたような……ヒエログリフに近い感じだ。館長の魔法のおかげで読めるし書けるけど……改めて、館長ってチートだよな。
「お支払い方法はいかがなさいますか?」
「あ、一括現金払いでお願いします」
館長が僕用にあつらえてくれた四次元ショルダーバッグからこの世界特有の通貨を取り出す。いや本当に便利だ。館長の魔法万歳。ご都合主義なんでもござれだ。
結構な金額を一括で支払ったからか、オーナーの目がほんの少し丸くなる──宝石だからちょっとわかりづらいけど。
「確かに。──では少々お待ちください。研磨職人に簡易なデザイン案をいくつか出してもらいますので」
「あ、はい」
オーナーが研磨師のアトリエへ這入って行ったのを見届けて、店内で楽しそうに商品を眺めている館長の元へ戻る。
「──あの〝僕〟、レッドミーシャ……は僕らとは少し違うようだったけれど」
輝くような宝石の体を持つ僕らとはまるで正反対の、くすんだ岩のような体。
「レッドミーシャさまはご自分に関心がおありでないのです」
僕の言葉が聞こえたのか、店内に残っていたスタッフのひとりが答えてくれた。研磨師、レッドミーシャは血赤珊瑚という非常に珍しい宝石なのだそうだ。石というよりは化石であるその体はとても傷つきやすく、細やかなメンテナンスをしなければすぐ曇って色を失ってしまう。
幼いころのレッドミーシャは両親にそれはそれは大切にされ、見るもの全てを魅了する美しい紅色の体だった。けれどある日、レッドミーシャは研磨師と出逢った。
出逢って、魅入った。
「それが先代研磨師、オパールダイさまなのでございます」
「なるほど。そして研磨師に弟子入りして技術を受け継ぎ──レッドミーシャもまた研磨師と成ったワケか」
「はい。だからなのでございましょうか……レッドミーシャさまは研磨することにしか目がなく、ご自分のメンテナンスをなさろうとしないのです。本来ならばたいそうお美しいお方でいらっしゃいますのに……」
「なるほど、なるほど」
面白い、と館長の口元が吊り上がる。
──と、その時であった。
「おい、お前ら」
こつり、と宝石の床を叩く小気味よい硬質な音とともに、〝僕〟が僕らの前に現れた。
扉越しにはくすんだ鼠色の体にしか見えなかったが、こうして眼前にするとところどころ、表面が剥げて鮮血のような断面が覗いている場所があるのがわかる。
「──これは、驚いた。我かと思った」
「やあ、どうも初めまして。研磨師レッドミーシャ」
「え、あ……えっと、初めまして」
図書館に住まう〝僕〟以外の〝僕〟と会話したことのない僕は不甲斐なく焦ってしまったけれど、館長は至って落ち着き払っている。
そういえば……基本的には〝僕〟を観察するだけだとは言っていたけれど、絶対に会ってはならないとは言っていなかったな。
……それにしても、意外と驚いていないな。〝僕〟を前にしているというのに、一瞬驚いただけですぐ取り澄ました顔に戻っている。
「依頼の件だが、執事とメイドの特徴を教えてほしい」
「なら簡単だ。〝ワタシ〟っぽい自己愛に満ちた男の執事に、〝ワタシ〟っぽい自己否定に満ちた女のメイド」
「なんだそれは……ふむ、まあよい。大体わかった。一週間かかる」
「了解した」
「あ……えっと、よろしくお願いします、ぼ──レッドミーシャさん」
〝僕〟と言いかけて慌てて言い直しつつ、レッドミーシャに頭を下げる。
レッドミーシャはくすんだ鼠色の体だというのにうむうむと大仰そうに頷いてニヒカルに笑った。こんな煌びやかな世界だ──岩のような体に劣等感を抱いてもよさそうなものだが、レッドミーシャは堂々としている。自分の体に恥など何ひとつないとばかりに昂然と胸を張っている。
美しいところなど何もない。
ないというのに、何故だか僕の右手は胸元で宙を掻いた。
彼の人は磨く。
くすんだ瞳で。煤けた手で。曇り濁った指先で。
煌めきのしずくを磨きて輝きのない手のひらに転がす。
彼の口元に浮かぶは、気位。くすんだ瞳に宿るは、誇り。
煤けた手が生み出すは、高潔。曇り濁った指先が奏でるは、美そのものなりや、
館長の唄声がトワイランドの街に響く。
宝飾店を後にした僕に首根っこ掴まれて引き摺られつつも唄い上げてみせた館長に呆れるやら感心するやら。
「どのホテルに泊まるつもりだったんだ?」
「オーシャントワイライト」
「えぇっと……すみません、オーシャントワイライトってどちらに──ああ、あの高いビルでしたか。どうもすみません、ありがとうございます」
レストランに行きたいと駄々をこねる館長をずーるずーる引き摺ってトワイランド最大のホテル、オーシャントワイライトに向かう。もう日が暮れる──食事の前には宿を、だ。
◆◇◆
電車の音がする。
オーシャントワイライト、セミスイートルーム。
薄氷のような薄い宝石の硝子越しに、燃え盛る海が広がっている。
夕暮れ時。爛々と輝く太陽が肩の力を抜き、猩々緋色が今は柔らかな柿色になっている。空は黄丹色から牡丹色、葡萄色のグラデーションになっていて、今は黄丹色の比率が高い。
その下に広がるトワイランドの街──それはもはや、沈みゆく夕日に呑まれて炎を噴き上げる大海原そのもの。
輝きが輝きを反射して、煌めきが煌めきを散乱させて、眩きが眩きを増幅させて、閃きが閃きを切り裂いていく。そうして光が光と反発し合って膨れ上がった炎は、おそらく僕が宝石の体じゃなければ目を焼かれていたであろうほどの光彩であった。
夕焔に沈む街。
そんなタイトルが脳裏をかすめて、右手がもどかしさにうずく。
同時に──電車の音が鼓膜を揺らす。いつもの幻聴だ。
ガタンゴトンと線路を走る電車。その向こうに見えるのは、高層ビルの隙間に沈んでいく夕日。
──僕は。
僕は。
「ヒャッホー! ダイヤ米のツナマヨおにぎり!!」
脳裏に蘇ろうとしていたビジョンが飛散した。てめえこのやろう。
「この後ディナーにレストラン行く予定だろ?」
「おやつだ!」
いつの間にかルームサービスを頼んでいた館長に呆れのため息をこぼしつつ、ダイヤ米のおにぎりとやらに視線を移す。なるほど、ダイヤだ。
「すっげぇ硬そうだな……」
米粒ひと粒ひと粒がダイヤモンドになっていて、全体的に神々しい輝きを放っているおにぎりだ。まあおにぎりに見えねえけど。ダイヤモンドを集めておにぎり風にした芸術品にしか見えない。綺麗だとは思うが、おいしそうだとは思わない。つか本当に食べ物なのか?
「ほら食べさせろ」
「はいはい」
あーん、と大口開ける館長におにぎりを持っていく。感触は宝石そのものなんだけれど、少し力を入れると指が沈み込む柔らかさがある。それに炊きたてらしく、ほこほこと温かい。なんだか奇妙だ。
館長がぱくついてひと口欠けたおにぎりに僕もかぶりつく。鉱石だからか、僕の知っている白米と違って角張っている。舌先に載るのも鉱石の感触だ。だが、口内に広がる風味は炊きたてごはんそのもの。歯触りも、味もおにぎりそのもの。普通に味噌汁が欲しくなるおにぎりだ。
「見た目はまんま宝石なのに普通に食べ物なのな」
「面白いだろう?」
「面白いってか……脳がショートする」
今までも十分ヤバかったのに、この矛盾は脳がパンクする。見た目は鉱石、感触も鉱石。けれど硬度はやわらかな皮膚や草、紙。ここに来た当初から矛盾でパンクしそうになっていた頭が今、限界を迎えている。
見た目は鉱石。感触も鉱石。けれどほかほか温かくやわらかく、口に含めばただのおにぎり。
常識と現実が接続不良でショートを起こしている。毎度のことながら……世界の広さには唸るしかない。
「くっくっく。まっこと、面白きことよなぁ」
「……まあ、確かに退屈はしないな」
ただ流されるまま、館長について異世界を渡り歩いているだけではあるけれど。
でも、悪くない。
「……ああ、悪くない」
おにぎりをまたひと口、頬張って窓の外に広がる夕焼けに燃ゆる街を眺める。
「悪くない」
僕は〝僕〟を知らない。
けれど僕は〝僕〟を知った。
海に揺蕩う人魚姫を。
思考をせぬ紡ぎ手を。
崩れ妖精を。対蟻軍兵を。風刺画家を。戦争屋を。窓際課長を。
そして、宝石研磨師を。
「悪くない」
実に、悪くない旅だと思う。
「ワタシのおにぎりひとりで食うなー!!」
蹴られた。
【気位】




