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自分図書館  作者: 椿 冬華
第三幕 「我輩」の章
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第九自我 【雪と自我とプレゼント】




第九自我 【雪と自我とプレゼント】




 答えの出ぬまま、館長は非情にも〝レン〟のいる世界を選んだ。

 あたり一面銀世界。夜空には目も眩むような星空。肌を突き刺す風は凍えるように冷たく、けれど不思議と不快感はない。むしろ頭が冴えて澄んだ心地で雪景色を眺めていられる。

 と、思ったのも束の間。

 雪上歩行の難しさを身をもって思い知り、どれいの手を借りながら掻き分けるように進む羽目になってしまった。雪景色がキレイと思っておった数分前の自分を殴りたい。何が雪だ。溶けちまえ。


「──っはぁ、ところで我輩たちは何処に向かっておるのだ?」

「ステキな場所」

「館長、おぬしのいる場所こそが至高にして究極のステキな場所である。よし、帰ろう」

「ドレイクさま、現実逃避なさらないでくださいませ。ほら、こうやって重心を前に傾けて、かかとや爪先からつけず足の裏全体で雪を踏みしめるのですわ」

「ぐぅ……」


 雪に足を取られてはどれいとドレーミアに支えられながら歩くこと十数分。どれいとドレーミアに助けられる頻度が一歩ごとに一度、から数十歩ごとに一度へ落ち着いたころに遠くからかすかに雪を踏みしめる音が聞こえてきて、足を止める。


「何だ? 人間の足音にしては重い──」


 ズン、ズンと雪をひとつずつプレス機にかけているような重い音にどれいが何を想像したか、死んだふりするべきかどうか相談してきた。


「ヒグマとかだったら……!」

「その時は館長を放り投げればよかろう」

「ああそっか」

「もしもしドレイクさん? 柊どれいさん?」


 いざという時に備えてどれいと館長を挟み、暴れる館長を抑えていつでも放り投げられるように身構える。許せ館長、恨むな館長。理不尽なおぬしが悪い。

 ドスンッと、これまでになく重々しい音が響くと同時に、()()が宵闇の向こうに浮かび上がった。

 角。

 宵闇に浮かび上がる、二メートルはあろう巨大な角。それが、対。

 ブシィィィ、と風の音に混じって熱気を帯びた鼻息が聞こえてくる。


「ヘラジカ……!?」


 どれいが怯えた声を出す。ズシンッとまた重い音が響いて、角しか浮かび上がっていなかった宵闇に()()が姿を現す。

 三メートルを超える巨大な鹿だった。

 ここで間違えてはいけないのは、その〝三メートル〟に角は含まれていない点だ。前足の蹄から頭のてっぺんまでおおよそで見積もって、三メートル。

 あまりにも巨大な鹿に、我輩たちは言葉を失う。


「あなたたち、迷子?」


 風に乗って鼓膜を転がしてきた凛とした声につい、〝レン〟と叫びそうになる。なって、すぐ違うと思い直した。似ている。よく似ている──というか、()()だ。レンと同じだ。間違いなく、レンと同じだ。

 でも違う。


「バイト希望者? それとも見学希望? どちらにしても先に連絡入れてほしいものだけれど」


 軽やかで涼しげな声を響かせながら鹿から雪上に降り立ったその女性に、我輩は釘付けになる。

 この数年の渡界で我輩を見て〝我輩〟と誤認する人間に何人か会ったが、その気持ちが今わかった気がする。

 レンによく似ている。油断していればレンと間違えてしまいそうなほどに、レンと同一だった。だが一致ではない。何百万回もの容姿の異なる人生を歩んできた我輩とて、違うとわかる程度には一致ではない。

 逸りそうな心情を抑えつけて、改めて鹿の背から降り立った女性を見やる。防寒着にフードとゴーグルで顔はよくわからないが、ドレーミアとそう変わらない背丈だ。かろうじて素の部分を確認できる口元を窺うに、年の頃はどれいとそう変わるまい。


「ああ、怖がらせたならゴメン。この子は大人しいしいい子だから大丈夫。で、バイト希望者? 見学希望者?」

「バイト希望者だ。あわよくばプレゼントも欲しい」

「プレゼント目当てのバイト希望者四名っと。OK、じゃあクリストファーに乗って頂戴」


 クリストファーというのはこの鹿のことであろう。とりあえず言われた通りに乗り込むべく鹿に近付き、まず館長やドレーミアの台代わりとなって押し上げるように背に載せた。確かに大人しい。我輩たちが乗り込みやすいよう膝を折ってくれておるし、相当頭がいいのだろう。続けてどれいも上に押し上げてやり、自分も乗ろうとした折にふと、女性と視線が合う。

 合った途端、嫌な顔をされた。


「…………」

「どうしたの? ほら乗りなさい」


 嫌そうに口元を歪めたのは本当に一瞬で、すぐ澄ました口元に戻った。あまりにも寒かったとか、嫌な風が肌を刺したとか、そんなことなのかもしれないが──何故かどくどくと、我輩の心臓は嫌な予感を覚えて脈打っていた。




 ◆◇◆




 白銀に凍り付いた氷樹(ひょうじゅ)の森を通り抜けた先に広がっていた、凍てつきし氷花(こおりばな)が咲き誇る大雪原。

 そこに、木造の小さな一軒家があった。丸太を積み上げたような小さく、愛らしい家だ。中は暖炉の炎で温められていて、寒さで硬直していた筋肉が弛緩していくのがわかった。


「まだ自己紹介していなかったわね。私はカレンデ=エーデルワイス。一応、秘書をしているわ」


 防寒着を脱ぎ去った女性はその凛とした声に見合わず、とても可憐な少女であった。プラチナブロンドの絹糸のような髪を背中に流して暖炉の炎で乾かしながら、我輩たちにも上着を脱いでかまわないと言う。


「この後地下工場へ案内するわ。Xデーまであと三日──正直、余裕はないの。手早く説明するから作業に取り掛かって頂戴ね」


 地下工場? と首をひねる我輩とドレーミアとは対照的に、どれいは何かを察したのか微妙に目を輝かせ始めた。


「お、おい館長。まさかコレアレか? アレだよな? そうなんだよな?」

「なんだ、お前そういうの好きなクチだったのか?」

「この世界じゃ()()しているんだろ? 元の世界じゃガキの頃に信じなくなっちまったけどよ、でも実在するなら会いたいって思うモンだろ?」


 ……ふむ? と、いうことはここは地球系列平行世界か? どれいの世界では架空であったものがこちらでは現実となっている──そんな感じか。

 女性──カレンデ嬢がバイトの制服だと言って手渡してきた作業着を服の上から纏う。カレンデ嬢も同様に真っ赤なつなぎを身に付けて、暖炉に向けて〝ユールトット♪ トムテトット♪〟とリズミカルに呼びかけた。それに呼応するように暖炉の橙色の炎が鮮やかな緑色に燃え上がり、カレンデ嬢は我輩たちを手招きしながら炎の中へ入っていってしまった。


「よし! 行こうぜ!」

「……乗り気であるな? どれい」

「大丈夫大丈夫。火傷しねぇから! 火傷しないようにできてんだよ! なっ、そうだよな館長! そういうもんなんだろ!? こういう魔法なんだよな!?」

「あ、ああ」


 どれいのハイテンションぶりにかの館長もたじろいでいる。ふむ、館長を黙らせたい時はハイテンションになればいいかもしれん。

 意気揚々と館長を小脇に抱えたまま炎へ突っ込んでいくどれいを追って、我輩もドレーミアの手を引きながら入る。熱くはない。一瞬視界が鮮やかな緑色の輝きに包まれて、しかし次の刹那には驚きの光景が眼前に広がっていた。


「急げ急げ♪」「運べ運べ♪」「詰めろ詰めろ♪」

「クリスマスはもうすぐ♪」「もうすぐもうすぐクリスマス♪」

「プレゼントはいくらあっても足りない♪」「リボンも忘れずに♪」

「あの子はミニカー♪」「この子はぬいぐるみ♪」「その子はゲーム♪」「どの子は本♪」

「ユールトット♪ トムテトット♪」「ユールトット♪ トムテトット♪」


 炎の向こう側には、巨大な工場が広がっていた。だが〝工場〟という名詞で括るには明るく鮮やかな場所で、一般的にイメージされる工場風景からは程遠い。

 天井には縦横無尽にガーランド飾りが取り付けられていて、綱からは靴下型のチャーム、雪の結晶型のチャーム、モミの木型のチャームと多種多様なキーホルダーがぶら下げられている。ガーランドがなくとも浮いている星の飾りや色とりどりなボールの飾りがあって実に色彩豊かだ。

 イルミネーションの飾りを取り付けられたモミの木やリースもあちこちに設置されていて、その間を縫うようにベルトコンベアレーンが敷かれている。レーンは工場内を這い回りながらぐるりと一周する形になっていて、ベルトコンベアの上には色とりどり、大小様々な箱や袋が並んでいる。

 自動で動き続けるベルトコンベアに合わせて、工場内に数十、数百人もいる真っ赤なとんがり帽子を被り、とんがった耳と豊かな灰色のあご髭を持っている小人が忙しなく動いている。


「ひゃ~、まさにクリスマス! って雰囲気だ!」

「クリスマス?」


 ああ、確か地球系列平行世界の伝統行事だったか。映画でも見たな……返り血で服を赤く染めたサンタクロースという化け物が毎年冬になると夜な夜な子どもたちの内臓を──


「ホラー映画と一緒にすんな! 実際のクリスマスはそんなんじゃねえよ!」


 本来は神の子キリストの誕生日を祝う就業行事であるが、子どもたちにとっては年に一度、サンタクロースからプレゼントを貰える日なのだそうだ。よい子にしていれば寝ている時にサンタクロースがプレゼントを置いていってくれる御伽噺で、どれいの世界では架空の存在であるからしてサンタクロースは親が代わりに勤めるらしい。


「成程……そんな楽しいイベントがあるのだな」

「しかもこの世界じゃあサンタクロースが実在してるんだ! 一目見てみてえなあ~!」


 どれいも幼い頃、サンタの存在を信じてクリスマス・イヴ──つまり前日は早めにベッドに入ったそうだ。可愛らしいな。


「この小人たちはユール・トムテという種族だ。分類的には妖精だな」

「妖精……じゃ、サンタクロースも?」

「そうだ。カレンデ=エーデルワイスは人間だがな。昨今はプレゼントの需要変動が激しくて、だから人間の労働者も増えている」


 言われてみれば、ちらほら小人の三倍ほど身長がある大きな人間が働いているのが見える。いや、小人が小さくて大きく見えるだけで普通の背丈だろうが。


「あなたたち、こっちよ。このレーンで箱にプレゼントを詰めるのを手伝ってもらうわ」


 カレンデ嬢に案内されたのはレーン上を流れてくる包装にプレゼントを詰めていく作業ラインであった。プレゼントは流れてくる包装に合わせて順番にパイプのようなものから出てきていて、それを小人が受け取っては包装に詰めている。

 急かされるように我輩たちもレーン前に立たされて、位置を整えたり丁寧に包装するのは他のラインで行うからとにかく詰めるよう言われ、とりあえず詰め始めた。

 くまのぬいぐるみをかわいらしいピンクの袋に。積み木のおもちゃを大きな箱に。飛行機のプラモデルを硬質な箱に。ゲーム機なのであろう機械を柔らかで厚い箱に。ゲームソフトを小さな袋に。本を紙の上に。ぬいぐるみを袋に。ゲームソフトを袋に。おもちゃを箱に。おもちゃを箱に。おもちゃを箱に。ゲームソフトを袋に。ゲーム機を箱に。ぬいぐるみを袋に。人形を箱に。おもちゃを箱に。本を紙の上に。文房具を袋に。服を袋に。ぬいぐるみを袋に。ゲームソフトを袋に。ゲームソフトを袋に。ゲームソフトを袋に。おもちゃを箱に。ゲーム機を箱に。携帯を箱に。おもちゃを箱に。ゲームソフトを袋に。ぬいぐるみ。ゲームソフト。おもちゃ。本。おもちゃ。ゲームソフト。ゲームソフト。ゲームソフト。服。おもちゃ。本。ぬいぐるみ。人形。おもちゃ。ゲームソフト。ゲーム機。ぬいぐるみ。パソコン。携帯。ぬいぐるみ。おもちゃ。人形。ゲームソフト。ゲームソフト。おもちゃ。ゲーム機。本。文房具。本。おもちゃ。おもちゃ。おもちゃ。ゲームソフト。ゲームソフト。ゲーム機。ゲーム機。パソコン。携帯。人形。ぬいぐるみ。ぬいぐるみ。おもちゃ。おもちゃ。




 ◆◇◆




 気付いたらクリスマス・イヴを迎えていた。


「知らなかった……サンタクロースんトコって……ブラックだったんだな」


 ぐったりと何も流れて来ない止まっているレーンにもたれてどれいがぼやく。うむ、見事にデスマーチであったな。昼夜問わず休みなく働き通しとは思わなんだ。


「電車の音聞こえたぜ……」

「ハイハイお疲れ様! そりに詰め込む作業は小人さんたちがやってくれているから、本番までちょっと時間空くしサンタクロースに会いにいく?」

「行く!!」


 シャキッと元気になったどれいにカレンデ嬢が笑って、じゃあついてきてと歩き出した。我輩は眠りたいし腹も減ったのだが。まあ仕方あるまい、と諦めて歩き出す。小人たちがいなくなった工場内はがらんとしていて何処か寂しく、明るいクリスマスソングがかかっているのがより一層寂寞感を漂わせている。


「いつもこんなに忙しいのか?」

「まさか。クリスマス一週間前からはデスマーチ状態だけど、普段はそうでもないわよ。おもちゃ会社やゲーム会社の運営に適度に奔走してるって感じ」

「へぇ、ここじゃサンタクロースがおもちゃ会社やってるのか」

「? 当たり前じゃない。何言ってるの? ──それはともかくさあ、昨今の需要変動の激しさは洒落んならないわよホント。新しいおもちゃやゲームを出しても一週間後には飽きられてるなんてザラだしさあ」


 カレンデ嬢は子どもたちの〝サンタさんへの願い事〟を取りまとめる仕事──つまりは需要調査を行っているそうだが、二十年前のデータと比べて昨今の娯楽消費度は激しいらしく、クリスマス直前になって〝サンタさんへの願い事〟を変更する子どもが億単位でいるとぼやいていた。


「運営もあるからおもちゃやゲームを出す頻度を減らす、ってのもできないし」

「運営……」

「人口が増えすぎたのよね。今世界中に子どもは二十一億人いるの。そのうち〝サンタさんへの願い事〟に悪意を込めていない子どもは十億人。そこからさらに即物的でない願いを除去して、五億人」


 悪意、というのは要するに〝嫌いなアイツを消して〟だの〝学校で一番偉くなりたい〟だの〝銃が欲しい〟だのといった願いらしい。即物的でない、というのも〝力が欲しい〟〝妹が欲しい〟〝頭がよくなりたい〟など、明確な指定のないぼんやりとした願いを指す。そういった願い事にはプレゼントを贈らず、クリスマスカードにサンタクロースからのひとことを添えるだけで済ませるそうだ。


「クロース! 臨時バイトさん四人連れてきたわ。挨拶だけでもしてあげてちょうだい」

「ポイント432.21は412人0.04秒で通過──いかん、これだとタイムロスが大きすぎる。ポイント234.32を先に……おお、こんな北の大地までわざわざ来てくれたバイトくんたちだね。はじめまして、わしはサンタ=クロース! どうぞよろしく!」


 工場の奥の奥、事務室らしき個室にて大量の書類と地図に囲まれながら、ひとりの老人が陽気に手を上げて来た。真っ白で豊かな髭を幾つものカーラーに巻き付けて固定していて、でっぷりと肥えて縦にも横にも巨大で──おそらく二メートルはゆうに超えている。クリームパンのような指を忙しなく動かして紙をめくりながら、穏やかで柔和な眼差しを我輩たちに向けているその老人に、どれいが興奮しながら写真を撮ってもいいかと詰め寄った。


「……今、四百人にウン秒とか呟いていたように思うが、まさか一晩で五億人に配るのか?」

「そりゃね。クリスマス・イヴからクリスマスにかけての深夜帯が本番よ。今夜午後十一時にここを発って、午前三時までに配達を終わらせるの」


 つまり四時間。四時間で、五億人に。

 四時間。つまり14400秒。その間に五億人。ひとりにかけられる時間は0.0000288秒。先ほど確か412人に0.04秒──なるほど、とんでもないタイムロスだ。

 待て。世界はどれだけ広いのだ?


「全行程約二億キロね」

「二億キロを、四時間で」


 最遅でも秒速13888キロ。

 年に一度、よい子にしていた子どもたちがサンタクロースにプレゼントを貰える日──そんな夢いっぱいの御伽噺が崩れ去った瞬間であった。いや、ひたすら詰め作業していた時から〝妖精とは?〟となっておったが。


「百年前に比べると世界の人口が五十億人以上増えておってなあ……わし大変」

「需要変動もそうだけど、近年じゃサンタクロース排除論なんてのも出ててね……妖精が人間社会を壊そうとしているなんてデマが流れてるのよ」


 変わりゆく社会に合わせて妖精が適応すべく立ち上げたいくつかの会社──それらを快く思わない人間が多いのだという。サンタクロースへの絶対的な信頼と安心感からくる会社への信頼度の高さで、設立五十周年となる今に至るまで赤字を出したことがない独走状態であった。それを〝妖精が人間から金を巻き上げて、クリスマスなんていう子ども騙しでさらに信者を増やして世界を支配しようとしている〟という考えが生まれた──成程、どの世界に行ってもそのあたりは変わらんなあ。


「ほっほ……だがその分、わしらに感謝する者も多い。なるべく多くの子どもたちに、なるべく平等に、なるべく幸福を運ぶ──わしらはそのためだけにある存在じゃよ」


 年に一度、子どもたちからもたらされる幸福エネルギー。それこそがサンタクロースたち妖精の糧なのだそうだ。貧しい家庭の子であればあるほど、複雑な家庭境遇の子であればあるほど〝幸福になりたい〟概念的な願いが増える傾向にあるため、そこを汲んで役立てるものをプレゼントしたいと願う妖精と、子どもたちの平等性が失われるのと環境の整備は人間たちが行うべきことから即物的なプレゼントに絞るべきだという人間でここでもしばしば対立が起きるともカレンデ嬢が教えてくれた。


「サンタにも色々あるんだな……」

「私も就職するまでサンタは木ぞりに乗って、トナカイに引いてもらってのんびりプレゼント配ってるんだって思ってたわ」


 サンタの()()を見たらアンタ、ショック受けるわよ──そう言ってカレンデ嬢がどれいに意地悪そうな微笑みを向ける。……この数日、カレンデ嬢とどれいが会話する風景を何度か見たが、随分仲良くなったものであるなあ。魂の片割れゆえ、相性はいいのかもしれんが。

 ふと、カレンデ嬢と初めて会った時に見せたあの嫌そうな顔を思い出す。

 そういえば、我輩には極力近付かないようにしていた気がする。どれいやドレーミアには比較的よく話しかけていて、館長には色々振り回されながらがなっていて……我輩には、事務的な会話を済ませたら切り上げるよう努めていた、ように思う。

 何故だ、と考えようとすると心臓が嫌な音を立てて脈打つ。

 レン。

 レン。我輩の、最愛の妻。

 ──レン。


「さて、カレンデもいなくなったことだし──そろそろ聞こうかのう? 〝魔女〟」


 気付けば、カレンデ嬢とどれいがいなくなっていた。サンタのそりとやらを見に行ったのだろう──ふたりのいなくなった事務室で、サンタがふくよかな体を椅子の背に預けながら柔和な眼差しでこちらを、館長を見据える。


「いんやあ、別に何かをしに来たってワケじゃあないんだが。しいて言うならプレゼント欲しいが。まあ安心しろ、()()()()()()

「それはありがたいのぉ。妖精族がここに住み着いて数百年……何事もなく平穏な世界であったが、いよいよ〝邪悪〟が目覚めたかと思うたわい」


 まあ、悪鬼そのものであるしな。


「ワタシほど清き正しき美少女はいないというに……」

「ほっほ、笑えるジョークじゃのう」

「いやジョークでなく……」

「さて、プレゼントが欲しいと言うておったが……何か欲しいものがあるかのう?」


 そう言ってサンタがきらきらと輝く瞳を我輩たちに向ける。館長の何処までも読めぬ、不気味で身が竦む眼差しとは対照的で──心の内が知らず知らず解き放たれていくような、清々しささえも覚える透明感に喉の奥から勝手に言葉が零れ落ちそうになる。なって、堪える。堪えろ。


「おいしいごはんちょうだい」

「いい子だから明日の夜までお待ち。しーっ、じゃよ」


 ……空気を読まない館長に救われたな。口を突いて出そうだった願いが喉の奥に引っ込んでいくのを感じて安堵しながら、軽くサンタをねめつける。


「……即物的な願いしか叶えられんのだろう?」

「まあ、そうなんじゃがのう。すまなんだ」


 言ったところでこのサンタにはどうにもできない。

 館長にだってどうにもできないのだ。

 我輩の願い? そんなの決まっている。


 レンに会いたい。


 ただ、それだけだ。

 館長にはっきり願ったことはないが、それでも無理なのはわかる。我輩が百万回の人生をかけて探しても見つからなかったのだ──既にその魂は亡きものになっていると考えるべきだ。次なる人生に転生しない理由はわからないが、もしかしたら弾かれて我輩と同じように枠外者となり、けれど我輩のように図書館に堕ちることなく消滅したかもしれないのだ。


 死んだ人間は蘇らない。


 生き返らせてくれと懇願するどれいを切り捨てた館長の言葉は、未だに色濃く脳裏に残っている。

 ……我輩としては、弾かれたせいで消滅してしまったから次なる人生に行けなかった──方が、幾分か──安心する。

 我輩が嫌われたわけではないと、安心できる。ふん、自己中な考え方であるな。

 ……だがその仮説も、カレンデ嬢に出会ってから怪しくなっている。あの我輩に対する不自然な態度。アレは一体、何なのか。


「わたくし、疾い車が欲しいですわ。テンペスタースもバイクもいいですけれど、今度は車も走らせてみたいのです」

「このスピード狂いが……」

「サーキット作るのワタシだぞ、おい? 安全に気を遣うの結構大変なんだからな?」

「かんちょぉおおおぉぉ!! サンタのそりが!! サンタのそりが!!」

「うるさっ! 気持ちはわかるけどっ」


 事務室の奥から何やらとてもつない衝撃を受けたような顔で戦慄(わなな)いているどれいと、それを見てけらけら笑っているカレンデ嬢が戻ってきた。

 その瞬間ふわりと脳裏に浮かんだ〝欲しいもの〟──それを、我輩は口にしていた。


「レンの写真が欲しい」


 言ってから慌てて口を噤んだが、遅かった。


「ふむ、奥方かね?」

「……うむ。我輩の記憶にある……最後の、レンの笑顔」


 レンのいない百万回の人生を歩む直前の、レンと歩んだ最後の人生。

 平穏で幸せな人生であった。この代のレンは体が弱かったから働きには出ず家にいてもらっていて、我輩は家から近い図書館に仕事を貰った。この世界では病気に対する危機感も薄く、どうせ次の人生があるからと苦しむ道を選ばず安楽死を望むのが普通であった。だがそこまでするほどのものではなかったので、我輩もレンも穏やかな生活を送った。館長たちとの渡界の旅のような心躍るものはないが、とても平和で幸福感に満ちた生活であった。


「……あの人、奥さんいたの?」

「ん、ああ。亡くなっちまったんだけど」

「ふぅん……」


 内緒話のつもりなのだろうが、聞こえておる。我輩の地獄耳舐めるでない。


「ほっほ、明日の朝を楽しみにの。ほれカレンデ、出発までまだ時間がある。彼らにお茶でも出しておやり」

「はぁい」


 それからカレンデ嬢に案内されて、食堂らしき開けた場所で他の人間バイトと一緒にココアを啜ってほっとひと息入れながら談笑すること、一時間。

 やはり我輩との会話を避けるカレンデ嬢に内心複雑な心境に陥りつつ、そろそろ出発の準備だからと急き立てられるように外に追い出された。始めてここに来た日と変わらぬ極寒の夜に防寒着を震わせながら、何もない雪原を呆然と眺める。

 背後には木造の一軒家。前に広がるは雪原。一体何処からサンタのそりが、と思った矢先に軽い地震が起き──違う。地鳴りだ。ゴウンゴウンと轟音を立てながら地面が震え、雪原の一部がくり抜かれたようにぽっかりと穴を作った。と、思えば今度は穴の底から何かが()()上がってきた。


「サンタクロースがランボルギーニとか」


 鈍いワインレッド色に煌めく高級スポーツカーに、鼻先を赤く煌めかせている巨大な鹿──確かクリストファー、それと真っ黒なサングラスを身に付け、真っ赤な服と赤いとんがり帽子で飾り立てたサンタが下から現れた。いつ出て来たのか、小人たちも我輩たちの周りに集まってわにゃわにゃと騒がしく手を振っている。


「ほっほ、木そりなんて乗って秒速一万キロ以上出してたらバラバラになるわい」

「ランボルギーニだって耐えられねえよ」


 どれいのツッコミをよそにサンタはスポーツカーに乗り込み、クリストファーもランボルギーニに接続されているモミの木色のコンテナに移動して頸環(くびわ)を小人たちが取り付けた。昔は木ぞり、つまり輓具(ばんぐ)をクリストファーが引きサンタが調整する形だったが疾くなりすぎた今となってはサンタが引き、クリストファーが調整するのだという。


「さて、三十秒前だ。行くぞ、クリストファー」


 ブルン、とクリストファーが頷いて蹄を鳴らす。

 と同時に、視界が爆ぜた。

 爆風とともに雪が巻き上がって純白の大津波となり、それに呑み込まれながら爆風で吹っ飛んでいく小人たちを眺めて──我輩は思った。

 外に出てから何故か、カレンデ嬢がずっと我輩の後ろにいた。

 そういうことか。

 ふざけるでない。




 【夢現(ゆめうつつ)




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