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自分図書館  作者: 椿 冬華
第三幕 「我輩」の章
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【ルルディ・ラムのムサカ】


 レンの声が薄れている。

 いつからだ? 明確に自覚したのは〝成長〟を思い出した瞬間だが、そういえば最近はレンの声を聞く頻度が下がったかもしれない。何故気付かなかった?

 レン。レン。

 我輩が館長たちとの生活にかまけているからこうなったのか? 我輩にはレンだけであったはずなのに、そこに館長たちも入れてしまったからなのか? 館長たちを〝我輩〟のひとり、我輩と魂を同じくするこの世で最も身近な他人以上に──……


 ……〝家族〟めいた感情で、見るようになったからか?


 そう。

 館長に、どれいに、ドレーミア。

 我輩と魂を同じくし、同一であるが一致ではない〝我輩〟たち。だがいつの間にか、そばにいて当然の存在になっていた。着ぐるみの世界ではどれいとドレーミアを絶対に死なせるわけにはいかないと思ったし、館長を泣かせてはならないと心の底から想った。

 ──だから、レンが遠ざかってしまったのか?

 レン。レン。

 我輩の、最愛の妻。


 行かないでくれ。


 しんしんと降り注ぐ雪が、羽毛を凍らせていく。


「ドレイクさん、風邪ひくぞ。〝僕〟も呼んでる」

「チャむー」

「ほら、寒いから入ろうって」


 ばさばさと、幼く小さい翼が我輩の翼に降り積もった雪を払う。

 あれから四日。〝我輩〟は三日目にして見事親元へ帰り着き、そのまま家族旅行と称して温泉地へ赴くことになった。何気に〝我輩〟を見守っていたことがバレていたようで、我輩たちも誘われて着いていくことになったのだが、我輩はとても楽しめる気分ではなかった。

 あれから何度かレンに呼びかけたが、返ってくるレンの声はやはり薄かった。




 ──ドレイク……。




 レン。

 我輩の、最愛の妻。


「ルルディ・ラムのムサカでキタ。来ルがイイ」

「あ、はい! ドレイクさん、ほら」


 どれいに促されて、〝我輩〟にもばさばさと翼ではたかれて追い立てられるように木のうろへ入る。

 ここは樹洞が縦横無尽に細長く伸びていて、そのいくつかに水が溜まり、樹熱に温められて温泉になっている。憩いの場として人気が高く、家族連れのハーピィが多い。


「ムサカ、食べナガラ湯浴ミいイ」


 〝我輩〟の父親がそう言いながら大きな葉っぱに盛りつけられたムサカ、とかいうグラタンのような料理を渡してきた。ドレーミアが笑顔で受け取り、我輩を誘って樹洞の奥へ向かう。そんな気分ではなかったが、とりあえずドレーミアの後を追う。樹洞に幾つもある温泉のひとつを借りたらしく、向かった先には誰もいなかった。むわりと湿気が籠り視界が曇る中、ドレーミアに促されるまま温泉に肢を浸す。ハーピィである我輩たちは肩まで湯につかるようなことはせず、翼や羽毛に湯を浴びせて震わせる。だがそれをやる気にもなれず、ぼんやりと湯に浸した肢を見下ろす。


「ドレイクさま、ムサカを食べましょう。こちら、オリーブの実とラム肉、クリームで作ったキッシュのようですわね」


 そう言われて葉っぱの皿を口元に近付けられる。要らない、と言おうとしたがドレーミアの笑顔と目が合って、口を噤む。ドレーミアはいつも通り微笑んでいたが、目が笑っていない。

 しぶしぶ口を寄せてムサカとやらを啄む。キッシュとはいっても手先が器用でないハーピィが作るものであるから、すり潰して練って団子にして平べったく潰したような、要はクッキーに近い味わいであった。しかしラム肉が香草か何かで味付けされているのか絶妙に辛く、美味かった。ラム肉と一緒に練られた食材には芋もあるのか食べ応えがあって実に美味い。残念ながら冷めてしまっていたが、焼きたてであれば絶品であろう。


「しっかり栄養を付けてくださいませね。今夜はこちらに宿を取っておりますから、ゆっくり羽を伸ばして今夜に供えてくださいませね」

「……今夜?」


 ふ、と風が吹いた──かと思った次の刹那には、ドレーミアに押し倒されていた。ばしゃりと翼が湯を打って水飛沫が上がる。我輩を押し倒したドレーミアは妖しく舌なめずりしていて、そういえば四日もドレーミアを抱いていないことを思い出す。


「ああ、すまん──」

「精気補給ではございませんわよ? それならゆうべ、どれいさまと館長さまからたっぷり搾り取りましたから」


 ですから今夜はわたくしがドレイクさまを愉しませて差し上げます──そう言って、ドレーミアはころころと鈴の音が鳴るような笑い声を上げた。

 どれいと館長から絞ったって。そういえば今朝のどれいと館長、妙にやつれていた気がする。


「〝わたくし〟の御母堂に伺ったのですけれど、ハルピュイア族の交尾は卵生でこそあれ人間と変わらないようでしたわ。旦那さまを普段どう可愛がっているか色々お聞きしましたので、実践して差し上げますわね」

「お、おいドレーミア」


 口を塞がれた。ちゅるりと舌先を吸われて、ぞくりと悦びが背筋を駆け巡る。


「わたくしでは奥さまの代わりにはなれません。〝わたくし〟ですし、それ以前にドレイクさまの愛情は最初から最後までずっと、奥さまに注がれておりますもの」


 けれど、とドレーミアが唇を離して我輩と目線を合わせる。ひどく切ない、寂しげな眼差しだった。


「──けれど、わたくし、これでも自負しておりましたの。〝わたくし〟の中で最もドレイクさまに近いのはわたくしだ、と。同性であるどれいさまの方が話しやすいとか、主であり魔女であらせられる館長さまの方が相談しやすいとか、あるかもしれませんけれど。でも、それでも……わたくしは、ドレイクさまに一番近いと……思っているのです」

「……──ドレーミア」

「愚痴でも、弱音でも、何でもいいのです。お願いですから、ひとりで抱え込まないでくださいませ。ドレイクさま、わたくしの時はあんなに親身になってくださったではありませんか。わたくしにもどうか同じことをさせてください。ドレイクさまの、支えにならせてください」

「……ドレーミア」


 ほとんど吐息にしかならなかった我輩の声ごと、ドレーミアがまた口付けて来た。ふわりとドレーミアの翼が我輩を世界から覆い隠すように繭を作り、世界に我輩とドレーミアしかいなくなる。

 そのまま溺れるように、ドレーミアの為すがままとなった。




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