第七自我 【迷宮で彷徨う自我】
第七自我 【迷宮で彷徨う自我】
一九三〇年、ドイツのアーヘン大聖堂に巨大な地下迷宮が存在することが判明した。一九三三年にはカナダのランス・オ・メドー国定史跡に正体不明の大湿原へ通じる穴が発見された。一九五四年にはポーランドのクラクフ歴史地区に存在しない街の存在が確認された。その後も立て続けに九つの迷宮が次々と発見され──それらはとうとう、一九七八年に〝世界遺産〟として登録された。
それ以降も次々と迷宮が見つかり、ユネスコ機関により順次世界遺産認定が下されている。そうして二〇二二年現在では千を超える世界遺産が記録されている。この世界遺産に秘められる迷宮の規模や形式は様々であるが例外なく外観に釣り合わない広大さを誇り、数多の魔物やトラップで犇いている。だが同時に価値ある宝物も大量に転がっており、人々は富を求めて迷宮へ突入するようになった。
誰が何の目的で、どうやって作ったのか謎に包まれている迷宮──それに人々は今、魅入られていた。
そう、まさに世は大迷宮時代!!
「懐かしいなぁ~厳島神社」
別世界線ではあるが、どれいの故郷である日本の世界遺産、厳島神社の境内でどれいは感慨深げにため息を漏らした。
海上に建つ紅蓮の社殿に、〝朱丹の大鳥居〟と呼ばれる十六メートルほどもあるという巨大な鳥居がとても美しい場所であった。特に、何もない海上に佇むように聳え立っている大鳥居は、日本人どころか地球人ですらない我輩にも荘厳さと神聖さが窺えるほど神秘的で、美しい。
「あの大鳥居の先に迷宮があんのか」
「そうみたいだな。平清盛によって迷宮が構築されたと言われているようだ」
タイラノキヨモリ、というのは千年前の日本で幅を利かせた武家だそうだが、どれいに詳細を聞いても口を真一文字に結ばれてしまった。
「日本史苦手なんだよ」
「平清盛は小学校社会レベルだろ? 知らんけど」
「それよりも館長さま、どうやって迷宮に行くのですか?」
「受付がある。原則迷宮の出入りは世界遺産委員会によって管理されてて、各々の迷宮クラスに応じたランクの資格を持ってないと入れない」
世界中に点在する世界遺産迷宮は魔物の強さやマップの広さなどからクラスが定められている。いわゆる格付けだが、クラスが高ければ高いほど難易度も死亡率も跳ね上がるため、安易に人が立ち入れぬよう世界遺産委員会によって管理されているのだそうだ。
迷宮に入りたいと望む場合、まず世界遺産委員会によって運営される迷宮ギルドに入らなければならない。そこにも格付けがあり、実績や試験などを通してメンバーのランクが設定される。初心者であるGランクはGクラスの迷宮にしか入れない、DランクはDクラスまでの迷宮にしか入れない、ただしDランク三人以上のグループであればCクラスの迷宮に挑戦できる、しかし未成年しかいない場合はたとえグループでもワンクラス上の迷宮には入れない、等々。
ちなみに世界遺産迷宮は最低でもDクラスであるらしい。Dよりも低いE、F、Gクラスは世界遺産として登録されるには至らない国指定の文化遺産、自然遺産として各国が管理しているそうだ。
「ここ厳島神社の迷宮、〝朱丹の迷宮〟はBクラスに指定されている。入れるのはBランクの冒険者か、Cランクの冒険者三人以上だな」
「Bクラスって具体的にどんくらいなんだ?」
「死亡率50%ってとこか」
「めちゃくちゃやべえ」
やべえと言いつつもどれいの顔に臆する様子がないのはひとえに、館長の存在ゆえんであろうな。これであの時のように館長不在となれば大人しくそこらのカフェで待っていたところだ。
「迷宮入宮の目的は?」
「深層部攻略」
「四名様ですね。ギルドカードのご確認をさせていただきます」
海上に出っ張っている朱色の社殿で迷宮に入る冒険者の受付が行われていて、館長がてきぱきと手続きを進めていく。当然のことながら、偽造ギルドカードである。どうやらカードを読み取ってコンピューターによる個人情報照合と管理を行っているようだが、館長である。そこに抜かりがあるわけがない。
「はい、確認できました。Bランク〝魔女〟・Bランク〝カメラ小僧〟・Bランク〝微笑む煉獄〟・Bランク〝慈己愛〟、四名様でございますね」
どれいが無言で館長を小突いた。
後で聞いたところによれば、Bランク以上の冒険者には二つ名が世界遺産委員会により制定され、知名度も上がるらしい。館長が時空に干渉して世界線に我輩たちの存在を組み込み、〝もしも我輩たちが冒険者として活躍していたならば〟という世界線を作ったようだ。相変わらず理不尽なのは言うまでもないとして、そんなことしていいのかと問えば返ってきた答えはこうであった。
「ドラえもんのもしもボックスも大概だしヘーキヘーキ」
意味が分からなかった。
◆◇◆
〝朱丹の迷宮〟への入口である大鳥居へは世界遺産委員会がボートで送迎してくれるようで、我輩たちはさざ波に揺られ、潮風の香りを胸いっぱい吸い込みながら穏やかな海を進んでいた。
「間近で見ると圧倒であるな、本当に」
「ええ。どれいさまが〝カメラ小僧〟になってしまわれるのも頷けるほど、雄大にございますね」
「やめてくださいその二つ名」
どれいが不満を投げつけてくる。カメラのシャッターを切りながら。
「注意事項はお聞きしたかと思いますが、再度申し上げます。我々が救護に行けるのは五階層までです。それ以上は救護要請を出されても向かえませんので、ご注意ください」
「ノー問題ノー問題」
「油断すんなよ館長。ドジって僕ら死んだら泣くのお前なんだか──うわごめん、泣くな泣くな! 死なねえよ僕らは絶対死なねえから!」
我輩たちと逸れた時のことを思い出してしまったか、涙目になってしまった館長をどれいがあやす中、ボートが静かに大鳥居を潜り抜けていく。
とぷりと、水に沈む感覚が体を包む。と、同時に世界が一変した。
静かな海上に佇む大鳥居の向こう側には何層もの大海原と数百、数千もの朱丹の鳥居で構築された幻想的な空間が広がっていた。
果てしなく広がる大海原にはまばらに朱丹の鳥居が立っていて、頭上にも大海原の水面が広がっていて、同じように朱丹の鳥居がまばらに立っている。そのさらに上にも同じような水面の層があって、そのさらに上にも──といった風に水面が階層状に連なっているのだ。
「水上歩行できる場所とできない場所があるので気をつけてくださいね」
深淵のような底知れなさが底に広がる綺麗すぎるほどに綺麗な海の、水面に足をつける。ちゃぷりと水面が揺れこそすれど沈むことはない。なんとも、不思議な空間だ。
送迎人が大鳥居の向こう側に戻っていくのを見届けてから、これからどうするのかと館長に問えば食糧集めがてら〝ワタシ〟を探そうと返ってきた。
「Aランク冒険者〝緋色〟は~っと、六階層にいるな」
この世界における〝我輩〟はそのような二つ名をつけられ、冒険者の間ではちょっとした有名人なのだそうだ。ちなみに最高ランクはSSランクだそうだが、そこまで行くと国家お抱えとなるらしい。
「さ~て、楽しい迷宮探索の前に、武器を渡しておこう」
「武器?」
「もしもお前らがこの世界に生きていたらどうなっていたか、のシミュレーションでそれぞれに合う武器を入手しておいた。モンスターも多いからな、励めよ!」
そう言われて館長から手渡されたのはひと振りの刀であった。研ぎ澄まされ、鏡のように我輩の顔を映し出す美しい太刀だ。刀身は反っていて、片刃だ。館長が持ち込んできた武器図鑑で目にしたことがある──日本刀、というものだ。どれいの故郷において使用されていた刀。
切れ味は鋭そうだが、横からの衝撃に弱そうにも見える。切り方を誤れば折れてしまいそうだ。
「まあ、なんですの? これ」
「対戦車用四四四式重機関銃」
ドレーミアは銃身が身の丈ほどもある、それどころか重さも体重とそう変わらないか、最悪体重よりも重いであろう機関銃を手渡されていた。いや、人体で撃てるものでなかろうアレは。何かに固定して使うものではないのか?
「ドレーミアなら大丈夫☆ コレ笑顔でぶっ放す美人とか見たくない?」
「見たいけど、それより僕の武器何なんだよコレ」
どれいの武器は黄金のハリセンであった。加えて、カメラにも強力な閃光弾を追加してあるらしい。むしろカメラの方がメインウエポン。成程、さすがは〝カメラ小僧〟である。
「よーし元気よく行くぞ~!!」
館長の楽し気な声とともに始まった迷宮探索が我輩たちの思っている以上に過酷なものになることを、この時はまだ知らなかった。
◆◇◆
銃身が爆音を轟かせながら煌めいて、ドレーミアのポニーテールが反動で空に舞う。ドレーミアは微笑みを顔に貼り付けたまま一歩たりとて後退しなかった。
まさに〝微笑む煉獄〟であるな。
「やっと倒れた! どんだけ硬いんだあの鬼!」
「この階層のボス格のようである。周りから鬼の気配が消えた」
四階層、畳の迷宮。
〝朱丹の迷宮〟は何十層もの水面と何千もの鳥居から形成されているが、鳥居の先にもまた別の迷宮が広がっている異次元迷宮であった。分岐点の絶えない果てしない石段に繋がったり、鳥居さえ覆い隠すほどに鬱蒼と生い茂る森林に繋がったり、今回のようにふすまと畳が延々と続く終わりなき回廊に繋がったりと様々であった。
上の階層へ上がるには正解の鳥居を見つける必要があり、現時点において世界遺産委員会が把握しているのは十階層までらしい。ただし、モンスターの強さやトラップの難易度を省みて救護は五階層までとしているようだ。
「この重機関銃、とても素敵ですわね。気分爽快ですわ──少々、体に響きますけれど」
「いや響くってか普通体砕けますって」
「体幹は鍛えてありますので」
「そういう問題なんですかね……」
と、どれいがぼやいた瞬間畳が反転して高速回転するノコギリが現れ、どれい目掛けて跳ねあがってきた。即座にどれいの首根っこを掴んで引き寄せながら太刀を畳の根元に振り下ろす。カチンッと硬質な音がしてバネが壊れ、ノコギリが戻っていく。
「容赦なく殺しにくるなあ……そういや、平清盛も傲慢で残忍とか言われてたっけか」
「そもそもどうやってこの空間を作り上げておるのだ? 正直、現代の街並みや交通インフラを見ておってもとてもこんな技術があるとは思えんのだが」
「〝古代数秘術〟と呼ばれるものが昔はあったと言われているな。セフィロトの樹っていうのがあって、そこには様々な力や現象、感情を司る天使と悪魔がいるとされている。今はもう失われた力だな」
どれいの故郷には存在しない、この世界線界隈の地球系列平行世界にしかない力だそうだ。同じ世界、同じ地球、同じ国でも世界線が変われば全く別の未知なる概念が存在する。つくづく、面白いものであるな。
我輩の世界もまた、同じように別の世界線で別の世界が構築されているのだろうな。
──そこにいる〝我輩〟と、〝レン〟は……どうしておるのだろうな。
──ドレイク。
大丈夫だ。
たとえ別の〝レン〟に出逢ったとしても、我輩にとってのレンはお前ただひとりだ。
「お、あったあった。アレが次の階層への鳥居だ」
果てしなく続くふすまと畳にそろそろうんざりしかけた頃に、畳に立つ鳥居を見つけて我輩たちは迷うことなく潜り抜ける。その先に広がるは、見慣れた水面。水面の下にはこれまでに通り抜けてきた四階層分の水面と鳥居が見える。
「ん~と……お、ちょうどいい。〝ワタシ〟が五階層に降りたようだ。急ぐぞ」
そう言いながらたったかたー、とばちゃばちゃ水面を散らして走り出す館長を追って果てしなく続く水平線の世界を駆ける。道中どれいが水に沈んで下の階層に落ちかけたが、ご愛敬。
まばらに立つ鳥居を通り過ぎて、〝正解ルート〟となる鳥居を潜り抜けた先には──巨大な立体迷宮が広がっていた。鳥居から伸びる一本道が空中に浮かぶ巨大な立方体に繋がっていて、その立方体は複雑な縦横無尽の迷路になっているようであった。重力はどうやら床に対して働いているようで、立体迷宮を彷徨っているモンスターが落ちる気配はない。
試しに、床から下を覗き込むように顔を少し出せば、床の面積部分からはみ出た顔が上に引っ張られているような感覚があった。成程、床から足を踏み外せば一巻の終わり、というわけであるな。ちなみに床の下には青空が広がっているだけで、この立体迷宮以外には何も見えない。
「落ちるなよ、どれい」
「…………」
館長は例外として、この中で一番運動神経がないことを自覚しているどれいが頬を引き攣らせる。
「モンスターとの戦いにも気を付けなければなりませんわね……〝わたくし〟はどちらにいらっしゃるのでしょう?」
「ん~、あそこの中央部らへんにいるっぽいな。行こう」
幸い、道幅には余裕があったため中央部分をなぞるように歩きながら進むことになった。先頭はドレーミアで、どれいと館長を挟んで後尾に我輩。この中で最も攻撃力が高く、かつ味方を巻き込みかねない武力を誇るドレーミアに先陣を切ってもらう形で、周囲の警戒は基本的に我輩が行っておる。館長はわざと何も言わんし、どれいは役に立たんし。
「一般人だからな僕は!! てかドレイクさん、何でそんなに強いんだ? 軍人とかやってたのか?」
「狩人だった時代もあれば、軍人として戦に出ていた時代もある」
「波乱万丈なんだな」
──どれいが思っているような時代ではなく、文字通り〝時代〟なのだがな。まあその話はいずれ余裕がある時にでも話すとして、早速モンスターのお出ましである。
「うげ!! 二又の蛇!! ──と、いうことはこの階層のボスは八岐大蛇か?」
「ぶっ放しますわ」
前方から忍び寄るようにして現れた身の丈十メートルほどもある二又の大蛇に、けれどドレーミアは怯みもせず笑顔で重機関銃をぶっ放す。耳に優しくない爆音で空気が震え、びりびりと指先が痺れを覚える。
「!! 上である!!」
立体迷宮から一匹の、たった今ドレーミアが掃討してみせた大蛇よりもはるかに大きく、おぞましい見た目の大蛇が跳躍してきた。我輩たちは今、まだ鳥居から伸びる一本道を辿っているだけで宙に浮かぶ立体迷宮には入り込んでいない。だがこの蛇はいち早く我輩たちの存在を気取り、重力の向きが一定でなく非常に不安定なこの空間を巧みに利用して空を飛び舞い滑るようにこちらに着陸してみえた。
「マジで八岐大蛇だった!!」
「蛇というか──もはや龍ですわね」
八又に分かれた蛇──ひと言で括るならばこうなるモンスターである。だがしかし、ひと言で済ませていいモンスターではない。ドレーミアが言った通り、八又に分かれた頭部のひとつひとつは蛇というよりワニ、鬼、虎──龍に近い。
「フレー! フレー! み・ん・な!! がんばれ! がんばれ! み・ん・な!!」
館長が丸っきり他人事な調子で声援を送ってきているが、まあ館長がこう言うということはイコール、我輩たちが死ぬことは絶対にない、だ。
「その点、安心して戦えるのですけれど……どう対処いたしましょうか?」
「とりあえずどれい、シバいて混乱させてこい」
どれいのカメラが放つ閃光弾には一時の目くらまし効果、黄金のハリセンには一定時間の混乱効果がある。だからどれいに先陣を切ってもらってヤマタノオロチ、とやらの動きを封じてからドレーミアに重機関銃をぶっ放してもらう。轟音を立てて削れ堕ちていく鱗に、しかしヤマタノオロチの体が削れる気配はない。肉体が削れる前に混乱効果が解けそうであったのでドレーミアに一旦下がってもらい、太刀を脆くなった首目掛けて振り抜いた。
「斬れた!」
「この調子で残りの首も斬り落とせば倒せそうですわね」
「いや、八岐大蛇は八本同時に落とさにゃあならんのよ」
一閃。
あまりにも一瞬のことで、何が起こったのか理解するのに十数秒ほどの時間を要した。我輩の声がして、我輩がいつ声を上げたか考える前に八岐大蛇の首が全て吹き飛んで、驚く暇もなく八岐大蛇の体が血飛沫を上げながら爆ぜて、降り注ぐ血の雨に呆然とする余裕もなくそこに我輩が降り立った。
真っ赤に染まった我輩だっ──違う、〝我輩〟だ。
「よう、お前さんたちオレの生き別れの兄弟か何かかい?」
足の爪先から頭のてっぺんまで緋色に染まった、緋色ずくめの男。Aランク冒険者として名を馳せている緋色の中の緋色、〝緋色〟!!
彼の人は牢記する。
緋色の歴史に潜むは緋色の記憶。
緋色の記憶を紐解くは緋色の覚悟。
緋色の覚悟を打ち饐えるは緋色に嗤う悪魔。
「考古学者?」
「おうよ。オレぁ文化遺産、自然遺産と迷宮の歴史的背景を調べてんの。で」
無造作に伸びた緋色の髪をおざなりに流し、これまた緋色の鎧で身を纏っている〝我輩〟は名を緋錆奴礼と言った。旧帝大学史学部日本考古学専攻の助教授であるらしい。
〝我輩〟──奴礼が拠点にしているキャンプへ向かい、腰を下ろした我輩たちに奴礼はオニオンスープを馳走してくれた。
「いやァマジで生き別れの兄弟って可能性はないワケ? オレおめーらにビンビン血の繋がり感じるんだけど」
「まあ……〝僕〟だし」
「〝わたくし〟ですものねぇ。ですが残念ながら、血は繋がっておりませんわよ」
「ふ~ん、こんなカワイイ妹がいたらオレちょー嬉しいんだけどなァ」
……おそらく、というか絶対奴礼の方がずっと年下であるがな。
「〝僕〟……奴礼さんは迷宮について調べてる、ってことは平清盛が何故迷宮を作ったのか調べてるってことですよね?」
「おうともよどれいクン! 平清盛って決まったワケじゃねえけどな。おめーさん、平清盛についてどこまで知ってるんだ?」
「え? えーっと……へ、平家物語! ありましたよね。え、えっと……あんまいい話は聞いてないッスね!」
……酷い誤魔化し方であるなあ。
「平家物語か。強大な武力と権力で全国の半分を支配し、威張り散らす邪悪な平家を止めるべく、後白河天皇の息子より勅命を受けた源頼朝が立ち上がる。兄・源頼朝と弟・源義経の快進撃により平家はめでたく滅亡! しかし弟・源義経もまた兄・源頼朝により滅ぼされる」
有難いことに、奴礼が簡単なあらすじを教えてくれた。どれいが冷や汗を流しながらそうそうそんな話、と頷いていたがあれは絶対知らなかったって顔だ。
「確かに平家物語じゃあ平清盛は傲慢な悪代官風に書かれてるなぁ~。でもなァどれいクン」
す、と奴礼の緋色に輝く目が細められる。
「──歴史ってのは紡がれていくモンじゃねぇんだぜ? 勝者が作っていくモンだ」
なんせ、〝正義は勝つ〟だからな──そう、奴礼の声が低く妖しく、艶やかに響く。
「〝悲劇のヒーロー〟扱いされている源義経。コイツが実は奇襲しか使わない、武人にあるまじき卑怯な人間って思われてたのは知ってるか?」
「え……いや」
「まあ普通に勉強してりゃそうは思わんわなぁ。弁慶の話といい、〝いいエピソード〟で揃えられているからなぁ」
〝平家物語〟という勝者のために紡がれた古文書では平家が悪く書かれているが、それ以外の説話集や古文書には平清盛が温厚で優しい性格をしていると書かれているのだそうだ。
「平清盛は源頼朝の父・源義朝に襲われ、撃破した際に当時まだ幼かった源頼朝を殺さず生かしたんだ。その結果将来的に対立し、平清盛は敗れるんだが……果たして源頼朝は、武士としての矜持も持たず恩さえも忘れ奇襲を仕掛けて平氏を滅ぼした弟・源義経を、どう思っただろうな?」
既に過ぎ去った遠い歴史である以上、正解を知ることは叶わない。だがしかしいくつもの文献を重ね合わせて見えてくるドラマを想像するのは楽しい──そう言って奴礼は笑った。この時ばかりは考古学者ではなく空想家となり、ありもしないドラマを思い浮かべて各々の心情に耽ると。
「親子だろうと兄弟だろうと恩人だろうと、政権や地位、財産が絡めば情を捨てる。歴史にはそんな戦いばかりだ。裏にどんなドラマがあったのか、少ない文献から推し測るしかできねぇから退屈しねぇや」
奴礼は歴史小説家でもあるらしく、そうやって空想した歴史ドラマを文に起こして世に出し、読者の反応を見てはまた空想するのだと語った。源義経の聖人性を信じてやまぬ読者からは怒りに満ちた反論の手紙が届くし、奴礼の小説を読んだ上で歴史書を読み、新たな発見をしたと教えてくれる読者もいるそうだ。
「だから歴史っておもしれぇのよ。マリー・アントワネットの〝パンがなければケーキを食べればいいじゃない〟然り、ナポレオンの〝余の辞書に不可能の文字はない〟然り、板垣退助の〝板垣死すとも自由は死せず〟然り──歴史ってのぁ、作られたモンの方が多いんだよ」
歴史は紐解かなければ、そこに〝人間〟が絡んでいるのだとわからない。紐解けば歴史上の偉人がただの人間であり、歴史はその人間を偉人に仕立て上げるための創作だとわかる。そして我々考古学者はその創作を創作とわかった上で重ね合わせ、順序立てて整合性をつけていく地味な仕事なのだと言って奴礼は大爆笑した。
「つまりはだ、オレは夢と空想と趣味に生きてるってワケよ! 考古学はオマケ、オ・マ・ケ」
「ぶっちゃけたな……〝僕〟」
「おうぶち撒けんで。どれいクンもよ~ンな過労死しそうな顔してねぇで好きに生きろや、好きに」
「ぐっ……」
ふむ、過労自殺した人間には結構来る台詞であろうなぁ。
「大丈夫だ大丈夫。コイツ〝カメラ小僧〟だから。趣味に生きてる趣味に」
「その二つ名やめろ」
「へえ! おめーが謎のカメラマンって評判のBランクか!」
生前はどうあれ、確かに今のどれいは〝好き〟を謳歌しておる。ドレーミアも以前の逼迫した様子が嘘のように晴れ晴れとした様子でファッションや料理、旅を楽しんでいる。
──では、我輩は?
──ドレイク。
〝好き〟に生きているという点ならば、我輩は好きに生きている人間そのものであろう。愛しい想いそのままに愛しみ、恋しい心そのままに想い耽る。
──考えてみればレンが我輩の前からいなくなってからずっと、レンと我輩──〝我輩〟のことしか考えていない気がする。
訪れる世界のシステムや科学技術の理屈、社会秩序の仕組みに人間模様の在り方について考察する時間はとても楽しいが、そういえば深みにハマるのを避けているかもしれない。
〝あなたったらまたお食事も忘れて!〟
──これは今聞こえた声じゃない。我輩の記憶に残るレンの声だ。ああ、そういえば我輩は研究職や教職に就くことが多かったな。
レン。
我輩の、最愛の妻。
──やはり我輩は、お前なしに〝好きに生きる〟ことなぞできそうにない。
【灑落】