【蛇の果実蒸し】
一ヶ月が経った。
幸い、住宅街の中にスーパーがあったおかげで食糧や水には困らなかった。生モノは軒並み腐っていたが、缶詰や米、レトルト食品などは何事もなく食べられた。この世界の言葉はどれいにもドレーミアにも、勿論我輩にもわからないが──地球系列平行世界とある程度技術は近いらしく、文字は読めずとも困ることはさほどなかった。
着ぐるみの襲撃も数日に一度の頻度であったが、習性を理解してしまえば撃退するのに苦労はしなかった。着ぐるみは肉塊で形成されているモンスターのようなもので、生物的な生態は一切持ち合わせていない。だが生物を見つければ詰める習性があった。そう、詰める。ネズミだろうが犬だろうが鳥だろうが魚だろうが、生きとし生けるものを感知したら捕らえてミンチにして、着ぐるみの中に詰める。肉のひと欠片、血の一滴さえ惜しいとばかりに、ぎゅうぎゅう詰めにするのだ。
おそらく──ここの人間はそうやっていなくなってしまったのだろう。
着ぐるみは熱と音で生物の位置を探っているらしいこともわかった。ので、断熱シートをありったけ拠点の床や壁に敷いた。火を使う料理は原則、遮熱性に優れた部屋──例えばシャワールームなどで行い、外に出る際には気温が高くなり誤魔化しやすい真っ昼間を狙った。
今のところ、我輩たち三人とも大きな怪我なく生き延びている。一番危機を感じたのは……チェーンソーを持ったヒヨコの着ぐるみに追われた時か。どれいがガソリンをぶち撒けて燃やさなければ、腕の一本や二本もげていたかもしれん。
「ドレイクыфьф、どれいыфьф! щынщлгяшпфвулшьфышефцфнщ」
「ოო,კყოუჰანანნდესუკა……ტტეკორენანნდა」
「руиштщлфяшегьгышвуыгцф」
夕食の支度ができたようで、ドレーミアが呼んできた。かすかだが肉を焼いたような香ばしい匂いに、果実と思しき甘い香りがする。
現在、我輩たちは町の中心部にほど近いビルの十階に住んでいる。一階、二階、三階部分には罠を張り巡らせて、隣のビルから乗り移る可能性のある四階にもバリケードを築き上げた。緊急用の脱出口が八階と十階にあり、万が一にはそこからビニールの滑り台を下ろして逃げることにしてある。そうでない限りは普通に一階から出入りして、罠の調子をチェックしつつ物資調達している。
「これは……何だ?」
十階の、おそらくはビジネスマン向けなのであろう軽食用のキッチンでドレーミアがこしらえてくれたのは、なんというか、随分野性的な料理だった。蛇が……皮を剥がれた蛇が、丸ごと……トマトのような果実の中に、詰まっておるのだ。
「лщешкфтщщкнщгкшцщыфшпуттышеуьшьфышеф」
そう言いながらドレーミアが差し出してきたのは料理の本で、今まさにドレーミアが作ってみせた料理と同じ写真が載っている。
ちなみに、この世界においては肉といえば蛇のようでスーパーの肉類コーナーには蛇肉が並んでいた。腐っていたが。
「だがうまそうな匂いではあるな……イタダキマス」
「いただきます」「イタダキマス」
どれいの故郷で一般的に使われる食前の挨拶。
我輩とドレーミアも倣って使うようになっていたが、当然のことながらこの世界においては通じなかった。だからどうせなら、と本場であるどれいの発音を覚えることにしたのだ。独特な発音だが、真に三人で揃っている気がして、悪くない。
──あとは、ここに館長さえいれば。
「ん、うまい」
蛇の果実蒸し、とでも言おうか。味付けした蛇肉を果物の器に入れて蒸す料理のようだが、うなぎのかば焼きをトマトでサンドして食べたような、そんな味わいだ。ちなみにこの蛇は今朝、我輩が外で捕まえたものなのであるが……さすがにスーパーに並ぶような食肉用のとは違うだろうが、それを抜きにしても結構うまい。
蛇の他にはおそらくカエルやカタツムリが食用になっていると思われる。スーパーに並んでいる缶詰の絵が、軒並みそうであったからな。ちなみにカエルはもう捕まえて食べたが、カタツムリはさすがに食べていない。ドレーミアもどれいも激しく嫌がっておったし、何よりカタツムリは寄生虫の巣窟だと我輩の知識にもあったゆえに。
手首に滴り落ちた果汁を舐め上げて、ふたつ目を口にする。うむ、うまい。
ここでの生活にも慣れた。正直ひと時も安心できないが、この調子ならば生き延びれると確信できる程度には自信がついた。風呂は数日に一回、水で体を清めるだけ。トイレは水道がどうにか機能していたために使えるが、トイレ中は無防備になってしまうため常に二人一組で。仮眠は二時間ごとに交代という方式で、ひとり四時間は連続で寝れるようにしてある。
言葉は通じないが、ジェスチャーとイラストを用いた筆談でどうにかやってこれている。〝我輩〟であるゆえに互いの考えていることは大雑把ながらも理解できるのも助かった。こういうサバイバルでは人間関係に亀裂が生じやすい──特に、男女入り乱れとなれば。しかし我輩たちは全員〝我輩〟である。だからそのあたりに心配がない。ドレーミアの吸精のために数日おきに抱くが、それも最低限に留めている。どれいもドレーミアが抱ければよかったのだが、どうしても勃たんそうだ。
「ьщгшешлфпуегефегтщвуыгту」
ふいにドレーミアが壁を見ながら言う。壁には過ごしてきた日数を刻む横線の羅列。今日で三十三日目──他の人間に出会う気配がなければ、館長が迎えに来る気配もない。
「лфттенщгыфьфрфвфшянщгигвуынщглф……」
「დოუსიტეირუნნდაროუნაა,კანნტყოუ」
「енфттещпщрфттцщефиуеушкгтщвуынщглф……」
「დოუსეპიიპიიოონაკისიტერუნნდაროუკედოსა」
言葉は通じないが、何を想っているかはわかる。
悪質で悪辣で悪意まみれで、何より理不尽な享楽主義者の〝魔女〟──だが、我輩たちはいつだって館長に守られていた。
海底だろうとお菓子の世界だろうと何だろうと我輩たちが安全に過ごせるよう細心の注意を払っておったし、危険が及ぶことがあってもそれは〝笑って流せる範囲内の〟悪戯的な危険に過ぎなかった。
我輩たちはいつだって、館長に守られていた。
図書館にいる時だってそうだ。我輩たちが館長の悪意に晒されて腹を下すことはあっても、死の危険が伴う伝染病などにかかることはなかった。食べ物だって我輩たちの体に合わせて安全に作り変えておったし、ゲテモノこそ我輩たちに食わせても致死毒は絶対に食べさせなかった。
ただ能天気に、享楽のまま思い思いに過ごしているように見えて──館長は誰よりも計算高く、理屈に理論を重ねて道理と条理を我輩たちに合わせた形にねじ曲げ、針の穴どころか分子ひとつひとつに糸を通す綿密な精度で我輩たちと図書館を守っている。
理不尽の対義語は、調和。