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自分図書館  作者: 椿 冬華
第三幕 「我輩」の章
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【プチシャルロット帽】


 図書館への帰還にあたって体を作り変える際、少しゆっくり行うよう館長に申請した。それを叶えてくれ、数分ほどかけてじっくりと体が変質していく過程を味わうことができた。

 改めずとも、館長の理不尽さがよくわかる。

 最初に感じたのは血潮が流れる感覚だった。クッキー生地の体が綻び塵となり、それが毛細血管となって人体の形を形成していく。次に、ごほっと息が喉から飛び出た。口ではない──喉だ。肺の形に血潮が滾ると同時に肺機能が動き出して、中途半端に形成されている気管から空気が零れたのだ。

 心臓はもう作られているようだが、鼓動していない。血潮が流れている感覚はあるが、そういえば熱さを感じない。次に、血管が作られた──成程、血潮を保護する血管を作らねば心臓を動かしても血液が飛散するだけである。そうこうしているうちに内臓が元通りの位置に収まり機能し始めて、口と鼻で呼吸ができるようになる。骨が形成されていた。

 脳はどうなっている、と思ったがもうあるようだ──クッキー生地の時、脳は一体どうなっていたんだ。それだけはわからなかった。館長に聞いてもお菓子の神秘としか答えてくれなかった。理屈が合わないのは好かんのだがな。

 と、筋肉と皮膚が形成されていってようやく元の我輩が形成された──ところで、図書館に帰り着いた。


「ひゃん!」「ハウッ!!」「ぴゃっ!!」


 ……何が起こったか、順を追って説明するなら。

 まず、つばが広い帽子を被ったまま帰還してしまったドレーミアが足をもつれさせて転んだ。その拍子にかかとがどれいの股間に直撃した。悶絶しながら崩れ落ちたどれいに圧し潰されて館長が床に伸びた。


「帽子はそのままか」

「え、ええ。そうみたいですわね……ああ、びっくりした……髪が生地に絡んでぐちゃぐちゃですわ」


 帰還する直前、ドレーミアが街のアパレルショップで購入したプチシャルロット帽が帰還後もそのまま帽子としてドレーミアの頭に載っていたのだ。ふわりと、お菓子の世界ではもはや無味無臭の空気と化していた甘い香りが鼻孔を擽り、食欲を誘う。

 プチシャルロット帽とは名の通り、小ぶりなシャルロットを帽子に仕立てたもののことであるが……お菓子としての正式名称はシャルロット・オ・フリュイといい、フルーツとババロアをビスキュイという、ビスケットのようなスポンジ生地に詰めたケーキのことである。

 スイーツキングダムにはシャルロット宮殿と呼ばれる巨大で豪奢なシャルロット・オ・フリュイがあったのだが、それを小型化させてお菓子たちの帽子に仕立てたのがプチシャルロット帽というわけである。

 クッキーの体で被る帽子はいちごをひとつ載せた、広いビスケットのつばがあるプチケーキのようであった。が、元の世界に戻った今──それは巨大化している。

 いちごが頭部サイズであった。


「重力や空気圧の負荷値は渡界前の数値を継続させてある。モノだけそのまま大きくしても重力に耐え切れず、自重で崩れるのがオチだからな」


 ……全く、理不尽に見えて理屈は通っている。理不尽な力を持つ魔女ではあるが、その理不尽を通すには理屈の理解が必要である場面を何度も見て来た。

 理不尽という名の暴力で強引に押し曲げているように見えて、その実──館長は誰よりも勤勉で博識だ。館長のやることなすこと全てが理不尽に見えて、細やかにひとつひとつ見ていけばかなり筋が通っているのだ。

 我輩をよく理屈っぽいと言うが、そう言う館長の方が余程理屈っぽい。


「ああ、いい香り。この帽子はもうここで食べてしまいましょうか? まあ! なんて軽い食感なのでしょう」

「もう食べてるし……」


 紅蓮のカーペットが敷かれている食堂の床にじかに座り込んで、行儀悪くもプチシャルロット帽のつばにかぶりつくドレーミアに倣って我輩たちも座って口元を寄せる。思いっきり頬張ったビスケットのつばは思った以上に軽い歯触りで、口いっぱいに頬張ったというのにしつこさが微塵も感じられない。と、いうか──唾液に絡ませて噛めば噛むほど質量が小さくなっていく。そう、綿菓子を口に含んだ時のような。


「成程。サイズを大きくしたとて質量が変わっていなければ空洞のようなもの。スカスカになっているわけではないが、それでも口に含んで噛み締めれば本来の質量に戻る、と」

「質量保存の法則をブチ壊してもいいが、めんどいしな」


 壊せるのか。いや、そうなんだろうな。壊すよりも理屈に則って変質させた方が楽ってだけなのだろうな。


「ですが、口いっぱいに含んだ満足感はたまらないですわ! 胸焼けもしませんし、胃に溜まるほど重たくもありませんし──最高ですわね!」


 大輪の花のような、満面の笑顔。ふむ、ドレーミアの方を喰べたくなってきた。


「エロガッパさん、ケーキ部分もうまいよ」

「ババロアのかけらを口元に引っ掛けているどれいも中々美味そうである」


 蹴られた。つれないやつめ。

 プチシャルロット帽の山の部分、つまりクライン部分にあたるケーキに手を伸ばす。いちごは一個しかなく、館長が四等分してくれていたのを取ってケーキと一緒に頬張る。いちごのジューシーな果汁が一気に口内を満たして、けれど溢れ出るような事態にはならない。強引に膨張させられていた質量が一気に圧縮される感じだ。しかし最初のひと口は口いっぱいに頬張る幸福感を得られて、悪くない。

 ババロア部分もいちごが潤沢に使われているのがわかるくらい、いちごの風味が凝縮しきっていた。やわらかく、それでいてクリーミーな舌触りにいちごの果汁が詰まっているというのは、なんとも贅沢だ。


「ああ、おいしかった。他のお菓子も味わうのが楽しみですわね」


 プチシャルロット帽をひと通り味わい尽くしてひと心地ついたらしいドレーミアがそれはそれは(とろ)けるような、色溢れる眼差しで甘い吐息を零す。

 とりあえず口付けた。どれいに蹴られたが、無視する。


「んっ!」


 我輩の胸に手を置いて抵抗しようとするドレーミアの手を絡め取って、窘めるように撫ぜる。その間にもドレーミアの唇を愛でる動きは止めない。吸精で脱力感が背を這うが、どうってことはない。

 舌先で唇をつついてやれば従順に口を開くドレーミアが可愛らしい。〝我輩〟なのだから当然だが。なんせ、レンが愛した我輩と同一なのだ。レンもきっと、女の我輩を愛でる時にはこんな心地になったのだろう。


「出でよ我が装魂! 喰らえ、黄金のハリセン!!」


 シバかれた。

 何事かと振り返れば、どれいが黄金のハリセンを握り締めて仁王立ちしていた。館長に出してもらったのか?

 何をする、と問うと場所を考えろと返ってきた。場所も何も、口付け如きどこでもよかろう。


「口付けだけとかドレーミアさんもいっかい見て言えんのかてめえ」


 ドレーミアを見やる。あられもなく服がはだけていた。ふむ、無意識のうちに脱がしにかかっていたか。さすがは我輩。


「自分で自分ホメてんじゃねえよ!!」


 いいシバき音がまたひとつ、食堂に響き渡った。





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