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自分図書館  作者: 椿 冬華
第三幕 「我輩」の章
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【カヌレ・ド・ボルドシップ】


 カヌレというのは蜜蝋(みつろう)という、働き蜂が巣を作る際に分泌する()()のようなもので型を作り、そこに生地を流し込んで焼く菓子のことだそうだ。

 この世界においてはボート代わりになっているらしく、二艘借りてどんぶらことチョコレート川下りすることになった。川下に着けば食べていいとのことであった。この調子で我輩たちが食べまくっていては〝魔女〟が新しいお菓子を追加するのに苦労するのではないかと思ったが、そういうものらしい。


「保存にはリスクが付き物、っていう認識なんだ。他のお菓子たちに喰われる前に喰っちまえ、今すぐ喰いたきゃ今すぐ作れ、喰いたくなくても保存しておきたいなら世界の完成度を高めるために作れ、っていう法則さ」


 どれいがキャンディーオールで漕いでいるのを傍目にのんびり川の流れを見つめている館長の言葉に成程、と頷く。


「見てください執事さま! お魚ですわ!」

「我輩は漕ぐのに忙しいのだが」

「チョコレートの川ですから底は見えないのかと思いましたが、そうでもないですわね。うっすらですけれどお魚や岩場が見えますわ。〝川〟に固定されたチョコレートだからなのでしょうか……」


 だから我輩は漕ぐのに忙しくて悠々と見てられんというに。結構急流であるぞ、ここ。


「館長! 暇だからって僕の体甘嚙みするな!」

「甘嚙みではない。試食だ」

「なおタチ悪いわ!!」


 ……あっちもあっちで大変そうであるなあ。


「わあ! 見てください執事さま! 向こう側、真っ白ですわ!」

「見る余裕ないというに!」

「冬エリアだな。ある程度の冷たさがないと形が崩れるお菓子はあそこにある。ほれ柊どれい、シャッターチャンスだぞ」

「お前代われよ漕ぐの!!」


 あゝいつの世も男とは損な生き物である。


「アイスキングダムとかないのですか?」

「あるある。だがアイスキングダムは氷点下なんでな、凍り付いてしまう。アイスキングダムに行くほどではなく、とか言ってこちらで暮らすには少し気温が高すぎるというお菓子が集まってるな。生チョコとか」


 スイーツキングダム全体の平均気温は六℃、冬エリアは零℃らしい。そんなに温度が低いとは思わなかった──いや。

 確かに〝魔女〟のいる外の世界に行った時、少々暑いと感じたな。


「ぎゃあ! 腹喰われた!」

「どれいおいしい❤」

「あら……共食いしてもいいんですの?」

「法的にはアウトだが、頭さえ食べなきゃ大丈夫だ。ミンナニハナイショダヨ」

「まあ、そうなのですか。では」

「ぬお!?」


 脇腹をかじられた。数回致した後くらいの脱力感に襲われてオールを落としそうになる。


「ドレーミア!」

「ああ、美味しい……成程、こちらでの吸精はこうやればいいのですね」


 やめんか!


「あ! 桟橋だ!! おい館長! もう着くからこのボート喰え!! 僕を喰うな!!」

「ドレーミア! 帰ったらたっぷり吸精させてやるから今はやめろ!!」


 あゝいつの世も男とは損な生き物である。

 ……レンが男であった時も同じことを考えていたのだろうか。我輩は、ここまで我儘では……あった、かもしれん。

 ……なんせ、〝我輩〟だ。


「あ~着いた着いた。おっと、この先は花畑なのか。色んな花が咲いてら」

「花畑でピクニックがてらボート食べるとしようか」


 えっちらおっちらとボートを担いで花畑に向かって、少し開けた場所に腰を下ろす。ああ、疲れた……ドレーミアに喰われたせいで疲労困憊である。


「チョコレートをたっぷり吸って美味しそうですわね」

「この花畑、全部ガムでできてるみたいだな。後で風船膨らまして遊ぼ」


 気ままに過ごす女性陣の隣でぐったりする男性陣、という図はどの世界でも共通すると断言していい公式ではなかろうか。

 とりあえず疲労感が酷いので補給をすることにする。カヌレの溝に手をかけてバリッと剥いだ。ボートに使えるだけあって外側は相当硬いが、中身はしっとりとしていてまろやかな手触りになっている。

 マフィンのような味わいを想像していたが、どちらかといえばフィナンシェやマドレーヌに近い。外側がザクザクザラザラのクッキー状になっていて、内側はふわっとしている。チョコレートの川を下ってきたのもあってかチョコレート風味が強く、底部に至ってはカヌレのチョコフォンデュみたいな様相になっている。うまい。


「しかしこの体だと歯応えを味わえなくて些か、物足りないであるな」

「そうだなあ~……いくつかお菓子を持ち帰るか」

「でしたら! 大きさはそのままでお願いしたいですわ。人間サイズですとこちらのお菓子は小さいのでしょう? それだともったいないですもの」

「冷蔵庫に入りませんよ」

「館長さまにしまっておけばいいのです」

「ワタシを便利箱か何かみたいに言うのやめてくれませんか?」


 思わず敬語になってしまった館長にその場が笑いに包まれる。


「館長さま、大きいとは言っても質量まで人間世界に合わせないでくださいませね? 単純に人間サイズに合わせて内容量まで変えてしまうのは違うのです」

「あ~……()()()サイズだけ大きくするってことな。カロリーはそのまま! ってか」

「ですわ」


 ああ……成程。人間にとって〝大きいお菓子〟となれば素材も質量も相当数使った重たいものになる。が、館長であれば物理法則を完全に無視して()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それであれば、内容量的には普通のお菓子と変わらぬわけであるから、胃もたれもしない……のかもしれんな。


「理不尽な……と、思ったけどそもそも僕らの体作り変えたのも館長だもんなあ」

「改めてみなくても、異質であるからな……血が通っている感覚はない。呼吸もない。だというのに思考する時には頭を使っている感覚がある。では頭に何かあるのか? いいや、小麦粉と牛乳と卵とバターしか詰まってない──思考放棄したである」


 元が人間の体であるからか、どうしても内臓の自律的な動きが伴っていないと不安になる。そう、不安になるのだ。この体になって初めて気付いたが──普段意識していない内臓の自律的な活動というのは、存外、意識に根深く染みついている。呼吸するのにいちいち肺の存在を意識しないが、いざ呼吸の必要性がなく肺も存在しないとなると、胸の奥に()()()を一切感じなくて──違和感を覚える。当然であった。胸の奥には肺だけでなく胃袋や食道、気道に血管心臓筋肉脂肪骨と色々詰まっていて、重いのだ。

 なくして初めて気付く、存在の大きさ。

 ずきりと胸が痛む。痛んで、思わず縋るように耳を澄ませる。




 ──ドレイク。




 大丈夫。

 ちゃんと、聞こえる。




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