【くじらの竜田揚げ】
僕らの隣でやんな!! ──そう言われてお預けを喰らったまま図書館に戻った我輩は、貪るようにドレーミアを愛でて満足した夕方、どれいにねちねち文句言われながら夕食をこしらえることになった。
「実はお前の方がインキュバスなんじゃねえの?」
「試してみるか? 我輩に吸精されるかどうか」
「OK、剣山スーツ館長に出してもらうわ」
まったく、相変わらずつれない奴だ。
「料理酒と醤油、みりん、すりおろしショウガにニンニク……」
ドレーミアのレシピメモ通りに調味料を混ぜ合わせて、ひと口大に切ったクジラ肉の山を放り込んでこねくり回す。
「そういやドレーミアさん来る前は執事さんが料理してたんだよな」
「ああ。ドレーミアのように凝った料理ができるわけではなかったが……館長に任せると倉庫の食糧を根こそぎ使い果たすんでな」
「どこぞのゴム人間かよ」
クジラ肉と混ぜ合わせた調味料が入ったボウルをそのまま冷蔵庫に入れる。味が染み込むのを待つ間に味噌汁や副菜の用意を進める。
クジラ肉はあの昭和の世界でよく使われている肉だそうで、給食にも出る定番だったようだとどれいが言っておった。牛肉に比べてやや弾力性に欠け、硬く繊維質だそうだが、それは給食に使われるのが安く質の悪いクジラ肉だったかららしい。ちなみに今夜使うのは港町の卸したてクジラ肉だ。
「なあ執事さん」
「ん?」
「渡界、どうだ今んとこ」
「…………」
──ドレイク。
大丈夫。
まだ、声は聞こえている。
「色々、身につまされるが悪くはない。……次は美味いものを食べに行きたいものである」
脱脂粉乳はもうよい。
「執事さまあ」
と、厨房に色香たっぷりの扇情的な声が響いて振り返る。ドレーミアがガウン姿のまま、若干むくれた顔で立っていた。
「起こしてくださいませ。わたくしもお手伝いいたしますわ」
そう言いながら我輩たちに加わるドレーミアを見やって、以前のドレーミアであればきっちり全身くまなく整えた後でなければ決して外に出ようとしなかったのになあなどと感慨深く想いを馳せる。
やがて匂いに釣られてふらふらやってきた館長の応援歌をBGMに、漬け込んだクジラ肉に片栗粉を絡めて揚げていく。
「フレー! フレー! し・つ・じ!! フレー! フレー! し・つ・じ!!」
「やかましい」
館長の声援で鍋が震えて危なっかしい。油を切っていない揚げたてホカホカの竜田揚げを口に放り込んで黙らせて、館長がのたうち回るのを傍目に三人で用意を進めていった。
さて、夕食である。
「いただきま~す」「いただきます」
どれいとドレーミアに続いて、我輩も小さくいただきますと口にする。館長? 水を張ったコップに舌を浸しておる。
「あぁ、美味しい。帝国ホテルのお食事も美味にございましたけれど……和食がひとつも出ませんでしたものね」
「欧米化政策っつう、外国の生活を取り入れようってのが昭和にはあってさ。その影響で給食も洋食化が進んで、アメリカから脱脂粉乳を輸入するようになったって社会でやった気がする」
どれいがつらつらと喋る昭和時代の日本に耳を傾けながら味噌汁を啜り、クジラの竜田揚げにかぶりついてまた味噌汁を啜る。
給食で食べたクジラ肉は固くパサついていたが、これは質がいいからか鶏肉に近い弾力と風味がある。ちなみに我輩の世界にもクジラによく似た大型海遊獣ホエール種がいるが、魚類である。
「どれいさまがいらっしゃった時代は以前訪れた猫の世界と近いのでしょう? 技術だけでなく生活の質もとても向上しておられましたわね。停滞を選択せず、まっとうに時代を歩めばああなるのでしょうか」
「だと、思いますけどね。僕の世界が標準ってワケでもないしそこらは何とも言えないですけど」
そう、世界は分岐する。
何十にも何百にも何千にも、それどころか那由多ほども分岐する。
──もしかしたらレンが、と不毛な考えが頭をよぎりそうになって首を振る。
「どれいにとっての標準的な日本も行ってみたいところであるなあ」
「あら……前向きなお考えをされるようになったのですね? 嬉しいですわ」
「嫌がってもおぬしに無理矢理連れ去られるだけであるしな……無駄に嫌がってまた館長の嗜虐趣味に火を付けるのも嫌である」
──正直、昭和の世界は堪えた。
〝我輩〟は愛らしく健気であったし、昭和レトロと言うらしい世界はどことなく取り残された空間のような寂寞感があってよかった。
だが、あそこはあまりにも。
──……あまりにも、我輩の世界に似すぎておる。外観は全く異なるというのに、中身が悉く似ていて、当事者ではなく第三者の立場から改めて〝世界〟を付きつけられたようで──堪え。
「では、次はどのような世界に行きましょう? わたくしとしてはまた猫の世界に行きたいのですけれど」
「猫もいいが……我輩としては〝可食物質系列世界〟が気になるところであるな。勿論、美味限定で」
「あぁいいな。フルーツ食べたい気分だ」
「加工食品ばかりでしたものね。甘いお菓子の世界、なんてものがあったら夢のようですわね」
お菓子の世界か。それもいい──そう思いながら皿に箸を伸ばしたらクジラの竜田揚げがもうなかった。ゆえに、館長のぶんを食べることにする。うむ、味噌汁に竜田揚げに白米──美味い。
「コラァ!!」