【ソフトめん】
滞在三日目。
義務教育制度により学校通学が全子女に義務付けられているとはいえ、家業を受け継ぐ以外に道を許されていない世界である。
授業内容は第二次世界大戦以前の歴史を事細やかに紐解くことが禁じられている以外は殊の外自由にされているらしく、基礎に加えて家業に応じた技術科の組み分けが行われていた。
第二次世界大戦以前の歴史に蓋をされている点について、理由は至極単純なもので技術の発達と国の発展の目覚ましさを知ることで変革を夢見るようになってはいけないから、であるらしい。
外套を繕って売る家系にいる〝我輩〟は裁縫科に属しており、縫い物やミシン作業の反復学習を行っていた。既に母を手伝って仕事しているからか手馴れたもので、手さばきは非常に鮮やかなものであった。
「縫えた! まんじゅうマンアップリケ!」
「食べている時のお前そっくりだな」
「こんなにふくれてない!!」
館長とどれいがまた取っ組み合いの喧嘩を始めた。放っておく。
「何をしておるのだ? ドレーミア」
「袢纏ですわ。〝わたくし〟の家には薄い布団しかございませんでしたので」
……相変わらず優しいやつであるな。
どうせ分岐する、と分かっていても許される範囲内で、手が届く限り手を差し伸べようとする。愚の骨頂と言ってもいい偽善者ではあるが、ドレーミアはそれを理解した上で、覚悟の上でやっている。
思考なき偽善と、覚悟を決めた偽善。
質にも厚さにもだいぶ違いがあるのではないかと、我輩は思う。
「ひげ! きょんはカレーあんかけだべな~重っとぞ!」
「む。ああ……当番か。わかった」
幼子に同年代のように扱われるのは慣れないが、館長を相手にしているようなものだと思えばそう苦でもない。
「おい」
今日は脱脂粉乳にカレーあんかけのソフトめん、それだけ。だがこの麺料理も滅多にない御馳走であるらしく幼子たちのテンションは高い。
「ひげ、こじきらにゃもらんでええべな」
「──おぬしもいずれその〝こじき〟になるというに」
欠け者。
そう我輩を蔑んだ者たちが次の周期で欠け者になるのを山ほど見てきた。不知が華とは、まさにこのことであろうな。
幼子の戯言は聞き流して、さっさと鍋を運んで配膳の作業に移り、手早く済ませて席に戻る。
「牛乳に変えちまえ」
「僕のも頼む」「わたくしのも……」「我輩のも」
昨夜は都会の帝国ホテルに宿泊した。豪奢なホテルで提供されるディナーは実に質が高く、朝食には本物の牛乳が出された。格差とはこのことか。
幼子たちには申し訳ないが、卑怯な手を使わせてもらうことにした。大人であるからな。
「……お湯で薄めたカレーをあんかけにして粘り気を出しただけに思えるが」
号令がかかるのを待ってからカレーあんかけソフトめんという、カレーヌードルから塩分を抜いて麺ものびのびに伸び切らせてあっさり風味にしたような麺料理を口にする。不味くはないが、もう少しカレー成分が欲しいところである。
「みぃな見るだ! 父ちゃんや買うてくれたおもちゃだど!」
ふいにもう食べ終えたらしい、この教室のリーダー格であろう体格の大きい男子が手に船を掲げて川へ浮かべにいこう、と声高に叫んでいた。
ポンポン船だな、と館長が囁く。ブリキ製の玩具であるらしく、蒸気船の仕組みを再現したつくりになっていると館長がひそやかに同じものを見せてくれた。中に水と火をともした蝋燭を入れると水上を進むそうだ。
それを〝我輩〟が羨ましそうに見つめながらずるずると麺を啜っている。これにはドレーミアも手出しする気はないのか、しずしずと麺を頬張っていた。
「おもちゃも進化してねえんだな。潰れていくだろ?」
「ああ。もはや裕福層向けでしかないな。値段も高騰してるし。昆虫採集キットの注射とか子ども用原子力研究セットだとか、死者が出かねない危険なブツはさすがになくなっていくから、種類は減少しっぱなしだ」
ボウガンだとか爆竹だとかエアガンだとか、幼子でも普通に購入できていたらしい。恐ろしい時代だな。そういうのはさすがに禁止・販売中止及び製造中止となるがそうでなくとも目新しい玩具自体一切出てこなくなったために、基本的に玩具は継承されていくものとなったそうだ。
親から子へ、子が親に成ればまた子へ。壊れれば買い直すが、経年とともに貧しくなっていくために買えない家庭も増えていく。
「おい。ソレ〝新しもの〟だろ」
ふいに、幼子のひとり──裕福そうな身なりの少年が指差しながら言う。言い、叫んだ。
「〝排唐〟だ!! おめもおめの父さも店も死刑だ!!」
キャー、ト誰かの悲鳴が上がる。
指差されて声高に非難された少年は呆然としていた。手に持っている船の玩具は青と赤を基調にした複雑なトライバル柄をしていてる。デザインも新しいのは禁止されている、という館長の囁きになるほどと思う。
「マッポに言いつけてやる!」
「なっ……ち、ちょと待っとうや! おら排唐さ違えだ!!」
糾弾された少年が船の玩具を背に隠して必死に言い募るが、〝ハイカラ〟だという罵倒の波は止まらない。
「ここではハイカラが蔑称なのか……」
「世界が違えば言葉の意味も変わる。ま、そういうことだな」
そうこうしているうちに少年は船の玩具ごと教師に連れ出されてしまって、一時湧いていた教室も次第に落ち着いていく。〝我輩〟はというと──今の騒ぎで散らばってしまったらしい少年の机周りを片付けていた。そこにドレーミアと数人の女子も加わる。
「あの少年はどうなるのだ?」
「父親や販売店ごと、裁判にかけられる。まあまだ幼いし無罪だろうが、父親は懲役刑、販売店は死刑ってところだろうな」
「そこまで厳しいのか? 国が衰退しているってことくらい上の奴らも気付いてるんだろ?」
「世界経済均衡法を破れば間違いなく世界中から非難を受け、世界大戦のきっかけになる。互いの喉元にナイフを食い込ませたまま、呑まず食わずで静止しているような状況だな」
〝俺も我慢しているんだからお前らも我慢しろ〟の論法であるな。
なんとも色褪せた世界だ──実に、我輩の世界によく似ておる。こんな色褪せた世界であってもどうか〝我輩〟には。
レンが愛した我輩と同じ、愚鈍ながらも人を見捨てきれない泥沼のような甘さを持つ〝我輩〟には、幸多き人生を歩んでほしいものである。




