9 お出かけ
がたんごとんと馬車が揺れるが、フランが知っているようなおしりの痛くなる揺れではなかった。最高級のクッションが衝撃を吸収してくれているのだろう、驚くほどに負担がない。たぶん、馬車の仕組みも普通のそれとは違うのだろう。なんといっても公爵さまを乗せる馬車なのだから。
心の内で感嘆しながら、フランは対面に座るその人を盗み見た。
世の中のなにものにも興味のなさそうな冷たい瞳を窓の外に向け、頬杖をついている。そんな日常的な一瞬すら一枚の絵画を切り取ったように完成されているのだからため息が漏れる。
――こんな美しい人の横に並んで歩いて、大丈夫だろうか。
フランは俯き、褪せたドレスの裾をぎゅっと握った。自分が持っている中では一番上等なドレス。お屋敷にやってきたときにも着ていたものだが、セレーネ公爵の隣に立つには、あまりにもみすぼらしい。彼の価値や品位を下げてしまうのではないかと、そればかりが気にかかる。
(一緒に出かける日が来るなんて、考えもしなかった……)
フランは昨夜のことを思い出していた。
*****
肖像画のあった部屋には、他にも使われなくなったのであろう古い調度品が所狭しと追いやられていて、フランはそれらを磨き上げることに一日を費やした。
使わないからと言っておざなりにされるのも可哀想だ。そう思いながら埃を拭き取ってやると、命を吹き返すように美しさを取り戻すから面白い。
あまりに熱中しすぎて、扉が開いたことにも気づかなかった。
「フランさま、今日はもうこのあたりで」
「えっ……あれ、もうそんな時間ですか」
磨いていた陶磁の花瓶から顔をあげると、呆れたような顔でレーヴェさんが立っていた。
そういえば部屋の中がずいぶんと暗い。すみません、と慌てて自室に戻ろうとすると、
「明日は街にお出かけになるそうですので、朝はわたくしがご支度させていただきます」
「……誰がお出かけになるんですか?」
「公爵さまと、フランさまです」
「………………どういうことでしょう?」
公爵様と、わたしが? ふたりで? 出かける?
単語ごとなら理解もできるのだけれど、文章になると理解が追いつかない。
どういう流れでそんなことになったのか? なんのために行くのか?
疑問が多すぎて何から訊けばよいのか分からず口を開閉させるフランと飄々と顔色ひとつ変えないレーヴェさんは、しばらく無言で見つめ合っていた。
*****
そうして眠れぬ夜を過ごし、今朝。レーヴェさんにおしろいをはたかれ髪を結われ、いつぞやに公爵さまに切られた前髪を揃えてもらって、フランは馬車に乗せられた。
鏡越しに見た自分はまあ見られる程度にはしてもらえたようだったけれど、元が元だし、身にまとうのは晴れ着とすら言えないような古いドレスだ。
そんなフランの前に、神秘的とすら思える美貌の男性が乗り込んでくるのである。
惨め以外の何物でもないではないか。
(せめて、粗相だけはしないように)
馬車に揺られながらフランは誓う。
見目は変えられない。ならばせめて迷惑をかけないようにと背筋を伸ばした。
「今日は、どのようなご用向で街へ行くのでしょう」
長らく続いていた沈黙を破ると、セレーネ公爵は驚いたようにこちらを見た。馬車に乗ってから初めて視線が交錯した瞬間だった。
「聞いていないのか?」
「はい」
「……お前のドレスを買いに行く」
「わたしのドレス、ですか……?」
「そうだ。まともなドレスが一着もないと聞いた。まったく、お前の親は何をしているんだ」
どくんと、心臓が大きく鳴った気がした。
「改めてお前の資料を読んだ。レイトラム男爵家の第二令嬢、フラン・レイトラム。お前の家は娘にドレスの一枚すら満足に用意できないほど落ちぶれているのか?」