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曰く付き公爵は婚約者の涙を愛す  作者: 朔間 はる子
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8 貴族さまのお勤め



「――ジルハルト・セレーネを舐めているのか?」


 ジルハルトがそう凄むと、街の石工を取りまとめているのだという商人は目に見えて震え上がった。


「ま、まさか滅相もない! 我々は公爵さまを敬う気持ちはあれど、不遜な思いなど一切……!」

「ならばこの見積もりについて説明してもらおう。何度読み直しても、石材の搬入費が相場よりずいぶんと釣り上げられているように見えるが」

「それはですね、最近採掘場で事故があり、人手が足りないらしく、どうしてもこの値段になってしまうと石切屋に泣きつかれまして……」

「事故のあった採掘場は2つ山を超えた向こうだ。なぜ一番近い場所から買い入れない?」

「あの……色々と事情が……」

「くだらん。もう喋るな。お前が裏で金を渡してきた石工と癒着していることは調べがついている」


 もはや無意味な紙束と化した見積書を橋の上からばら撒くと、商人はわーっと情けない声を上げながら風に乗ったそれらに手を伸ばす。路端の石ころほどの興味も価値も見いだせなくなった男を完全に視界外へと追いやって、ジルハルトは控えていたレヴィンに声をかけた。


「レヴィン、代替の商家は見つかっているか」

「は」

「手紙を出しておいてくれ。できるだけ迅速に修理をと」

「かしこまりました」

「あの男が賄賂を受け取っていた件は街中に広めておけ。それから罰として財産の没収を」

「心得ております」


 ジルハルトは大きなため息をつく。

 こんな取るに足らない男のために労力を使うなんてあまりにも馬鹿馬鹿しいが、街の住民からしてみれば、財力を持った腐った商人に立ち向かうには、権力を持った人間に頼るほか術がない。それが、どんなに非道な噂の断えない人間であったとしてもだ。

 遠巻きに話し合いを見守っていた街の住人たちを一瞥すると、皆すぐさま表情をこわばらせて視線を落とし、虫の鳴くような声でありがとうございましたなどと口々に呟いてから逃げるように散っていった。いつものことなので特に思うところもない。


「帰る。馬車を呼べ」

「すぐさま」


 優秀な腹心はあっという間に姿を消した。宣言通り間もなく馬車を連れて戻ってくるだろう。

 それまでの暇つぶしにと特に意味もなくあたりを見回せば、ピンクとイエローの愛らしい看板が目に入った。女性向けの服屋である。


 ジルハルトは自身の装いにそんなに興味が持てないから、年に一度、屋敷に仕立て屋を呼んで一年分の洋服を作らせるのみである。ジルハルトだけでなく大抵の男はそんなものだろう。

 だが女性というのは、シーズンごとにおびただしい量のドレスを作り、一度着ただけで捨て、そしてまた新しいドレスを作るものなのではなかろうか。少なくともジルハルトの知る限り、貴族の令嬢というのはそういう生き物であるという認識だった。


「お待たせ致しました」

「レヴィン、あの少女がドレスらしいドレスを着ているところを見たことがあるか」

「いいえ。姉によると、持ってらっしゃったドレスがすべて、そもそもドレスとも呼べない代物だったとか」


 ちなみに数は三枚です、とこともなげに告げられて、ジルハルトは一瞬それがなんの数字を指しているのか分からなかった。


「私は一体どんな庶民と婚約しているんだ……?」


 どうせすぐに忘れる娘だと、婚約者が刷新されるたびに渡される釣書は一度も目を通さず燃やしてきた。事実、今までは見る必要などなかったのだ。

 しかし、とジルハルトは考える。

 あの少女は今も屋敷にいて、そして今も屋敷を出ようとは考えていないのだろう。

 まだ、ジルハルトの婚約者でいるつもりなのだろう。


「あの娘についての書類は残っているか」

「はい」

「帰ったら渡せ」

「……かしこまりました」


 なにか言いたげな間をレヴィンから感じた。形容するならそう、にやにやとか、ほお……とか、そういう面白がっているようなからかうような気配だが、ジルハルトは気づかないふりを決め込んで馬車に乗り込む。

 そして誰に向けるでもない言い訳を心中で呟いた。


 まだ屋敷にいるつもりなら。

 名前くらい覚えないと、不便かもしれないと思った。それだけだ。


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