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曰く付き公爵は婚約者の涙を愛す  作者: 朔間 はる子
23/37

23 フラン・レイトラム



「フランさまはお眠りになりました」

「そうか。変わったところはなかったか」

「公爵さまがお贈りになった靴を、薄布に包んで抱いてお休みになっているようです」

「……何をしているんだあいつは」


 フランが眠るジルハルトの寝室の横、応接室で、ジルハルトは声を潜めて苦笑した。


「隣の部屋は明日には使えるようになるんだな」

「はい。手はずは整っております」

「ご苦労」

「もったいないお言葉です」


 このところ、いつまでも人の部屋で眠るのは肩が凝るだろうと思い、手があいた双子に隣の空き部屋をフランの部屋としてしつらえるよう命じていた。買ったドレスはすでに隣の部屋のクローゼットに収めてある。

 

 靴ひとつで抱いて眠るほどの喜びようなのだ。新しい部屋を目にしたフランはどんな顔で驚くのだろうかと想像すると自然と口元がゆる……みそうになったところで、レーヴェが寝酒用のワインをグラスに注ぎながらお得意の何か言いたげな視線をこちらに投げていることに気がついた。誤魔化すために軽く握った拳で口元を押さえて咳をする。


「どうぞ」

「ああ」


 すまない、とグラスを受け取ると、


「共寝はされないのですか」


 ――危うく、ワインをこぼしかけた。

 急に何を聞くんだと苛立ちを半眼に乗せて睨むが、レーヴェは何事もなかったかのようにボトルを拭いている。


「……俺は幾つだ」

「26歳でいらっしゃいます」

「フランは」

「16歳でいらっしゃいます」

「年の差は」

「誤差の範囲かと」

「そういうことを聞いているんじゃない」


 返答するレーヴェは至極真面目な顔をしているのだが、真面目な顔をしていないときがほぼないので何を考えているのかわからない。もしかしたらわざとずれた答えをしたのかもしれない。


「ただでさえ私は曰く付きなんだ。その上で少女趣味などと噂されたら目も当てられないだろう」


 ソファの背に片腕を回して、上品とは言い難い格好でグラスを呷った。


 16歳と言えば、確かに貴族の子女としては適齢期だし結婚もできる。フランの儚げなのに一生懸命な姿に好感も持ってはいるのだが――なんというか、いかんせん幼く見えてしまうのだ。ジルハルトにとってフランという婚約者は女性というより妹に近い、庇護すべき柔弱な存在だった。そんな娘に手を出すつもりは今のところ毛ほどもない。


 セレーネ家がジルハルトで途絶えてもなんら問題はないと考えているから跡継ぎが欲しいわけでもないし、女を抱きたくなったなら適当に抱けばいい。自分の容姿が人より優れている自覚はあるから女に困ったことはない。だから、ただでさえ栄養の足りていない、板みたいな体をわざわざ好むこともない。


「ですが今日、見惚れていらっしゃいました」

「…………誰が誰に、見惚れていたと?」

「ジルハルトさまが、フランさまに」


 当てつけるような明瞭さでレーヴェが返してくるので、そんなわけないだろうとばっさり切って捨てようとしたはずが気づけば返答に詰まっていた。腹立たしいことに、思い当たる節が、あった。


 確かに少し、短い間だが、驚きのあまりしげしげと眺めてしまったかもしれない。しかしそれは馬子にも衣装というか、そう、魔法のせいだ。フラン自身も言っていた、レーヴェがフランにかけたのだという魔法が、彼女を見間違えるほど美しく――否、美しいなんて思っていない。決して思っていない。言葉の綾だ。違うんだ、そういうことが言いたいのではなくてだな。ああ、とにかく魔法のせいだ。そういうことに、


「”それが本来のお前なんだろう”とも仰っ」

「一言一句完璧に再現するなっ、やめろ!」

「あまり大きな声を出されると、フランさまが起きてしまわれます」


 ワイングラスをサイドテーブルに打ち付けるようにして、羞恥心を隠すためというおそらくレーヴェにとっては非常に理不尽な理由で声を荒げたジルハルトを咎めたのは、厨房の火の始末を終えて部屋へと戻ってきたレヴィンである。彼の手には数枚の羊皮紙が握られていた。


「公爵さま、これを」

「なんだ、私は今レーヴェと重要な話をしていて……!」


 苛立ちのせいでひったくるように羊皮紙を受け取って視線を落としてから――自分でも驚くほど急激に、頭の中が冷静になった。浮かしかけていた腰を再びソファに沈め深く息を吐き、ジルハルトは手中の紙を食い入るように見つめた。


 それは改めてレヴィンに頼んでいた、フランの身辺調査の結果だった。





 ――フラン・レイトラム、16歳。

 フランが5つのとき母が病死。その3年後、父親が再婚。再婚相手には12歳になる息子と10歳になる娘がいた。


 再婚相手とその連れ子相手に最初は仲良くやっていたようだが、さらに2年後、父親が水難事故で亡くなる。これによりフランの義母はレイトラム男爵家の女主人という地位を手に入れた。そして悪夢が始まる。


 手綱を握るものがいなくなったレイトラム家でフランは虐げられた。本来最も男爵家の人間として相応しい血が流れているはずなのに、その血に(ちか)しい人間はどこにもいない。そうして庇護を失った彼女は屋敷の中で、下働きと同じかそれ以下の扱いを受けていたらしい。一応、非道なことをしている自覚があったのか、義母はフランを人目に触れさせないよう屋敷内の雑用を押し付けていたようだ。


 そして、気に入らないことがあれば暴力という形でフランにぶつけていたと。義母だけではない。義姉も義兄も、義母と同じようにフランに対し、決して家族に対するそれとは思えぬ接し方をしていたのだと、そこには書かれていた。


 もともと成り上がりの豪商の血筋のおかげで男爵と出会えたというだけで、特に商いに秀でていたわけでも、勉学が得意だったわけでもなかった義母に、男爵家としての務めを正しく果たせるような能力は当然ながらなかった。清貧に暮らしていたならもう少し結果は違ったかもしれないが、成り上がりよろしく金はあるだけ使ってしまう性分なようで、欲しいものを手に入れるためなら支出は惜しまなかったらしい。そうして、レイトラム家は急速に傾いていった。


 そこへ舞い込んできたセレーネ家との婚約だ。フランの義母たちは手を叩いて喜んだ。公爵家が後ろ盾となるのだ、これ以上に心強いことなどない――権力よりも主に金銭面の意味合いが彼女らにとっては大きかったのだろうが。

 そして、持つべきものすら持たず身一つで、贄のようにフランはジルハルトに差し出された。




 すべてを読み終わったとき、無性に笑いだしたくなっていた。どうやら人とは感情が飽和すると笑いに代わってしまう生き物らしい。


「公爵さま」


 気遣わしげなレーヴェの声が音としては聞こえるのだが、意味を持った言葉として解することができないから、当然返事をするという結論まで至れない。


 もしもフランの本当の父親が亡くなってすぐに暴力行為が始まったのなら、6年近くもの間、フランは針の筵に座らせられてきたことになる。一体何の罰だというのだ。尊厳を奪われ、虐遇されて然るべきと誰もが納得するような悪行を彼女が働いたというのか。違うだろう。街でフランを殴った男たちと、この義母たちは同じたぐいの人間だ。自分より弱い存在を虐げることで己が心の平穏を保とうとする。圧倒的に不幸な人間と自分を比して、歪な歓びで胸の隙間を埋めようとする、吐気がするほどおぞましい人種。


 ああ、おかしい。声を上げて笑ってしまいそうだ。それなのに、自分の声がやけに低く聞こえた。


「――後悔させてやる」


 手の中で、羊皮紙がぐしゃりと悲鳴をあげて潰れた。



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