19 知りたい
がたんごとん、と馬車が揺れる。
眼前では眉目秀麗な公爵さまが頬杖を付き、物憂げな瞳で窓の外を眺めている。
(なんだかデジャブだ……)
暖かな日差しも、こうやって盗み見る公爵さまの浮世離れした横顔も、前にこうして馬車に乗せてもらったときを再現したみたいにそっくりで。
ただ前回よりも、居心地だけがずっと良い。
「フラン」
「は、はい。なんでしょうか」
ふいに向けられた視線から逃げるように慌ててフランも窓の外に目をやった。いけない、見惚れていたのに気づかれてしまっただろうか。
「お前はどんな色のドレスが好きなんだ」
「色……ですか? 特にこれといって……」
「では生地は?」
「動きやすければなんでも」
「なら宝石は。どんな石が好きだ」
「宝石には疎くて、よく存じ上げません」
「……なんとなく予想していたが」
公爵さまが大きくため息をつくから、フランは身構えた。もっと気の利いた返事をするべきだったと今更ながらに後悔した。
「まあいいだろう、仕方がない。だが私も女性のドレスには詳しくないんだ。もし何か気に入るものがあれば遠慮なく伝えてくれると助かる」
もしいま鏡があれば、そこに映る自分はたぶん、すごく目を丸くさせていたと思う。
「――公爵さまは、お噂と全然違います」
女性を嬲るのが趣味だと聞いた。危ない人だと誰もが口を揃えていた。事実、公爵さまがそんな危険な人間であっても構わないと覚悟をしてお屋敷の扉を叩いたはずなのに、こうして実際に目の前に座す公爵さまは、令嬢らしいところなど一つもないフランにも気を遣って、優しくしてくださる。暴漢から助け出し、手当をして、親切にして、わざわざドレスの趣味まで聞いてくださって。
これのどこが物狂いの公爵さまだと言うんだろう。一体誰が言い出したんだろう。
確かに容貌は冷たいかもしれない。震えるほど美しいその見目に、人々は慄いてしまうのかもしれない。それも詮無きことだと思う。人はあまりに自分とかけ離れた存在を前にすると、どうしようもない畏怖を覚えてしまうものだ。
しかし少しでも公爵さまに触れさえすれば、それが自分の勝手な思い込みだとすぐに分かるはずなのに。
「どうして噂をそのままにされているんですか? 公爵さまはこんなに、お優しいのに」
「違うな」
「違いません、本当に……!」
「呼び方が違う」
言葉の応酬がぶつりと途切れたのは、公爵さまが思わぬ方向へと会話を差し向けたからだ。
「名前で呼べと言ったはずだ。それともやはり私の名前が覚えられないのか?」
「そ――そんなはずありません!」
「なら呼んでみろ」
今はそんな話をしたいんじゃない。あなたは本当はとても優しい人ではないかと、みんな誤解しているだけなんじゃないかと、そういう話をしたかったのに、優雅に足を組み替えた公爵さまに面白がっているような眼差しを向けられては、主導権はすっかり彼に渡ってしまう。
「ジ……」
「なんだ? 聞こえないな」
「そ、そんなに見つめられては言い辛いに決まっています」
「そうか? 私は言えるぞ、フラン」
「……っ」
心臓が跳ねて、フランは息が止まりそうになる。
ただ名前を呼ばれただけ。それだけだ。何も特別なことなんてないのに。
「面白がるのはやめてください。……ジルハルト、さま」
その名前を喉の奥からか細く絞り出すのと、フランの視線が膝の上に落ちるのは同時だった。名前をお呼びするなんて初めてのことだから動悸がするのも仕方のないことだ。当たり前のことなのだ。恥ずかしくて目が見れないのも、頬が熱いのも、全部、仕方がないことだと、忙しくなる鼓動に言い聞かせる。
「なんだ、言えるじゃないか。残虐非道のセレーネ公爵の名前だからな、間違えたりしたらどうなるかわからない、気をつけろよ」
子どもをからかうような口調だった。立派に成人されている彼から見て、16になったばかりのフランは子どもで、小娘で、間違いないのだろうけれど。
軽口に応じたいのにそれができない。本格的に、フランはどうかしてしまったらしい。
馬車が止まる。目的地についたようだ。
外から扉を開け、こちらに手を差し伸べたレヴィンさんが首をかしげる。
「フランさま? お顔が赤いようですが、熱でも」
「こ、これはその、ちょっと馬車の中が暑くて……。大丈夫です、すぐに収まります」
後ろに続く公爵さまに――ジルハルトさまに見られないよう、フランは頬を押さえて顔を伏せた。




