花笑む君から手紙貰ひし候う
すりすりと、禿の少女が墨をする、吉原大通り、大見世の『紅桜』の奥まった一室。
高貴な薫りが漂う、髪を下ろし一重の上から、無造作に、客の置いて帰った男物の羽二重の羽織を羽織ったしらゆりは、雅やかな螺鈿で細工された文箱から、色とりどりに染められた、鳥の子紙を取りだし選んでいる。
「うーん、どれにしようか、ふふふ、お色位変えんとね」
しののめ、桜いろ、もえぎいろ、薄花いろ、とりどりにに染められた紙、手に取ると、ふありと、漂う薫り紙、花魁の香の匂いが、淡く焚き染められている。
「姐さん、墨がすれた」
可愛く髪を結い上げ、桃色紅梅の地模様の着物を着込んだ、妹が盆に乗せて、そろりとそれを運んでくる。
「すれたでありんす、だよ、早く覚えな」
刈安色黄色のそれを手に取り、郭言葉を教えていく。そして、墨は余るから、お前も手習いをおし、と声をかけた。
「あい、姐さん、何人にお書きになる?たくさん?」
あどけなく、自分の手習いの草子を持ってくる少女。先ずは小さな文机をよいしょっと、花魁の側へ運ぶ。
「ふ、た、り、ん?いや……三人かね」
クスクスと笑うしらゆり、彼女の年は数えて十八、花の盛り、突き出しで去年見世に出たのだが、吉原でいちになる要素は、その時既に兼ね備えていた。
柳眉、鼻筋通った瓜ざね顔、大きな濡れる瞳、白い肌、打てば響く才知、そして何より気の強さ、瞬く間に階段を駆け上がり、僅かな時で部屋を構える立場になった。
……ふふん、きいろいのはあの旦那、藤色はあっち、そして、クククク、撫子色は、くくく、番頭のアイツに渡して……
遊女と男仕の間での色恋は、御法度なのだが、中には上手く付き合っているのもいる。外から『色』遊女の恋人が、来るものもいる。
しらゆりは、それらの同僚や先輩姐さん達を冷ややかに見つめている。そんな事をしていたら、要らぬ火の粉がかかり、借銭も膨れ上がるからだ。
そんな彼女が、何故番頭に文を密かに渡すのか、それは上客が回るように、手配をしてもらうため。
……出来る番頭は、手に入れておかないと、アレは御法度には手を出さん堅物。桜主にも見込まれてる
クスクスと口元に、紅に染めた指先を持って行き、艶やかに笑うしらゆり。その様子を、少女は姐さま、きれいと思い眺めていた。
*****
「雪見はどうする?」
そうだな、何処にするか、ちんちんと鉄瓶の湯が沸く火鉢に手をあぶり、他愛のない話で盛り上がる男が二人。
寒い最中に、白に包まれた、雪原の風流を味あう計画をたてている遊び仲間。色の方ではお互い好敵手としてみている悪友の間柄。
そこへ、お文が来ました、と先に問いかけた者の店の小僧が、薫り高い黄色のそれを、運んできた。
「おお!早速きたか、どれどれ」
小僧からそれを受けとると、好色かつ卑猥な笑みを浮かべ、開こうとした時、悪友が薫りに気付き声をかけた。
「おい、それは紅のしらゆりか?」
不躾に問いかけると、懐に手をいれる。
「フフ、そうだが……人の色に野暮は聞くなよ」
吉原いちになるのは、遠くないと言われる彼女からの文、男達の間では垂涎の的になる。得意気に言う男に対して、
「いや……俺も貰ってるから……」
そう言うと、藤色のそれを取り出した。同じ薫香が漂う。ぎこちない空気が、二人の間を流れる。
「ふ、ま、まぁ!彼女も一人とはいかないゆえな!しかし、俺の方が想われている!」
黄色の文を手にした男はいい放つ。それに対して藤色は即座に言い立てる。
「いやいや!俺の方が先に届いた故に、俺のが上だ、きっと中身も違うはず」
男二人は頭を付き合わせ、黄色と藤色を照らし合わせて読み込んでいく……
「ぬ、流石はしらゆり、一語一句同じとは!しかし、俺の方が墨の色が濃い故に、俺のが上だ」
黄色が得意気にそう言うと、藤色は負けじと応じる。
「ぐ!ここを見ろ!お主の『恋しい』墨が少うし、かすれておる、俺のははっきりと!色濃く書いてある、俺のが上だ」
俺が上、なにおう!ここに句点がない!俺のはある、だから俺のが上と、いや!それは句点ではない!紙の依れだろうか、かしましい男が二人。
意味のないやり取を、繰り広げている、
頭の中では美しい肢体を持つ、若い花魁とのやり取りを、思い浮かべている助平な男が二人。
花の盛り、十八のしらゆり花魁に、手玉に取られている男がやんや、やんやと盛り上がって行った……
*****
「花魁、失礼します。火鉢に墨を足しましょう」
文を出して、妹の手習いをみていたら、堅物で有名な番頭の男が部屋に入ってきた。
無言で火鉢に墨を足す。ぱち、ぱちっ!と弾ける火の音がする。
寡黙な彼を見やりながら、つい、と立ち上がると、側へと近づき手の内に隠し持っていた、撫子をハラリと落とす。
正座をし、火箸でならしていた男は、ぴくりと反応させる。膝元から漂う薫り……目を射る淡い撫子色、ごくりと息を飲むと、
つい、とそれに手を伸ばし懐へと、丁寧にし舞い込む。立で見下ろしながら、甘く微笑むしらゆり、一目千両が男を捕らえていた。
*****
失礼します……番頭は、そそくさと下がると、辺りを見渡し、誰もいないのを確認すると、さりげなさを装い、自分の小部屋へと向かう。
窓のない、板の間の小さい部屋、戸を慎重に締め切る番頭。
布団はきちんと部屋の隅に畳まれている。壁際に、荷物の一切合切が入っている柳行李、他には行灯、小さな文机、硯箱、下がり物の座布団が一枚、其が男の全て、
昼でも暗い為に、カチカチっと、震える手で行灯に灯りを点すと、男は柳行李の奥深くにし舞い込んでいる、風呂敷包みを取り出す。
白のそれに包みをほどくと、中には木の箱がある。その蓋を丁寧に開けると、部屋に立ち上がる香の薫り。
色のとりどりの文が、しらゆりの薫りを放っている。きとんと正座をし、瞑目しながらそれを胸に吸い込んでいく男。
懐に手を入れ、今日貰った文をそろりと開く。
中には美しい柔らかな柳文字で、一言。
――兄さん、ご苦労様でありんす……
目に飛び込む只その一言。気高い花魁が決して見世の使用人等に言わぬ言葉。
そして、客人には千両積まれねば、微笑むことない、あの笑顔。
自分に、自分だけに、一人だけに向けられた、彼女の花の笑み。
文を胸に深く押し頂き、何やらあれやこれを、思い浮かべる番頭。その顔色には何処と無く、卑猥な色が走っている。
大きく息を吸い込む、まるでしらゆりを全て体の中へと収める様に……薄暗い部屋で男は、妄想の世界を紡いで行く……
*****
誇り高く、したたかな、美しいしらゆりの部屋、鉄瓶のお湯が、しゅんしゅんと音をたてている。
「そろそろそれは終わって、三味線を見てあげよう、その前に甘いものでも食べようか……」
手習いを終わる様に、妹に言うと気さくに立ち上がり、飾り棚に置いてある、塗りの菓子器を持ってくる。
少女は手早く片付けると、お茶を入れる用意をする。
「長崎のかすていら、昨日貰ってねえ、さっ、食べようか」
錦の座布団に座るしらゆり、茶托に出された煎茶を、手にとりすする。そして、彼女はくろもじで、それを一口に分けると、小鳥の様に可愛く含む。
甘い色が、口の中で広がり、クスリと彼女は笑った。甘い色がその白い顔にも広がる。
美味しいね、お前もお食べ、と小首を傾げて顔を綻ろばせる、ふありと、ふくいくとした薫りを伴う、華やかな笑顔が作られる。
その笑み一目千両、花の十八、花魁しらゆり
艶やかに、つややかに、愛らしく、妖艶に微笑む。その花の顔を見て……
わぁー、姐さま、とってもきれい、おきれい…
少女は……知らず知らず桃色に頬染めて、目の前の彼女に憧れを抱いた。
『完』