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2―2 名工

 薄汚れたコートを纏った青年は“獄土”における最大都市、オーレインの街を歩く。昼間とは思えないほどに人の少ない通りを歩くその姿はまるで亡霊だ。滑るように歩を進める青年はやがて細い路地裏へと曲がっていく。


 もとより雑然とした雰囲気のオーレインだが、人がすれ違うのがやっとという細さの路地裏はまさしく混沌の極みだった。日当たりの悪い壁際には菌類が蔓延はびこり、適当に投げ捨てられたのだろうゴミが散乱している。

 青年がここを通るのは初めてではないが、いつ来ても妙に湿った空気が漂っていた。

 日陰者の世界――そんな表現が最も似合う光景だ。


 複雑に入り乱れ交差する路地を青年は戸惑うことなく進んでいく。五つか六つ曲がったところに青年の目当ての建物があった。


「……変わらないな」


 一本道の突き当たりの壁にあるのは古い木製の扉。その壁には蔦が縦横無尽に駆けめぐり、まるでもう何年も使われていない廃屋のようにも見える。しかし扉の取っ手だけは光沢のある金属でできていて、路面にコケ類が生い茂っていないことからも、今も辛うじて人の往来があることが推測できた。


 とはいえ初めてここに来た者が――好き好んでこんなところに迷いこむ馬鹿はいないが――この扉に手をかけることはないだろう。青年はそんなことを思いながら躊躇なく取っ手を掴み、扉を開けた。


 途端に青年が感じたのは金属特有の匂い。


 中は少し薄暗く、外よりも明度が低かった。正面のカウンターには誰もいない。そのカウンターのさらに奥に轟々と盛る炎を宿した巨大な炉があり、その前に青年の目的の人物はいた。


 客が来たというのにこちらを向く素振りもない。これで客商売をやっているというのだから驚きだが、逆に言えば接客が最低でもここに来たいと思えるほどの腕があるということだ。


「おい、客が来たぞ。店番くらいしたらどうだ」

「あ……? 何だ、お前さんか。少し待ってな。今大事なところなんだ」


 店主としておよそありえない返答に青年は苦笑して待つことを決めた。いつもこうなのだからもう慣れたものだ。


 ぐるりと店内を見回すと、四方の壁にはどれも業物と思える武器の数々。長剣、短剣はもちろんのこと曲剣や爪などもある。一応全て売り物のはずだが、値段が表示されていないのは、ここに来るのが優れた武器ならば言い値で買う余裕のある一流の人間――そして、武器そのものがそうまでして手に入れたいと思えるほどの性能を持つ一級品だからだ。


 そう、ここは鍛冶屋兼武具屋なのである。


「ふぃー、このクソ忙しいときに何の用だい。新作をお望みならそこらの武器を見てな」

「相変わらず客への対応の悪さは天下一品だな、ミズナ」


 一仕事終えたのか、額の汗を拭いながらカウンターへ着いたのは褐色の肌の若い女性。ここの店主であり鍛冶長である名工、ミズナだ。


「接客なんざ鍛冶屋のすることじゃないんだよ。武器が欲しいんなら金だけ置いてけってことさ」


 女性としては少し大柄だが普段から高温の火に晒され激しい鍛冶仕事をしているだけあって引き締まった体つきをしている。わずかに上気した肌は見るものによっては扇情的にすら思えるだろう。


「その服装は何とかならないのか。“獄土ここ”じゃいつ襲われてもおかしくないだろ」


 ミズナが上半身に纏うのは胸を覆う一本の帯のみ。「工場が暑いから」らしいが、本当に局所のみを隠すような幅なので、青年としては不安しか覚えない。「力が全て」の“獄土”では時として女の体すらモノ同様に扱われる。

 しかしミズナは笑った。


「はは、アタシを襲ったんなら逆にちぎって・・・・やるさ。それもできないくらい強い奴になら抱かれてやってもいいね」

「……そうか、ならいい」


 単なる鍛冶屋ではなく魔王としても確かな実力を持つミズナならばやりかねない。ミズナの安全よりも不用意に彼女を襲う魔王が現れないことを祈って青年は忠告を諦めた。


「それで今日は何の用だい。……まあ、察しはついてるが」

「いつも通りだ。これの整備メンテを頼みたい」


 青年がカウンターに置いたのは右腰に吊るしていた短剣。ミズナはそれを手に取り、鞘から剣を抜く。


「こんな骨董品を使い続けるとは、お前さんも物好きだねぇ。新しいのはいくらでもあるよ?」

「いや、それが一番手に馴染む。粉々になるまでは使い続けるさ。なにせ名工ミズナの作だからな」

「……そうかい」


 ミズナは諦めたように深く息を吐いて短剣の見分を始めた。何から何まで黒い短剣には、細かな傷こそ多くても、大事に扱われているのが分かるほど丹念な手入れがされていた。


「ん、問題なし。刃が少し鈍ってるようだから研いでやろう。ちょっと待ってな」


 ミズナは炉を通りすぎ、さらに奥へと消える。少しすると思いきり金属を叩くような凄まじい音が聞こえてきた。

 決して刃を研ぐ音ではない。これこそがミズナの腕を象徴する作業。


「……こんなもんかね。ほら、確認しな」


 しばらくして轟音が止んだあとミズナは短剣を持って再び青年の元に現れた。


 乱暴に手渡されたその刃は確かに先程よりも鋭く輝いている。それだけではない。ところどころにあった細かな傷さえも完全に消え、新品同様の美しさを取り戻していた。


 〈打ち直しリビルド〉と呼ばれる、彼女の鍛冶屋としての才がなす秘技。多少の傷どころか刃先が完全に折れた武器ですら元通りに再生するという奇跡の技術だ。それこそ原型を留めないほど粉々にならない限りはいくらでも復元できるのである。


「……うん、見事な仕上がりだ。助かった」

「それがアタシの“キザミ”だからね。大した傷もなかったし、代はいらないよ」


 ミズナの言葉に、今まさに懐の麻袋を取り出そうとしていた青年は驚く。前回は無茶な使い方をしたせいで短剣の傷が多く、かなりの金額を請求されたというのに。


「いいのか?」

「アタシがいいって言ってるんだ、いいんだよ。ちゃんと手入れして使った分さ。ただし、簡単に壊したらただじゃおかないからね」


 ミズナの言葉を素直に忠告と受け入れて青年は微笑んだ。もとより粗末に扱った覚えなど一度もない。この短剣は父から渡された大切なものなのだから。


 普段はがさつで粗野なミズナだが、自分が打った武器を買った相手だけは忘れない。彼女にとっては武器は子供のようなものだからだ。この短剣の最初の持ち主――青年の父のこともまた覚えているだろう。

 しかし同時に客の情報を他人に売ることもしない。それが、青年がここを訪れる二つ目の理由だった。


「邪魔したな。次も宜しく頼む」

「はいはい、今度は剣でも買ってっておくれ。いいのを揃えておくよ」


 「期待しておく」とだけ言い残して青年は店を出た。暗い場所に長くいたせいか、この日陰でも明るく思える。


 時刻はもう昼を過ぎていた。もうあまりゆっくりはしていられないと、短剣を右腰にしっかりと固定してから、青年は路地を歩き始めた。

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