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1―3 勇者の瞳

「だから、その値段では安すぎると言っているだろうが! この俺が自ら捕ってきた素材の質を信じぬ気か!」

「そ、そうは言われましても、その皮は近頃は取引量が減ってきていまして……質はよくても値がつかんのですと何度……」

「黙れ! 買い叩くつもりならばそうはさせん。この俺を誰だと思っているのだ!」


 市の中央でやたらと大きい声を上げる巨駆の男。年は五十を過ぎたところだろうか。それに気圧されておどおどするしかないのは痩せた商人の男だ。道の真ん中に引きずり出され、怒号を浴びている。


 ここは素材市。探索者が集めてきた素材を換金するための場所であり、同時に加工業を営む者も上質な素材を求めて集まるためにかなり活気づいた市だ。

 その中央で何かトラブルが起きているらしい。


 現場に到着し、シャネスたちがやっと声の主を発見したとき。


「……もういい、話にならん。失せろ」


 男は握り締めた右の拳を思い切り振りかぶり――


「ちょ、待ーっ!」

「……あ?」


 シャネスが叫ぶより早く、その拳が掴まれた。


 ――瞬く間に決して短くない距離を駆け抜けたガリエルによって。

 その青い瞳は真っ直ぐに男の目を見据えていた。


「ガリエル、ちょっと落ち着けって! 事情を聞かないとさ」


 男はガリエルの手を振り払う。そしてやっと追い付いたシャネスには目もくれずに商人を睨み付けた。


「あ、あのー……少し事情をお伺いしたいんですが……」

「おい。貴様、あくまで値を上げるつもりはないというのか。もう一度この皮をよく見てみろ! おい!」


 シャネスの言葉を無視する男。どうにも困ったシャネスの耳にこそっと教えたのはミル。


「先輩、この男、かつて師団長を務めていたアレグロード・ホムです。実力は相当のものでしたが、先日、普段の素行の悪さから“英雄衆ギルド”所属の資格を剥奪され、探索者になっていました」

「え、師団長ってことは……断然格上?」

「断然格上ですね」

「…………」


 しばらく無言になったシャネス。今もなお商人への恫喝を続けるアレグロードにやがてシャネスは。


「えーと……アレグロード様? お怒りなのはごもっともなんですが、その、今日ばかりはお引き取り願いたく……あ、そうだ、もしよろしければこんなものを……」


 全力で下手に出るシャネス。ポケットをごそごそやって出てきたのは 近所の料理屋の割引券。

 アレグロードの左手に回り、一回り大きな手に握らせる。


「見かけは寂れてるんですけど、意外と旨いんですよここ。オススメです。あ、他にもいくつかありまして――」

「おい」

「はい?」

「邪魔だ」


 ――次の瞬間、ドガン! とシャネスは対面側の屋台に叩きつけられていた。

 アレグロードの裏拳がシャネスを塵のように吹き飛ばしたのだ。


「――!! 先輩!」


 幸いにも店番をしていた女性は離れて様子を見守っていて、シャネスが人にぶつかることはなかった。だが支柱を折るほどの勢いで激突し、飾られていた皮や鉱石にまみれた状態でシャネスは動かなくなる。


「さっきから騒がしい……。憲兵ごときが俺に触れるな」


 アレグロードはついに商人から目を離し、背後に立っていた他の三人に目を向ける。


「俺がいなくなって憲兵どももさらに腑抜けたと見える。礼節を弁えろと訓練所で習わなかったか?」


 ガリエル、メザリア、そしてミル。と、男はミルのところで視線を止めた。


「ほう……なるほど、憲兵は枕商売でも始めたのか? 上玉を揃えてるじゃないか」


 アレグロードはミルの胸へと下卑た視線を向けていた。それに気付いたミルはわずかに顔をしかめる。

 醜く笑い、「そうだ」とアレグロードは何かを思い付いたようだ。


「お前が俺と一晩付き合うというのならここは引いてやる。どうだ、悪い話ではないだろう?」

「…………っ」

「ついでに馴染みの上官にも話をつけておこう。女が組織を昇っていくのは難しいからなぁ。きっと助けになるだろうよ」


 ぴりっと場が緊張したのが分かった。原因は小隊の面々から放たれた怒気。


 あまりにも――あまりにも薄汚れた提案。この男は今までもずっとこうしてきたのかとその場にいる全員が不快感を抱く。ミルの小さな手は強く握り締められていた。


 醜悪な笑みを浮かべたまま、沈黙を了承と受け取ったのか、アレグロードはゆっくりとミルへ手を伸ばす。大きくところどころが歪んだ手がミルの肩を――


「やめろよ、おっさん」


 ――掴むより早く、アレグロードの肩を掴む者がいた。


「――なに?」


 振り返ったアレグロードが見たのは、灰色の髪をした勇者。


「金の話程度なら警告で許してやろうと思ってたが止めだ。――仲間に手を出そうとする奴は一度牢屋にぶち込んでやらないと気がすまねえ」


 長い前髪の間から覗く瞳は漆黒。


 ――吹き飛ばされ身動きのとれないはずのシャネスがそこにいた。


「……憲兵ごときが……俺に触るなと言っている!」


 その巨駆に似合わない速度で反転したアレグロード。血幹が浮き出るほどに強く握り締められた拳がシャネスの顔面を強かに打ち付ける――ことはなく。


 激突する寸前で軌道が逸れ、シャネスの左頬を掠めていく。拳を見切ったシャネスが右手で受け流したのだ。


「……!? おああっ!」


 わずかに目を見開くアレグロード。それでもさすがと言うべきか咄嗟に体勢を立て直し、常人には目にも留まらない乱れ突きを放つが、


「……ふん」


 まるで世界が超低速で見えているかのようにシャネスはそのことごとくをかわす。華麗な舞いと見紛うほどの流れるような動きで一切重心をずらすことなく完璧に避け、シャネスは気付けばアレグロードの背後に立っていた。


「っ、くそがああっ!!」


 激昂したアレグロード。自制心を失い腰の鞘に手をかけ、一息に抜いた刀身。大上段に構えたそれをシャネスへ思い切り振り下ろし――


「対象の明確な殺傷行為を確認。やむを得ず・・・・・抜剣する」


 紋切り型の通告文を呟き、まさに剣がシャネスの脳天を割ると思った刹那、その右腕が閃いた。


 鋭い金属音が聞こえ、次の瞬間には――


「……制圧完了」


 アレグロードの首へ剣を突きつけるシャネスの姿。

 アレグロードが持っていた剣は真っ二つに叩き斬られ、宙を舞った刀身はやがてシャネスの背後へと突き刺さった。


「…………っ!」

「気が変わった。やっぱりあんたは許せねえ。元“英雄衆”所属なら知ってるだろ、俺たち憲兵には緊急時のみ抜剣する権利が認められてる。そして……個人の裁量において・・・・・・・・・直接処罰を下す権利・・・・・・・・・も」


 シャネスの言葉が意味するのはつまり。


「このまま剣を押し込んでも、俺は罪には問われない……って訳だ」

「……ひっ!?」


 ゆっくりと、剣がアレグロードに近付いてくる。ほんのわずかに、しかし確実に。

 命に、近付いてくる。


「か……過剰な防衛は処罰の対象だ! 俺を殺してただで済むはずがないだろうが!」

「ああ、過剰防衛そうと証言する奴がいればな。ただ……あんな台詞吐いた後でそんなこと言う奴がいると思うのか?」

「…………!」


 必死に視線を巡らせたアレグロードに突き刺さるのは侮蔑と怒りの視線のみ。誰一人としてアレグロードの味方をする者はいない。


「分かったろ? 自分が何したのか。せいぜい地獄で後悔しろよ」

「……い、いやだ! 分かった、俺が悪かった、そう認める! だから命だけは――」


 情けなく滂沱するアレグロードを見るシャネスの瞳は少しも揺れない漆黒。容赦なく剣がアレグロードの首に触れる。


「――死ねよ、おっさん」

「ああぁぁあああぁああー…………っ」


 と、アレグロードの首から一筋の血が流れたところで絶叫は止まり、巨躯がどさっと地面に崩れ落ちた。


 アレグロードは気を失ったのだ。


「……ふぅ、一丁上がりっと。メザリア、獄兵呼んでくれ。これを運ぶ気にはなれないし」

「了解。やっぱり勇者にもこんな奴いるのねぇ。迷惑極まりないわ」

「探せばいくらでもいんだろ、これくらい。……にしても、やっぱお前って中年からの人気高えのな、ミル」

「言わないでください! だからこんな体は嫌なんですよぅ!」


 途端に元のペースに戻った四人。恫喝されていた商人は驚きながらもシャネスへと礼を述べる。


「あ、ありがとうございました、憲兵さん。皆さんが来てくださらなかったら今頃どうなっていたことか……」

「はは、これが仕事ですから気にしないでください。まあ大丈夫だとは思いますが、いずれまた何かあったらすぐ教えてくださいね」


 シャネスは笑うとそう言った。寸前までの鬼気迫る表情がまるで嘘のような笑顔に商人も唖然としてしまう。


「あ、すみませんお姉さん、俺が壊してしまった屋台の料金は後で“英雄衆”の財務課に申請してください。話は通しておきますんで。すみませんでした」

「い、いえいえ。憲兵さんこそお怪我は……?」

「頑丈なのがとりえでして。ご心配ありがとうございます。では、我々はこれで!」


 そう言うと、まるで今起こったことが嘘であったかのように四人はその場を後にし、帰っていってしまった。


 残された商人二人は呆けながら呟く。


「なんか……すごい人でしたね」

「ああ……。あの瞳……まるで勇者とは思えんかった…………」


  ***


「いやぁ、今日は仕事したなあ。飯が旨そうだ!」

「お疲れ様でした先輩。……それと、ありがとうございました」

「あん? 何が?」

「その……私のこと守ってくれて。私、迷惑かけてばっかりですけど……」

「別に迷惑なんか。むしろミルがいてくれて助かってるよ。それに……怖かったろ」

「…………!」

「隠さなくていいって、あんなの怖くない訳ないし。心配すんな。俺らが守ってやるからさ」

「先輩……私だって守りたいんですけど」

「はは、じゃあよろしく頼むよ。まあ明日から二日は非番だけど」

「あ……そ、その、先輩。あ、明日の夜ってお時間ありますか? もしよければ、食事でも……」

「……あー、悪い。二日とも予定があってさ。また今度誘ってくれ」

「……分かりました。じゃあ、三日後にまた」

「ん。気をつけて帰れよ」


 ――


「…………さて、と」

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