1―2 異形
「…………暇、だなぁ」
すぐさっき聞いたようなシャネスの呟きを三人は華麗にスルーする。食堂にいた頃から数えてもう四回は言っているからだ。
結局、食堂で危うく勃発しかけた第何次かも分からない世界大戦はシャネスの迅速な処理によって開戦手前で阻止された。この三人が全力でぶつかった場合、食堂どころかあの駐屯所が形を留めておけるかさえ割と本気で危ないのでため息をつくしかない。
別に三人の相性が悪いという訳ではなく、基本的にいつもガリエルが他二人を天才的に煽ってしまう――その様はいっそ才能にすら思える――構図になることが多いだけで不仲ではないのだ。
特にミルとメザリアは女子同士ということもあり普段はかなり親しげである。ただ、両者とも機嫌が悪いと周りに配慮する余裕がなくなり、互いを貧相だ贅肉だと罵ってしまうことがあるだけで。あくまで体の一部分に対する意見の違いがあるというだけのことなのだ。
そんなこんなでシャネスが三人を宥めたり窘めたりしているうちに昼休憩も終わり、四人は街へと出ることになった。今の彼らは憲兵であり警邏活動が通常業務だからだ。聖都を決まったコースで巡回し、トラブルの類いが起こっていないかを確認する。
とはいえ憲兵が出るほどの大ごとになる場合はほとんどなく、当事者たちが自身で解決することが多い。「力が全て」とされる魔王領地ならばいざ知らず“聖域”内では筆頭勇者の名において絶対力を持つ法が敷かれているからだ。違反すると厳しい罰が課せられるため、余程のことがないかぎり無闇に争いが起こることは少ない。
特にここ聖都オヴリーシャは筆頭勇者のお膝元。他の地域に比べても治安はよく、憲兵の出番はほとんどない。散歩するだけで給料が貰えるようなものだ。
「今日も平和ですねぇ。これなら剣の修練でもしてた方が有意義な気もしますけど」
「まあな。てか、ここらを回ってる憲兵は他にもいるんだし、多少サボっても問題ないだろ」
「小隊長がそんなこと言っててどうするの。後で減給されても知らないわよ」
メザリアにそう諭されたシャネスは口を尖らせる。愚痴ぐらいいいだろ――と不満をこぼそうとしたとき。
「不真面目な態度が見られるな、シャネス小隊長。減給すべきとして上に報告する」
「はひ!?」
心臓を掴まれたように驚き振り向くと、そこにいたのは頭を綺麗に丸く刈り上げた逞しい肉体を持つ男。褐色の肌に、サンダルや麻のシャツといった私服と思われるラフな服装が似合っている。
「脅かすなよウーリ……。マジで焦った……」
ウーリ・ジャブ・マクルイン。シャネスたちと同じく“英雄衆”所属の同僚だ。年は二十でシャネスとは別の小隊の長を務める実力者であり、管轄も聖都ゆえ何かと縁があるため、人見知りなシャネスの数少ない友人でもある。
「はは、悪い悪い。忙しいのに邪魔したか?」
「そう見えるんなら医者に行った方がいい。今日は非番なんだな」
「ああ。久しぶりに休ませてもらってるよ」
厳密には警邏活動を放ってするこんな立ち話も職務怠慢に当たるのだが、それを咎めるような者もここにはいない。むしろ横の繋がりを深めるために重要なことだと正当化してシャネスはいつもウーリと情報交換をしているのだ。決して暇潰しとかではない。
「そういや聞いたか? 前から噂されてた例の異形の討伐、今度正式に始まるらしいぞ。俺の小隊は編成に加わってないが」
「例の異形……ああ、“真駆”のことか。んな話全く知らされてないけど、誰か知ってる?」
シャネスが振り返ると三人は揃って首を振る。どうやら今回もシャネスの隊は安定の仲間はずれらしい。
異形とは、このファルテウムにおいて決して無視できない勢力を誇る生命体の総称である。
普通の動物と異なり、食性や分布、生態のほとんどが不明の未知の怪物である。個体差はあるが、共通して言えるのはいずれも高い戦闘能力を持つこと。特に勇者や魔王に強い反応を示し、戦線では大きな障害となっている。
外見的、能力的特徴からおおよその分類はなされているが、その中でもとりわけ強力な個体は“真駆”と呼ばれる。“真駆”内でも危険度による階級づけがあり、最弱の個体でも旅団――小隊を三つ以上統合した単位――による対処が望まれるほどだ。これまでに出現した例では筆頭勇者含む全軍でやっと討伐したという個体も存在する。いわば“真駆”とは危険度お墨付きの異形であり、念入りな準備を必要とする難敵ということだ。
「今回のは〈牙〉だったか。話を聞くかぎり結構ヤバそうな感じだった気がするけど」
「単独で遭遇した腕利きの探索者がもう十人は殺されてる。複数人で組んでても逃げるのがやっとだったらしい。見つかった次の瞬間には真っ二つって話だ」
最近もまた“真駆”に認定される異形が“聖域”付近で出没するようになった。つけられた名は〈牙〉。攻撃特化の異形でかなり凶悪な個体だという。領地外へ出て資源や素材を集め生計を立てる探索者たちが次々と犠牲になっているらしいのだ。
「で、今回はどんな規模の隊を編成するって? それなりに数も必要になるだろ」
「二旅団で行くんだと。まだ経験の浅い若い兵も多いらしいが、指揮を取るのは第三軍団長のラーク様だ。まあ、最悪はあの人が何とかするつもりなんだろ」
「ラーク様……ラーク様、ね。うん、分からんけど凄い人なんだろ?」
がくっとウーリが項垂れる。が、分からないものは分からないのだ。胸を張って分からないと断言するシャネスを横のミルが補佐した。
「筆頭勇者様の直属の部下であり、この“聖域”で三人しかいない軍団長の一人です。簡単に言えば全勇者でも四本の指に入る強者ということになります」
へえとシャネスは頷く。旅団を重ねた師団を重ねた軍団の長、と。正直、師団以上となると実際に作戦に用いられることは少ないため想像もつかないが、何やら凄い人だというのは分かった。
「そこまでするほどかねぇ。実感してないから何とも言えないけどさ」
「はは、実感する頃には死んでるさ。でも逆に言えばそんな作戦に付き合わされなくて良かったのかも知れないな」
違いないと笑ったシャネス。そのとき、ガリエルがピクッと街の中心部の方を見た。
「シャネス」
「ん? 何かあったか?」
「市の方で揉めてる奴らがいる。出番だ」
「市……?」
ここから市まではそれなりの距離がある。到底何かを感じられるような距離ではない。
しかし彼の鋭い感覚に間違いなどないのが事実。自身には何も聞こえなくともシャネスは即座に決断した。
「悪い、久しぶりの仕事が入ったみたいだ」
「おお、行ってこい。給料泥棒って言われないようにな」
軽く笑ってから、シャネスたちは市へと走り出した。